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3 posts categorized "ファッション・アクセサリ"

August 01, 2005

古着のお清め・厄落とし・厄払い

ちょっとした用事があって久しぶりに高円寺を散策した。パル商店街の先の暗渠を抜けてルック商店街までふらふらと歩いたのだが、小学生の頃この辺りの塾で毎週模試をやらされていた大昔の記憶もあって、高円寺というと今でもなんだか落ち着かない、ような気がする。そんなこともないか。しかしこの街はいつの間にか古着屋ばかりになっていて、気に入る服を捜しながら友達と歩くのはいかにも楽しそうだ。とはいっても私の歳に合うような服はなさそうだけれど。
たまに寄る古着と古書の店、見ていると潜在意識が沸々と立ち現れるかのようなかの天才絵師、市場大介画伯の「アニマル洋子」で一通り棚を眺めながら、ふと、古着を買う若い人が、買ったあとで古着を清めるとか、厄を落とすとか、そもそもそういうことが気になるものなのだろうかという疑問がふと浮かんだ。おそらくケガレと払いに象徴されるような基本的思考回路を持つ日本人の感覚としては、多分如何に若い人の間でもそういう習慣、おまじないに近いものが存在するのではないだろうかと思って、帰ってからサイトを調べてみると、そう多くはないものの、やはり気になるのだろうか、古着の前に塩を盛るとか、いつも自分が使っているコロンを振るなどの行為=儀礼が見つかって非常に興味深いものがある。(こういう気分につけ込んだ名の知られた商売人もあって気分が悪くなるばかりだがこういう手合いは無視するにしくはなし。)
そのなかで、こういう記述があった。
むかしから古着は神社仏閣の境内で、骨董などと共に売られていたのは単に人が集まる場所だからではなく、それらに染み込んでいる以前の持ち主の悪いもの、つまりケガレを払うという意味で神社仏閣という空間が必要だったのであり、実際に古着屋は仕入れた古着を店に並べる前にそこで厄落としをしていたというのである。
これにはなるほどと思わされる。
ビンテージもののジーンズなども流行っているが、その人なりの方法、つまり心の隅にある一抹の「落ちつかなさ」を決着させるための行為、がそれぞれにあるのではないかと思う。
それは盛り塩などの本格的なものでなくとも単にクリーニングであったり、陰干しであったりするのかも知れないが、一度そういう話を集めて見たい気もする。
古書を買ってもそれほど気になったことはないが、本はおそらく道具ではなくそれ自身で独立したものである一方、古着は生身の人間の纏ういわば身体もしくは思考の一部とも言えなくもなく、より感情移入し易いものだからだ。

July 24, 2005

ゆかたの着付がいまひとつなのです

各地で花火が上がりあでやかな浴衣を目にする季節になってきた。まさに眼福。でも、綺麗に着ている女性がとても少ない(月球儀通信社調べ)。特に目立つのが衣紋を抜いていないことだ。
ゆかたも着物も、衣紋、つまり襟をうなじに付けて着るのは男性か子供だけだ。
大人の女性なら、こういう着方はしないのが基本だ。これは伝統的にしないものなのだ。
襟ははうなじから指3本からこぶし1つほど後ろに離して着る。これを「衣紋を抜く」という。
あまり抜いてしまうと商売っぽさというか玄人感が出てしまうのでほどほどにしたいが、おそらく襟を付けてしまうのは洋服の発想からなのだろう。
ここに気をつけると俄然美しくなる。女性らしい感じがあでやかに出るのだから不思議だ。
当社調査員(つまり私・・・)の報告では、なんと8割ほどが抜けていなかった。
これは一体どういうことなのだろう。親御さんはなにも言わないのだろうか。男の私が気になるというのに。
着方一つで美しくもなり、逆に筒袖を着た子供のようにもなってしまう。
折角、偶にしか着ない和服を着るのだから、ちゃんと綺麗に着たい、着せたいものです。


ゆかた:衣紋を抜く
衣紋を抜く。日本の女性なら基本ですよ。(写真は浴衣じゃないけどね。)

(写真は「2000ピクセル以上のフリー写真素材集」さんから拝借しました。)


■関連エントリ
- 月球儀通信 : 怪談「今年も抜けてない」
http://azusayumi.tea-nifty.com/fragment/2007/08/post_3a28.html

March 15, 2004

和服が流行っているらしい

むかしテレビで永六輔が、日本人が紙といったら和紙のことなの、服といったら和服なの。わざわさ「和」と言わなければならないのはおかしいのね、と例の独特な喋り方で言っていたのを思い出した。(しかし古い話で恐縮です。)

一昨日深夜のニュース番組で、和服が若い女性の間で普段着として流行り始めた、というのをやっていたのだ。

扱うブティックでは古着を家庭から仕入れ、小物を含めても一万円程でコーディネートできるらしい。


戦後の感覚では和服は即ち晴れ着で、文字通りハレの日に着るもの、というのが普通だったと思うが、考えてみれば日本人がカジュアルに和服を着ていないのもおかしなことだ。


実は私も、休日を着流しで過ごしたい。
もっと告白すれば、着流しで会社に通勤したいくらいだ。

日本人の体型で無理してブランド物を着るよりは和服のほうが余程美しく見える、と思う。
これは単なる流行で終わって欲しくないな。

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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