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258 posts categorized "日記・コラム・つぶやき"

June 15, 2013

紫陽花

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庭の紫陽花がようやく花を咲かせた。
この紫陽花は植えたものではなくてどこからか種が飛んできたのだろうか、いつの間にか生えてきたものだ。
おそらく鳥が運んできたものだろう。
これまで花を見せたことがなかったので帰宅して懐中電灯で見た時に花をつけているのを見て嬉しくなった。
何だか嫌なこともこの花で贖われた気さえした。

柿の木もこれまで何年も庭師に刈り込ませていたからか、枝に力が行ってしまい実をつけるまでに至らなかったが、今年は伸ばし放題にさせていたので小さな実をつけている。

時折幾つかの実が青いまま屋根に落ちる音がする。
そのままごろごろと転がって、地面に落ちる小さな音がする。
いままで随分我慢させてしまって申し訳ない気分。今年は思う存分熟した赤い実を付けてくれ。

May 04, 2013

木々に詫びる

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日付をみると自分でも驚くが、何事もなかったかのように。
庭の木々が先月頃にはまだ芽が出始めたなと思っていたら、あれよあれよという間に葉が繁って、季節を見はからいながらここぞとばかりにまるで爆発するかのような生命力を潜めていたかと思うと驚くというより畏怖までをも感じてしまう。まぁ例年のことではあるが。左にちょっとだけ見えるのが栗の木。これは丈が高過ぎて素人の手に負えないので庭師を呼ぶ必要がある。物要りだ。


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木犀の方も若芽が繁って自己流で剪定したが、切った葉が山盛りだ。これでも先週一度切っているので、木犀だけでこの3倍はある。
高枝ハサミを使ったのだが、これが重くて腕の筋肉が悲鳴を上げている。痛い。普段の怠け癖が祟っている。

木を切るというのは例え剪定でもちょっと可哀想なので、木々にお酒をかけて詫びた。ごめんね、主人が怠け者で。今年もちゃんと実をつけて下さいね。

October 20, 2012

お十夜と猫

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最近用事ができてよく行くようになった墨東辺りを散策。神保町としばらく往復するように。
水のある風景は何だか心安らぐ。

そう言えば昨日、両国回向院を抜けて帰ろうと思ったら、かなりの人が出ていた。
ここの猫二匹を少々構ってから何だろうと本堂を覗くと、ご住職による講話をやっている。
神保町に帰り早速調べてみると、お十夜の法要らしかった。

お十夜といえば浄土宗系の寺院で行われるものだが、家の庭にある栗と柿の木は祖父が近所のお寺のお十夜で苗木を買って植えたものだと父親に聞いていたことを思い出した。それらも今では5m程もあって、今年ももうすぐ実を結ぶのだろう。

ちなみに回向院の猫たちはらっこちゃんとおちいちゃんという雌で、黒白の二匹はそっくりなので区別が付かないが、この間偶々居合わせたご婦人に伺ったら、背中が黒がちなのがらっこちゃん、白がちで鼻の下が黒いのがおちいちゃんなのだそうだ。
二匹ともシッポが短くて親子兄弟にしか見えないが、血縁はないという話も聞いた。

また取り止めもなく。

October 06, 2012

生存確認

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取り敢えず生存確認保守エントリ。

ちょっと近所を散歩しただけで続けて二匹、何だかやる気がなく寝そべってるところに遭遇。
小生のやる気のなさを身をもって諌めてくれているのでしょうか。

いやしかし、普通、近づいたら少しは警戒するものではないでしょうか。

警戒どころか弛緩し切ってますね、これは。

しかも道路の真ん中で。

しかし土曜の昼は小生もこんなもんですが・・・。

July 22, 2012

ててごとははごと

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先日、時間が空いたので江戸東京博物館へ行った。なかなか面白くて仔細に眺めていたら一周するのに三時間も掛かってしまった。当時の技術で作られた原寸大の、但し半分だけの日本橋から始まって、細部まで作成されたジオラマの数々に圧倒されながら、当時世界的にも先進的な上水道などを見て、何故こういうことを学校で教えないのかと思った。いや教えているのかも知れないが、むしろ子供達が誇りに思える日本の優れたところをわざと避けているような気がしてならない。

よく日本の明治以降の近代化について驚異をもって語られるが、それはその以前から成熟した社会を既に独力で築き上げていた基盤があるからで、例えば市場経済は石高制を基礎として欧米より百年も前から行われていたし(と学生時代の講義で聴いた)、数学なども非常に進んでおりむしろ当たり前のことだった。こういうことを積極的に教えないと後が続かない。

いや江戸東京博物館だった。写真は日本橋の近く、一石橋にあった、というか今もある「満よひ子能志るへ」のレプリカ。この辺りは当時も繁華街で、迷子が出るとこの石に貼り紙をして探したといういわば迷子用の掲示板、つまり迷子のしるべだ。

これを見て、あぁそうか、子連れ狼の主題歌、「ててご橋」はこのことを言ってるのかと合点がいった。ててごとははごと、ごとごとと、一石橋で待てば良い、迷子になったらどこで待つ、一石橋で待てば良い、というのはそういう背景があったんだな、と感慨深いものがあった。いや漫画なんですけどね。

ところが、このゴトゴトと、という大五郎が乗っている乳母車の進む音は、実は、「ごとと、ごと」と読むべき由来があるらしい。
当時の一石橋が金座を仕切っていた後藤氏と、また別の後藤氏との領地のちょうど境界で、つまり後藤と後藤、ごとと、ごと、これを五斗と五斗にかけ、足して一石橋と名付けられたと。大五郎の乗る乳母車は機関銃仕込みのハイテク兵器である割には何故か車輪は木製だ(笑)。だから拝一刀が押すとゴトゴト鳴る。そんな軽い擬音語に実はこんな背景があったとは。原作の小池一夫は弐十手物語にしても何にしても深いなと。いや漫画なんですけどね。

ちょんまげ天国~TV時代劇音楽集~
※Amazonでさわりだけ試聴できます。ちなみにこの「ちょんまげ天国」、早速買いました(笑。

ほか、新宿二丁目の太宗寺の脱衣婆への信仰とか、江戸のお稲荷さんの番付表とか、ニコライ堂のジオラマなど見るだにいちいち小生のツボを刺激してつい時間を忘れてしまった。ちなみによく前を通る駿河台の太田姫稲荷もちゃんと載っていて、こういうのを矯めつ眇めつ見つけるのは殊の外楽しい。暫くしてからまた行きたい気分。入場料大人六百円(常設展のみ)。

July 01, 2012

ショートスリーパー再び、そしてディースカウ

from the series, "prayer for the night" 1

随分以前にショートスリーパーについてエントリしたが、そこで平日は短時間睡眠で済ませ、休日に寝溜めるという身近な人について触れたことがある。そんなことが器用に出来るものだろうかと思っていたのだが、最近、自分がそんな風になっていることに気付いた。

とはいっても最近身過ぎ世過ぎで少々忙しく結果的に平日の睡眠が良く取れずに週末になって自堕落に寝てしまうだけで、先のように計画的にコントロールされたものではない。日頃の睡眠不足が週末になって我慢しきれず爆発しているようなものだ。結局、週末が有効に使えず不発感をもってまた月曜日を迎えることになる。

とはいえ最近、身近な人、しかも自分より若い人が続けて何人か亡くなったこともあって、やはりあまり無理をせず、眠い時には寝るというような自然に任せた姿が良いのではと思うようになった。昨日まで普通に話をしていた人が、何か具合が悪いと言って帰宅したまま帰らぬ人になった、というような亡くなり方と聞いた。どこかで疲れが溜まっていたのだろうか。忙しい時には自分の体の声をなかなか聞くことができない、というのもある。疲れていても気が張っていてそれを感じない、ということだろうと思うが、節目節目で上手に休むことができるような工夫が出来たらよいと思う。短時間でも睡眠を取れるように自分を躾けるというか、そんな何らかのテクニックを身に着けることが必要かも知れない。

などと書きながら、今日も昼寝をしてしまった。

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夜、おそらくヨーロッパのどこかを歩いていると、カフェの店先で佇んでいる男がいた。よく見るとそれはフィッシャー・ディースカウだった。あれ、この間亡くなったのではなかったか、と訝しく思い、随分前に日本の大阪であなたの演奏を聴いたことがあるんですよ、と話しかけた。最初はこちらを怪しんでいるのか返事をもらえなかったが、たしか、モーツアルトの「冬の旅」全曲でしたよ、とわざと間違えて反応をみると、破顔一笑して、それを言うならシューベルトだろう、と気を許してくれた。ああ、そうでしたね。何かお困りの様子ですがどうしたんですか、と尋ねると、行き先が分からなくて困っているという。そういうことなら、一緒に行きましょうと話しながら辺りを歩いた。そこで誰かがディースカウを待っている筈だと思ったからだ。しかしその人は見つからなかった。仕方なく元のカフェに戻り、もしどうしても困ったならば、ここに連絡して欲しいと自分の連絡先を書いた紙の切れ端を渡した。

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こんな夢をみた。

May 06, 2012

ニコライ堂、ユイスマンスそして読書メモ

Fallen_petals_2

普段近くにいるのに今日久しぶりにニコライ堂の鐘の音を聴いた。しばらくその東方教会の瞑想的な音色を聴きながら、以前短期間ではあるが滞在したドイツのローマンカトリック教会での鐘とは明らかに旋律も音色も異なっているのに気付いた。なにか世の終わりに鳴り響く鐘のような、戦慄と同時に諦念にも似た感情を呼び起させる。全く勝手で独りよがりのイメージではあるが、そんなことを思うと何故か心の片隅に長い間澱のように溜まっていたものが少しばかり溶けてゆくような気さえした。立ち止まって終わりまでを聴いた。

ユイスマンスの「彼方」だったかに鐘楽への執拗ともいえる描写があって、聴きながらこれを思い出していたが、帰ってからYOU TUBEに録音が上がっているのを見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=UvtoxC-r8vg

森達也「オカルト」(角川書店)読了。

 前作「スプーン」(文庫では「職業欄はエスパー」)の続編。
 「下山事件」でもそうだったが、この人の作品はルポルタージュの体を取っているようで実は著者の心象風景を語っているのであって、今回もオカルトに関する人々に取材しながらその周辺を逡巡しつつ終わる。その手法を意図して使うことでオカルト=隠されたものの本質を表現したとのことだが、これはドキュメントなのか、森自身のポエジーなのかがいつも分からず著者の意図とは別のところで隔靴掻痒の感がある。

甲野善紀 内田樹 「身体を通して時代を読む―武術的立場」(文春文庫)
 
 三分の一ほどを読んだが、なかなか面白し。内田は合気道の修行をしているのは知らなかった。甲野の本は何冊かを読んで、以前甲野を追ったドキュメンタリー映画のDVDまで買ったことがあるが、武術家が紡ぐ言葉というものは、そもそも言葉では表現できない内容であるがゆえに、(近くで技を実際に見ても分からないらしいのでなおさら)、その内容を他人に伝えることは難しい。敢えて表現しようとすればそれは臨済の公案のようにならざるを得ない。その難しさを内田が巧みに引き出しているような感を受けた。残りを読むのが楽しみだ。

ほか、中平卓馬関係、倉石信乃など数冊を借りる。

April 15, 2012

練炭、テレーズ、あるいは押入れの奥

untitled,Osaka

この間判決の出た木島被告に関する裁判員制度の番組を見ながら、amazonで何気なく「練炭」を検索したら、関連する語彙を提示する機能の「関連サーチ欄」に、七輪, 睡眠薬, 練炭コンロ、と出てぎょっとした。そのまま目を下に遣ると、この商品を買った人はこんな商品も買っています、というところに睡眠導入剤があってさらにぎょっとした。悪い冗談かなにかだろうと思ってこれ以上考えないことにしたが、そういう自分も時折デパスのお世話になっている。酒が飲めない体質でもあるし、常用しなければそれほど害もない(と思う)ので、何かの折には、一錠を飲んで良く寝られるのならば悪くはないと思っている。

そういえば、昔は冬、寝るときに母親が台所で巨大なそろばん玉のような練炭を熾し、アンカにして寝たものだった。練炭をガスコンロで使うための、底が網になった専用の熾し器もあった。そんなことを想いながら、以前劇場で見た映画「テレーズ」(1986年)で、テレーズのために父親が、熾した炭を長い柄の先に鍋のようなものが付いた器具に入れて、ベッドのシーツを万遍なく擦って温めるシーンがあったのを連想した。なるほど、そんなものがあるんだな、と感心した。あれなら温かいベッドで良く眠れるだろう、いかにも寒く暗い冬のヨーロッパの習慣らしいと思ったものだった。

話があらぬ方向へ行ってしまったが、その品川アンカは一晩寝ていると大抵は足で蹴り飛ばされて布団の外に出てしまっていた。ネル地のアンカカバーは小豆色だったか、それとも濃紺だったか、まだ探せば押入れの奥にあるかも知れない。

押入れの奥というのは不思議な空間で、今はもうある筈もない、昔あったものがまだそこに潜んでいるような気にさせる、記憶の歪みのような場所だ。昔買ってもらった顕微鏡セットやメンコ類など、とうの昔に捨ててしまったものも、夢のなかでは必ず押入れの奥に発見する。あぁ、ここにあったのか、随分探したのにやっぱり捨ててなかったんだな、と喜んでいるうちに夢が覚め、途端に空虚に包まれる。こんなオジサンになった今、何故メンコを捜さなければならないのか、そんな動機もなにもない筈なのに、心の底ではかけがえのない宝物と思っているようなのだ。いや、しかしあんなに沢山あったメンコは本当にどこへ遣ったのだろう。

何故か木島被告がメンコの話に。連想ゲームじゃあるまいし。

April 11, 2012

O-HANA-MI

この間の日曜日、4月8日に千鳥ヶ淵にお花見に行ってきた。忘れないうちにエントリ。
4月8日と言えばお花祭りでもあって、近くのお寺で甘茶を頂いてから御茶の水、九段を経て千鳥ヶ淵へ。あまりの人出に少々辟易。しかしそれを凌駕する見事な花霞だった。

Cherry blossoms, Yasukuni Shrine
靖國神社

Cherry blossoms, Yasukuni Shrine
靖國神社

Cherry blossoms, Chidori-ga-fuchi
千鳥ヶ淵戦没者墓苑付近

ちなみに九段下ビルはあれよと言う間に取り壊しがほぼ終わる段階に。あのビルは関東大震災の復興事業として昭和2年に建てられた。いつ壊れてもおかしくなかったが、取り壊して更地になっているところをみるとどうも権利者の合意が出来たというこのなのだろうと思う。先月にはもう殆ど姿が消えていた。しかしあの風情が無くなってしまうのはなんだか寂しい。以前撮った写真があるので気が向いたらFlickrに上げようかと。

April 03, 2012

高円寺じゃないよね

エイプリルフールのtwitterには色々な虚構が散乱したことだろう。そのなかでNHKが国旗掲揚と国歌の放送を再開したというのがあって正直一旦は釣られたが、こんな当たり前のことがエイプリルフールになるような異常な状況がまさに今の日本そのものなのだろう。少なくともNHKへは良く出来た痛烈な皮肉だと思う。思いやりと事なかれ主義の国民性を逆手に取られ言いがかりをつけられれば易々と従い、それをきっかけとして傷口が広がって行く、そんな悪循環がそこかしこに見られる。全く気味の悪い世の中になったものだ。

関係ないが、今日の暴風雨で暇なので、一旦は解約したスマホの再契約を逡巡中の小生が愛用するWalkmanに偶々今現在ブックマークされた曲を暇つぶしに列挙してみようかと。

「さよならColor」 スーパーバタードッグ(永積タカシ)
「トンネル抜けて」 UA カヴァー
「ヒッピーに捧ぐ」 RCサクセション
「かすかなしるし」 UA
「頼りない天使」 Fishmans
「finger」 Ego-Wrappin'
「そして僕は途方に暮れる」 ハナレグミ カヴァー
「アイデン&ティティ」 峯田和伸
「Season of the end」 Rei Harakami
「高円寺」 吉田拓郎
「いかれたBABY」 Fishmans
「ポスターカラー」 古井戸

Walkmanのブックマーク機能は曲毎に纏められるもので、いくつかを作ることが出来る。
上の一連は仕事帰りのリラックスモード、ほかにテンションアゲアゲモード(笑の選曲にはボ・ガンボスやローザ・ルクセンブルグ、最近では在日ファンクやオーサカ=モノレールなどのFunk系とか、凛として時雨、水中、それは苦しいとか、泉谷、拓郎などフォークも含めもう滅茶苦茶。

ちなみにUAの「トンネル抜けて」は言わずと知れたボ・ガンボスの名曲だがUA版は独特のグルーヴ感がいい。
「Season of the end」は細野晴臣「終わりの季節」のカヴァー。Rei Harakamiは好きでCDを何枚か持っているが、この間まだ40代そこそこで亡くなられたのは非常に残念だ。

Fishmansは上の2曲が神の領域。いつも口を突いて出てしまう。しかし佐藤もどんともハラカミも、そして清志郎もみんな亡くなってしまったね。


(題名は拓郎「高円寺」より。高円寺というと小学生の時に無理矢理やらされていた四谷大塚の会場テストというトラウマが今だに少々。)

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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