29 posts categorized "映画・テレビ"

April 28, 2006

ベトナムごっことラマンどうでしょう

ここ何日か更新出来ないほどの忙しさで帰れば寝るだけという生活。連休前のせいもあるが体力的に辛い。そんな私を心配してかどうだか、友人に「これで和んでみてよ。」と手渡されたのが「水曜どうでしょう」の録画DVDだった。ベトナムをカブ、つまりお蕎麦やさん出前御用達の、あのホンダのスーパーカブで走破するという話だった。昨日はそれを寝床で見ながらそのまま寝てしまったがなかなか面白かった。睡魔には勝てなかったけどあとでゆっくり見るからね。しかしベトナムの交通事情は聞きしに勝るカオスぶりで対向車線から車は飛んでくるわ人、バイクがランダムに横切るわ。そこに牛、アヒルなどが絡んできてよく人が死なないものだ。というか多分かなり死んでると思う。
以前、中学生のころに読んだ、あれはたしか遠藤周作じゃなかったかと思うのだけれど、70年代の若者が睡眠薬でラリって銀座だか新宿だかの交通量の激しい道路で、信号が赤に変わって車が動き出す瞬間の横断歩道を走って渡るという遊びというか度胸試しに言い及んでいて、これを「ベトナムごっこ」と呼ぶというのを思い出した。あれはまさしくこのことか、とDVDを見ながら合点した次第。多分こんな遊びが流行ったのは当時ベトナム戦争も背景にあったのではないかと思う。

ラマンやまだないと、の漫画が原作の映画「ラマン」を借りてみた。
オジサン三人と愛人契約する17歳の女子高生が次第に大人になってゆくという話。女子高生役の名前は覚えていないが、オジサン役には田口トモロヲと大杉漣、村上淳というキャスティング。監督は廣木隆一。とにかくこの二人がチラとも出ていない作品を探すのに苦労するほど邦画での露出度が高い田口と大杉だが、逆にこの二人がメインだからこそ借りたくなったというのもある。映画としてはそう飛び抜けたものでもなかったけれど。で、「ラマン」で映画データベースallcinemaを検索してみると、ウルトラマンとかミラーマン、ゼブラーマンから果てはラ・マンチャの男などが大量にヒットして苦笑。そうだ、少女役は安藤希だった。多分覚えられそうにない。

January 07, 2006

『西遊記』がまたリメイク

フジテレビ系で9日からオンエアされる「西遊記」は、これまでも何度かテレビドラマ化されている。
今回の配役は玄奘三蔵に深津絵里、孫悟空に香取慎吾、沙悟浄に内村光良、猪八戒には電車男の伊藤敦史だが、これまでの放送された西遊記のキャストは次のようなものだった。

・・・1978年・NTV
「西遊記」
夏目雅子、堺正章、岸辺シロー、西田敏行

・・・1979年・NTV
「西遊記2」
配役は78年放送と同じ。

・・・1993年・NTV
「西遊記」
宮澤りえ、本木雅弘、河原さぶ、嶋田久作

・・・1994年・NTV
「西遊記」
牧瀬里穂、唐沢寿明、鳳蘭、美輪明宏

などなど。なかでも一番記憶に残っているのは夏目雅子の玄奘だ。線が細くて綺麗だった。
主題歌は言わずと知れたゴダイゴだ。ナレーションが名調子の芥川隆行で毎回ゲストが豪華だった。
そういえば当時小生は学校で「沙悟浄」などというあだ名を付けられていた(なんでやねん)。

実はこの夏目&堺の西遊記はいまでも再放送されている。

東京MXテレビ
毎週日曜 20;00- オンエア

当時を懐かしんで偶にみるのだが、やっぱり夏目雅子はキレイだ(しつこい)。


November 26, 2005

いつか見た街 / 『ALWAYS 三丁目の夕日』

仕事で最近少々煮詰まってきたこともあって、かどうか自分でもわからないが、ふと通りかかった映画小屋で「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年、133分)をやっていて、たまには泣ける映画をと思い立ち思わず飛び込んだ。ALWAYS 三丁目の夕日 オフィシャル・フォト・ブックビッグコミックオリジナル連載の西岸良平原作「三丁目の夕日」の映画化だ。この漫画はもう何年続いているのか分からないが、私にとっては定食屋で手に取りいつも読むともなく読むという感じのいかにもBCオリジナルらしい作品。

TVスポットのトレーラーで、車窓から見上げる街並みのカットが心に留まっていた。その先には建設中の東京タワーが見えてくる映像だ。いつも写真を撮りながら広角で仰ぎ見る映像というのは子供の視線に近いのではないかと考えることがある。これは前々から気にかかっていて、視点を下げた仰角気味の写真を自分なりに纏めて見たいと思っているのだがなかなか良いものが撮れないでいる。

舞台は東京タワー建設中の昭和33年の東京。しかし銀座、高円寺という具体的な地名が出てくるものの夕日町という地名が示すとおり架空の街だ。そこで繰り広げられる人情エピソードに、なつかしい昭和の調度や茶の間に現れたテレビや冷蔵庫、金の卵と言われた集団就職などの世相をちりばめた構成となっている。

この映画はそもそもこの時代の忠実な再現ではなく、人々の記憶にある時代のイメージを拾った寓話、という受け取り方をするべきものだろう。それは架空の地名や登場人物の名前などに表れているのだが、そう考えればアラ探しという無粋なことをせずに楽しめる。
私の子供の頃にもまだあったコンクリート製で前と上に木の蓋がついていた街のゴミ箱や、湯たんぽに湯を入れるシーン、駄菓子屋で売っていた銀玉鉄砲や模型飛行機は見ただけで途端に忘れていたものが呼び戻される。こう感じるとモノには呪力があるとしか思えない。
街のディテールの再現にはかなりこだわったようだ。しかしいくら当時でもホーロー看板はあんなに数多く貼られてあったかな、などと思ってしまったり、オープニングの都電の走る街並みが、「血と骨」のセットと同じと気づいてしまったりをその都度うち消しつつも、泣かせようという意図を分かりすぎるほど分かっていながらつい泣いてしまった。子供やヒロインとの別離という言ってみれば月並みなエピソードも、それがどうあれおそらくそれに反応する回路をひとは先験的に持ってしまっているのだろうか。
しかしあれほど東京タワーが近い場所というのはどの辺りを想定しているのだろう。
その後何十年か経ち、子供達は急激に値上がりした土地を売ってバブル長者となった、という後日談は無論ないが、こんなことを想像する自分が嫌だとは思う(笑)。

出演は吉岡秀隆、堤真一、小雪、薬師丸ひろ子、三浦友和、堀北真希他。

- ALWAYS 三丁目の夕日 公式サイト

November 22, 2005

『真夜中の弥次さん喜多さん』と『ハサミ男』 / 麻生久美子オールナイト

眩暈がしそうになったら空を眺めると良いのです。
中央線の長いエスカレータに並んでプラットフォームに上がるまでの間、前に並ぶ女性の着ている服の千鳥格子を眺めているうちに芒と眩暈がして、しばらくベンチで休んでいた。まるでエッシャーのだまし絵のようなその執拗な反復模様はどうも昨年悩まされた眩暈をまた呼び覚ますきっかけになりそうな気配だったので暴れそうな子をあやすようにしてしばらく眼を閉じていた訳だが、30分程じっとしていたら段々収まってきた。
そのまま帰宅したが、何故かこういうことがあると随分長い間観ていなかった、というより惹かれるものがなかったというのが本当だが、久しぶりに映画というものを観たくなりTSUTAYAで邦画二本を借りた。

「真夜中の弥次さん喜多さん」(2005年、124分)は落語をモチーフとしたテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」でなかなかの才能と思っていた大人計画の宮藤官九郎初監督作品。原作はしりあがり寿の同名漫画だ。真夜中の弥次さん喜多さん DTS スタンダード・エディション以前から弥次喜多はホモセクシュアルの関係だったという話は知っていたが、これをプロットの基線に敢えて据えるというのは邦画としては返って斬新だ。このテーマをハリウッドが巧妙に隠し、あるいは隠喩のなかに沈めていたことをルポルタージュした「セルロイド・クローゼット」(95年、104分)をまず思い出した。最近ではセクシュアリティをテーマとした作品も増えているが、それも例えばレズビアンがまるで流行の服を着るかのような装いで扱われているような風潮が一時期あって、特にそんなセクシュアリティを持たない少女達や作家らに自らのアイデンティティを際立たせる一種のアクセサリ、もしくはアートっぽさを出すためだけに「使われて」いたのが気に障った。本当の彼女らはヘテロの我々(もしくは筆者)と同じように切実で日常的なものに違いない。それをこの作品では与えられた背景として特にそれをあからさまなテーマとしていないことがまずは良い。
とにかくこの作品は頭を空にして楽しめばよい。クドカンの想像力はまるで子供のようだ。自分が快く楽しいと感じられるものを何の障碍もなく映像として表現することの小気味よさ。これは実は監督がもっとも楽しんでいる作品で、観客はその「おこぼれ」に預かっているに過ぎない。三途の川と荒川良々の下りはなかなかの想像力だ。未見の方はお楽しみ。一瞬の出演ながら古川新太がいい味を出している。七之助、勘九郎の親子競演も見ものだ。


一方、同時に借りた「ハサミ男」(2004年、114分)は殊能将之になる同名小説の映画化。ハサミ男麻生久美子、豊川悦司主演、池田敏春監督。プロットは小説がメフィスト賞を授賞した作品だけあり、脇役のセリフ棒読みとぎこちない演技にいかにもなB級臭を感じるのものの、なかなか楽しめた。というより、そもそも麻生久美子が出ているから借りただけで話になにも期待していなかったものの観てみるとそれなりのプロットだったということかも知れない。

実は「真夜中の~」にも麻生久美子が出ていて、偶然にも「麻生久美子二本立てオールナイト」となった訳。
というより無意識に麻生繋がりで選択していたということが本当のところ。話などどうでも良かったりして。

October 19, 2005

「春の雪」映画化

ひねもすのたりのたりかな。(それは春の海だ。)ではなく、三島由紀夫の「豊饒の海」四部作の「春の雪」だが、行定勲の監督になる映画が公開されるという。豊饒の海はいうまでもなく輪廻転生をモチーフとした三島の傑作でかつ絶筆だが、高校の頃に読んで心酔した。そんな作品が実写で公開されるというのは少々複雑な気分だ。主人公の松枝清顕を演じられる俳優などいるものだろうか、と思って配役をみると妻夫木クンと竹内結子だって。二人とも俳優として好きだが、大学のサークルで展開されるさわやか青春ドラマっ!というイメージが払拭できないよー。
行定勲も好きな監督で作品はほぼ全て観ているのだけれど、好き好きの組み合わせが必ずしも良いとは限らないのかも。いや、結構良かったりするかもしれないので予断は書くまい。(合コンなんかのシーンが頭に浮かんでくるが。)

July 10, 2005

『ボーン・スプレマシー』 と 『オーシャンズ12』

意識してアメリカ映画を観ないようにしているアンチハリウッド派の小生だが、このところ古い日本映画ばかり立て続けに観ていたため、少しは新しいものも観ないといよいよ浮世離れして社会復帰できないのではと感じて、まるでお茶漬けや蕎麦ばかりでは栄養が偏るからたまにはハンバーガーでも、とでもいうようななんだか分からない理由でこの2作を借りてみた。どちらにしろ蕎麦やハンバーガーだけではバランスが取れないし、昨今流行の焼き肉、ではなかった韓国映画も小生にとってはどうもその人気の訳が分からないのでほとんど食指が動かない。やはり野菜が足りないのだろうか。とすればインド映画か(飛躍)。昨日カレーを食べたばかりだがあれはタイ風だった。結局、以前から個人的に観たいと思っていた映画のほとんどを観散らしてしまったいま、邦画も含めて西欧的価値観の、というよりハリウッドをなぞるばかりの映画では韓国映画であろうとどこの作品でも同じようにしか見えないものを敢えて観ようという気に「いまは」なれない。それぞれに素晴らしい作品も当然のことながら存在していて、過去の映画帳(そういうノートをつけていた。)には星の数の多くついたものが少なからずあり、おいおいリストアップしてみようと思っているのだが、いままさにこの2作を観て、やはり価値観の異なるアジア、アフリカ、南米などの映画をこそ観てみたい、という気分になった。そういう意味で収穫。

そうはいっても、この2作はマット・デイモンの役どころが対極をなしていて続けて観るとなかなか面白い。同時に観るなら先に「ボーン・スプレマシー」を観るべきだ。「青春の輝き」(92年)、「プライベート・ライアン」(98年)の少年から既に大人になって、こんなハードな役柄をこなせるようになったとは。一方、「オーシャンズ12」では頼りない青二才の役柄だ。この落差の激しさ。でもやはり後者のキャラクタが彼の持ち味を活かしていると思うなぁ。

「オーシャンズ12」、ちょっとこれは・・・ 少し昔ならオールスターキャストという惹句がつけられるのかもしれないが、ブルース・ウイリスとジュリア・ロバーツの下りなど、観客におもねりすぎで小生には食傷。ヴァンサン・カッセルは個人的に好きなだけに、もっと映画を選んで出演するべきだと思った次第であります。

July 05, 2005

『独立愚連隊』 と 『遊撃戦』

独立愚連隊ここのところ古い日本映画ばかりみているが、大映の勝新「座頭市」シリーズ全26作+1(不知火検校ですね)から雷蔵「眠狂四郎」シリーズ、ここから雷蔵にハマって「剣三部作」へ。再び勝新に戻り田宮二郎との軽妙洒脱な掛け合いの「悪名」シリーズ、次に田村高廣との名コンビ「兵隊やくざ」へ。このつながりで岡本喜八の「独立愚連隊」、「独立愚連隊西へ」と連鎖して、このシリーズを下敷きに岡本喜八監修で1965年に日本テレビで放映された続編とも言うべき「遊撃戦」を観たいと熱望していたが、最近DVDで全13話3巻の発売を知ったものの薄給の身ゆえ購入には躊躇していた。
ところが、先日レンタルビデオ店でこの3巻が貸し出されているのを発見し狂喜した。しかしその時は既に3巻とも貸し出し中で、おそらく同様の身の上の話の分かる(であろう)ご仁、つまり小生のライバルが現れたと歯がみした。遊撃戦 第1巻週末に出直してみると、3巻ともあたかも小生を待っているかのように鎮座ましましており、小躍りしながら(本当に踊ったら怖いが。)3巻すべてをカウンターへと持ち込んだ。
しかし、13話、時間にしておよそ11時間もの作品を一気に借りたため、レンタル期間の1週間ではとても見切れそうもないということを借りた後で気がつき、ざっと計算して1日に2話を消化すればなんとか延滞にはならないと考え直して、今日2日目で4話をいま観終えたところだ。

主演は映画と同じ佐藤允。毎回ゲストとして当時のかなり豪華な役者が出演している。西村晃、浪花千栄子、藤原釜足、春川ますみ、E・H・エリック、二木てるみなどなど。レギュラーの堺左千夫はいい味だしてるなぁ。「独立愚連隊西へ」でも「そろばん占いの歩兵」という奇抜なキャラクタで岡本喜八の面目躍如たるエネルギッシュな画面を作っている。
テレビドラマとはいえ、今と違って脚本、撮影、調度、どれを取っても丁寧な作りだ。いま観ても全然古くなくプロットに引き込まれる。こういう作品はもう劇場映画でも撮れないのではないだろうか。

そんな訳で、この1週間は飲みに誘っても無駄なのです。残業も致しませんのであしからず。ま、いつも通りではあるけれど。

June 23, 2005

ニコラス・ケイジからメールが・・・

「ニコラス・ケイジからメールが来たら偽物=アドレスがハイジャックされる(時事通信)」という記事が今日のYahooニュースに。ニコラスからメールが来たら、本物・・・って思う人はそう居ないんじゃないかと思うのだが、稀に「ニコラスからメールが来たわっ。あのニコラスから・・・私に・・・中身は何なのかしら。食事のお誘いかしら。もう何着て行ったらいいの?」とか思うひともいるかも知れないので、充分気をつけて下さい。重ねて言いますが、ニコラスからメールが来たら、それは偽物、ニ・セ・モ・ノです!とか意味なく力んだりして。

ニュースにはそのメールアドレスも載っていたのだが、そもそも本物のアドレスを知らないのに、信じろといわれても無理な話だ。その上、「アドレスがハイジャックされる」というのも無茶苦茶だ。何でハイジャックなのだろうか。ニコラスは客室乗務員か。

それより衝撃だったのは、ニコラス・ケイジってやっぱり実在の人間だったんだ、という発見・・・

彼の映画を観ながらいつも思っていたのだが、私にはどうしても彼が精巧に作られた人形にしか見えないのだ。彼がスクリーンに出てくると、どうしても肩と頭の辺りに操り糸がないか目を凝らしてしまう。歌舞伎に「人形振り」という所作があってつい連想が拡がってゆき、ニコラスが「操り三番叟」を踊っているイメージが頭を支配して、映画のスジを見失うこと幾たび・・・ 

そんなニコラスも息をしたり、メールを書いたりする生きた人間だったなんて、オドロキ。
このまま続けるとファンの方に怒られそうなので止めますが、実は私も大ファンで「リービング・ラスベガス」は好きな映画の一つです。ゴメンね、ニコラス。

June 18, 2005

フジテレビ『NONFIX/東京ニューシネマパラダイス』

子供の頃、近所の東宝映画館でゴジラの新作がかかると親に小遣いをねだっては友達と観に行ったものだったが、実は級友の母親がその小屋のモギリのパートをやっていて僕らの顔を認めると内緒でタダで入れてくれたりした。おまけにファンタの差し入れてまでもらって子供心にも申し訳ない気持ちだった。帰ると馬鹿正直に親にお金を返していたのだが、一緒に行った友人がその浮いた映画代を小遣いの足しにしているのを後で聞きコイツは自分より大人だなと思った、というより単なる悪ガキだ。
映画館ではスクリーンより客席後ろの小さな窓から放たれる光の束に惹かれていた。友人の家に呼ばれての8ミリ上映会ではリールがセットされていよいよ部屋の灯りが消されるともう既に胸の高鳴りを押さえられなかった。カタカタと映写機のレンズから光がこぼれ始めると襖が当座のスクリーンとなって少しばかりアウトフォーカスの友人が画面のなかで走り回っていた。

たぶん映画はその発祥の時点から既にノスタルジーそのものなのだろう。

6月15日深夜に放送されたフジテレビの「NONFIX」は「東京ニューシネマパラダイス」と題して映画というものに魅せられた人々を追ったドキュメンタリーだった。デジタル化が進みフイルムの要らない映写技術が現れるなかで、もう専門の技術は要らなくなったという老映写技師と、これから映写技師を目指そうとする若者。ほか活弁の山田広野やサラリーマンと2足の草鞋を履く高崎映画祭主宰茂木正男さんなど、映画に憑かれた人々を追っている。

銀座並木座もなくなり、昔京都に住んでいたころ良く通った四条大宮のスペース・ヴェンゲットもなくなってしまった。新宿シネマアルゴ、梅田シネ・ヌーヴォなど消えていった映画小屋は限りない。自分の学生時代はこれらの小屋なしにはあり得なかったし今もそうだ。タバコ臭い脇の通路で入れ替えを待つ時間は何ものにも代え難いものがある。映画は家で観るものではなく、映画館に足を運び劇場の暗闇に身を置いて観るものだ。そのプロセス、雰囲気すべてが映画という行為そのものなのだと思う。

話は変わるが、ノンフィクション番組は益々その居所を失って、このNONFIXなど深夜3時前後の枠に追いやられているし、ドキュメンタリー番組そのものが極端に少ないのは寂しい。良質のドキュメント番組をもっと放映して欲しいものだ。

May 08, 2005

『探偵ナイトスクープ』と『銭形金太郎』

京都支局から神保町に戻って数年、何かが欠落していると感じていたが、それは東京では「探偵ナイトスクープ」を放映していないことだった・・・。いや、たしか一時期テレビ朝日で日曜昼に、はたまた深夜、それも午前2時頃に時間枠をジプシーの如く移動しながら細々とやっていたが、何故か定着せずにどこかへ消えてしまった。最近東京に転勤してきた友人の奥さん(共に大阪育ち)がやはり「探偵ナイトスクープ」を見られないことがストレスとなり、夫婦喧嘩のタネになっているらしい。これはノロケ話と受け取るべきだろうか?!。しかし奥さんには激しく同感だ。視聴率も深夜枠にもかかわらず異常な高さらしい。それはそうだろう。だって面白いんだもの。あぁ、久しぶりに桂小枝の声が聞きたくなってきた。

例えばこのような視聴者参加番組を関東で捜すと、いやおそらくゴールデン枠へ進出してからは全国ネットになった「銭形金太郎」がそれに当たるかも知れない。だが、これを見ていて東京と関西では明らかに異なることが浮かび上がってきた。

「探偵ナイトスクープ」は視聴者の依頼を受けてタレントが探偵となり調査するというスタイルだ。その依頼内容のセンスからして毎回面白いのだが、この申し込みがWikipediaによると毎週200~300通もあるという。番組のネタを視聴者から募るというこのスタイルは視聴者参加番組としては当たり前だが、これも当然ながら依頼がないと成り立たない。しかし、おそらく「銭形金太郎」では番組の主役であるビンボーさん自体が探せていないのではないかと思う。というのも最近、そのビンボーさんがほとんど芸能関係で占められているからだ。役者、漫才師、マジシャンのタマゴたちがほとんどで、つまり単なる楽屋落ちなのだ。これは一般視聴者からのネタがないことを図らずも示してしまっている。おそらく見つからないために身近なところで済ませているのだろう。これでは面白みも半減だ。

先の東京と大阪の違いとは、つまり視聴者のノリの違いだ。「探偵~」で記憶に残る「大阪だけの常識やん」(2002年2月放送)での小ネタ「指をピストル形にして撃つマネをすると、相手は死んでくれる。」では梅田の駅前で通行人を捕まえて試すと、ほとんどの人が死んだフリをする(笑)というこの関西ノリがないとこの手の番組は成り立たない。試しに大阪で「銭金」を制作してみれば分かる。死ぬほどネタが出て来るだろう(キッパリ)。

調べてみるとなんと関東でも今年4月からテレビ神奈川で放映していることが分かった(毎週木曜夜8時より)。奥さんにも報せてあげようっと。

朝日放送 「探偵ナイトスクープ」
Wikipedia 「探偵ナイトスクープ」
関連本「探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子」(amazon.co.jp)

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