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January 10, 2010

それでも外へそれでも外へ

人とよもやま話をしているときそれが同年代であれば子供の話になることが多い。子供を持たない自分ではあるけれど、そういう話を聞くのはむしろ楽しい。この間も知人の、上の子は神経質なんだけど、下が驚くほど社交的でね、などという話を聞きながら、我が身を振り返ると、勿論親としてではなく子としてなのが致し方ない訳だけれど、例えばわが姉弟ではその性差を割り引いてもかなり性格が違う。

人の性格というものは生まれながらのものなのか、それとも後天的なものなのか、そういう話を聞く度にその人にどう思うかを質問したりする。実際には先験的なものと後天的なもの、親の性格やさまざまな境遇などの複合なのだろうと思うが、ではその先天的なものとはそもそも何なのだろうと思うことがある。

以前、あることで知り合った人と話をしているうちに、その人が小生と誕生日が同じことが分かったことがあった。よくよく聞いてみると歳も同じだった。つまり全く同じその日に生まれた人に偶然巡り会ったという訳だ。その奇遇にお互い驚きながら、占いなら同じ運命にあることになりますね、などと話をしたのだったが、その場に居合わせた共通の知人が占星術に凝っていて、時間や産まれた場所の違いで運命は異なるのだと言ったのを聞いて、それはそもそも外れた時の言い訳にしか聞こえなかったのだが、例えば四柱推命などでは正確に占うとき、占いの正確さにそもそも意味があるのかは疑問としても、その親の運命ももみるのだそうだ。

運命は振り返った時にさも存在するかのように感じる錯覚だと思うのだが、どうしてもその錯覚にリアリティを感じざるを得ない時がある。

* * *

ある場所への道を犬の散歩中のご婦人にきいたのだけれど、その犬に何故かじゃれ付かれ、ハグして欲しいのか前足を小生の脚に掛けて甘えてくるので、「それで国道を左に?」などと説明も良くわからなくなり、その間、小生の手はペロペロと舐め回され、「で、百メートル程で右に曲がるんですか。」「こら、やめなさい、左へ曲がるんですよ。」「また左ですね。」「これ、止めなさい。そうです。」などとなんだか頭に全然入らないのだった。買ったばかりのダウンジャケットと鞄が汚されたのではないかと気になったが、「有難うございました。じゃぁな、ペロ。」と勝手に名前を付けてやったら怪訝な顔をされた。いや、犬にではなくて。

しばらくネット環境のない場所に蟄居していますので、間歇的なモバイルからの投稿になりますが宜しくお願いいたします。
(題名は古井戸の曲、"叙情詩"から。)

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