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7 posts from January 2010

January 31, 2010

日々逍遥

あっという間に睦月も終わり、財布のなかの喫茶店やなにかの期限を迎えて無駄になってしまった割引券、コンビニのレシートなどを捨てたりするうちにすっかり忘れていた音楽ギフト券を発見した。これはさる方に貰ったものなのだけれど、期限を見ると年末で、これで五千円が無駄になってしまったと嘆息した。しかし良く見るとそれは2013年の年末なのだった。

こういうものは取っておかずその時に欲しいものを買ってしまうのが正解と思うのだが、さてこれで何を買おうか、新品を買うならばCDが二枚、DVDなら一枚をそれぞれ少々のお金を足して買える額面だ。もしくは神保町交差点のDISK UNIONで中古盤を何枚か買うという手もある。しかしいまは簡単に行けない境遇。嗚呼、神保町は遠くなりにけり。いっそチケット屋に売るという手もあるが。

そういえばJALのマイルはどうなるのだろう。このあいだ、当のJALからどう転ぼうとこれからもマイルは有効なのでご安心くださいという内容のメールが来たが、それでも少々不安だ。そもそも毎日ニュースを見るだに安心できなくなる。パスポートにスタンプが押されてゆく度に貯まったマイルで、纏まった休みを取って世界のどこかを彷徨うのを、そもそも休みなど取れない無理を頭から掻き消しつつ夢想することが唯一の楽しみだったのに(笑)。もしマイルが無くなったとしたら、せめて休みだけでも取ってやりたいと思う。最低でも2週間は。十年に一度位はいいじゃないかと思うのだが(誰に言ってるのか。)

最近、眼が悪くなった。特に右目が急速に衰えている気がする。一度眼科に行ったほうが良いかも知れないのだが、左とのバランスが悪くどうにも疲れる。これはとうとう眼鏡デビューということなのだろうか。

今日、あるレストランで昼食を食べたのだが、オーダーを取りにきたウエイトレスが、このあいだ引っ越してきた方ですよね、大きな荷物を持って、というので、確かに最近来たばかりだが一時滞在で引っ越しという規模でもないし、そもそもこのレストランに来たのは初めてで、ましてやこのウエイトレスとも初対面なのだ。それ、別人じゃないですかね、と言ったら腑に落ちない様子だった。

もしかして小生は夢遊病で自分でも知らないうちにこのレストランに大きな荷物を持って来ていたのかも知れないとか、あるいはドッペルゲンガーなのか、親に知らされない双子の兄がいるとか、自分の知らないところで彷徨うそっくりなレプリカントかとかいろいろと下らない想いを巡らせたが、大体、仮にそういう人が居たとしても何故このウエイトレスにそんな身の上話をしたのだろうかというのが疑問でもあり、考えるだに不可解さは増してゆくのだった。

帰りに節分用の豆を買った。折角買ったのに当日撒くのを忘れそう。

January 26, 2010

チョコと神社とささる本

何故か流されて国内外を問わず遠い街に住むことが最近多くなった。
今は日本の雪国。寒い外から早く家に帰って熱燗を、ということにはならず、放っておけば一年間全くアルコールを口にすることが無い小生の場合、熱いココアがその代わりだ。ちなみにチョコレートを食べながらブラックの珈琲を飲むのが好きなのだけれど、この場合、チョコをつまみと言って良いのだろうか。あるいは肴と言っても?肴はあぶったチョコでいい、という歌もある位だ(ないし)。その場合は明治か森永の板チョコがいい。

というか何の話なのか良く分からない訳だけれど、新しい土地に行く際には、それがしばらく逗留するような場合にはなおのこと、先ず土地の神社に挨拶に行くことにしている。挨拶といっても簡単に参拝するだけだ。しばらくここでご厄介になりますが宜しくお願いしますという具合に。そういうある種の手続きを踏むとなにか気持ちがすっきりする。

昨年滞在したドイツには神社こそなかったが、町の教会に行って同じことをした。教会や神社はその土地のいわば臍のようなもので、気持ちの問題ではあるが案外重要なことなのではないかと思う。意識するしないに関わらず、土地の人々の心に繋がっている場所というものに礼を尽くすというのは、その土地の人々の了解を得るということだとも思ったりする。

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ついこの間、久しぶりに東京に戻り、書店である本を買おうと棚を探したが見つからなかったので店員に在庫の確認をお願いすると、
「済みません、残念ながら今切らしてますね。在庫は棚に差さっているだけなんですよ。」
という店員の返事だったが、そもそも本は棚に「差さって」いるものなのだろうか。まさか刺さってはいない訳だし(笑)、実際には差さっているのだろうけれど、かなりの違和感を覚えた。これは方言の一種なのだろうか。確かに本と本の間に差し挟まれてはいる。でも、例えば「済まないけど、その本、棚に差しといてくれる?」などとは言わない。やっぱりどこか地方の方言なのだろうか。

では棚に存在することをなんと表現するのか。それは「棚にあり」、「棚に出ている」のであり、「棚に置かれている」のだろうと思うがどうなんだろう。

こういうときは、「済みません、出てるだけなんですよ。」などというのが一番自然だと思う。

古書店で欲しい本の在庫を訊いてそれが無かったときに店主が「今度出たらよけときますよ。」などというのは何故か耳に心地良い。仕入れた本のなかから取り分けておくという感じだが、何となく嬉しくなる言い方だ。

January 16, 2010

古書とスター千一夜

神保町の均一台で金指正三著「星占い星祭り」(青蛙房)が千円程度で出ていて思わず買ってしまった。これは日本の星辰信仰に関する蘊蓄を語ったもので、15,6年程前に購入しようとして忘れていた本。値段が安いしつい懐かしくなり買ってしまったが、後でよく調べてみると新装新版が一昨年刊行されていたので値が下がったのだろう。

レジのついでに随分昔に買った手持ちの古書にいくらの値段がつくか聞いてみると、「見なきゃ分からないでしょ。」という返事。それはそうだと、では売る気になったら送りますよと言って帰路へ。この書店は前にいた番頭から最近(でもないのか)若い人に替わっているが、こういう応対は昔から。人によっては何?喧嘩売ってるのかと思うかも知れないが、そんなことも伝統の一つかもとこの変わりなさに少し嬉しくなる。この間も棚を冷やかしていると、朴訥な感じの人がある文学書の在庫があるかを聞きにきたとき、「ウチの専門外なんですよ、ちゃんと良く見て入って来て下さいよ!」と客を叱っていた。まぁその客もお気の毒にと思ったが、番頭にはもっと頑張って貰って古い古書店のオヤジ振りを徹底させて欲しいとヒッソリ思う。しかし最近はネットオークションなどの普及で古書業界も売買が難しくなっているのではないかと思うがどうなのだろう。

ザ・テレビ欄0 1954~1974
こんな本が出ているのを知った。その後もシリーズ化されているらしい。
一時期図書館で新聞のバックナンバーを閉架から出して貰い同じことをやったことがあったが、例えば「スター千一夜」の後は何という番組だったっけ?などという疑問も、そうだ、スター千一夜は毎日放送されてたんだ、などということが思い出されたりして結構面白い。後ろ向きの小生にとっては嬉しくなる。しかしアイデアですね。

January 13, 2010

強迫的

強迫神経症というのがあるが、自分もその気があるのではないかと思うことがある。この間も炊飯器のコンセントの接触が悪く、炊き上がりの時間になって蓋を開けるとまだ全然炊けていないことがあった。試しにコンセントの根本を持って動かすと表示部が点灯したり消えたりするのでこの部分が断線していることが分かった。

で、コンセントの替えを買ってきて断線部分から切断し、線の被覆を剥いて替えに付けようとしたが、ハサミしかなかったのでうまく剥けずになかの細い電線が流し台に散らばった。この線は細い銅線が縒り合わされているので、散らばった線はそれぞれが髪の毛のように細い。片付けながらふと、もしこの細い電線が料理のなかに混じり、口のなかに入ったとしたら恐ろしいことになると思い至るや、たちまちその考えにに頭が支配され、慎重に拭き取った後も何度も同じ場所を拭き取らずにはいられなかった。

これが二三度ならまだ良いのだが、ためつすがめつしてももう無いと分かっているのにさらに何度も確かめずにはいられず、結局流し台全体を磨くことになってしまった。分かっているがなかなか止めることが出来ない。

出掛けるときに火燵のスイッチを切ったかどうかが気になって部屋に戻るようなことは良くあるが、これに似た感覚だと思う。なにかの不安が拭い去れない時の代償行為とも感じる。ではその不安とは一体何だったのか。
探ってみたい気もするが、そこから魑魅魍魎のような心の澱が出てきそうで恐ろしい気もする。

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香を聞きたくなって東急ハンズで乳香のインセンス、つまり線香を買った。
香炉灰と松栄堂の二条、堀川も買って、玄関で焚いている。
乳香は別名フランキンセンスとも言い時折オイルをディフューザーで使うこともあるが好きな香りだ。焚いた後のほのかな残り香が美しい。

January 11, 2010

テレビがない

先のエントリでも書いたのだけれど、しばらくネット環境のないところで蟄居している。ネット環境どころか、テレビすらない。ではそれはどんなところか、シベリアの最果て、あるいはボルネオのジャングルならそんな場所ががあるかも知れないが、ここはまさしく日本だ。いや、日本でも拘置所とかそんなところならネット環境はないだろうが、残念ながらそんな場所ではない。

この間二ヶ月ほど滞在したドイツでの、デュッセルドルフという世界でも稀有な日本人街での生活でもテレビはあった。勿論、ドイツでテレビがない筈はないが、日本のテレビという意味だ。そこでは日本人向けの番組配信サービスがあって、基本的にNHKと民放の当たり障りのない番組を流している。小生の場合、短期滞在なのでこのサービス付きのアパートだったが、現地日本人に聞くとかなりの契約料らしい。しかし、番組は子供向けのものが多く、ニュース、特にスポーツ報道では放送権の問題で肝心な場面に「放送権の関係で映像が配信できません。」という不粋な字幕が出るという困った放送なのだった。

例えば、浅田真央が華麗な演技を見せました。というアナウンスのあとに、本当は演技が流れているのだが、音声だけで例の字幕が出て見られないというように。サッカー、野球も肝心な場面で必ずこうなってしまうので、現地邦人はさぞフラストレーションが溜まっているだろう。

で、今回はそんな外国ではなく日本なのだけれど、短期ということもあって、敢えてテレビを持ってこなかった。しかし、この気持ちよさは何だろうというくらいに清々しい気分になったのには自分でも驚いた。

これまでどれだけ下らない番組で時間を浪費していたのだろうか、と思う。
どのチャンネルでも殆ど同じ顔の芸人が出て同じようなことをだらだら繰り返しているうえに、妙に偏向した報道も見なくて済むし、パチンコばかりのCMともオサラバできて精神衛生上すこぶる宜しい。
これならこの先、テレビなどなくても良いんじゃないかと思う。
そんなことを言わなくても、もうテレビは死んだメディアであって、ネットでのオンデマンド配信などに世の流れは突き進んでいるようだ。

しかし、ネットがない環境は少々辛い。これだけは勘弁してほしい。
無くなって初めて分かる、それほどの依存度だったということなのか。
今回は回線を引くほどでもない一時的なものなので、その間はモバイルのサービスを考えるしかないかと思う。

などと言いながら、毎日ラジオを聴いていたりする。
仕事をしながら聴けるので時間を浪費したという感覚にならずに済むのがラジオの良いところだと思う。VIVA!、ラジオ。

しかし結果的に何か退化しているような気がしないでもないが。

January 10, 2010

それでも外へそれでも外へ

人とよもやま話をしているときそれが同年代であれば子供の話になることが多い。子供を持たない自分ではあるけれど、そういう話を聞くのはむしろ楽しい。この間も知人の、上の子は神経質なんだけど、下が驚くほど社交的でね、などという話を聞きながら、我が身を振り返ると、勿論親としてではなく子としてなのが致し方ない訳だけれど、例えばわが姉弟ではその性差を割り引いてもかなり性格が違う。

人の性格というものは生まれながらのものなのか、それとも後天的なものなのか、そういう話を聞く度にその人にどう思うかを質問したりする。実際には先験的なものと後天的なもの、親の性格やさまざまな境遇などの複合なのだろうと思うが、ではその先天的なものとはそもそも何なのだろうと思うことがある。

以前、あることで知り合った人と話をしているうちに、その人が小生と誕生日が同じことが分かったことがあった。よくよく聞いてみると歳も同じだった。つまり全く同じその日に生まれた人に偶然巡り会ったという訳だ。その奇遇にお互い驚きながら、占いなら同じ運命にあることになりますね、などと話をしたのだったが、その場に居合わせた共通の知人が占星術に凝っていて、時間や産まれた場所の違いで運命は異なるのだと言ったのを聞いて、それはそもそも外れた時の言い訳にしか聞こえなかったのだが、例えば四柱推命などでは正確に占うとき、占いの正確さにそもそも意味があるのかは疑問としても、その親の運命ももみるのだそうだ。

運命は振り返った時にさも存在するかのように感じる錯覚だと思うのだが、どうしてもその錯覚にリアリティを感じざるを得ない時がある。

* * *

ある場所への道を犬の散歩中のご婦人にきいたのだけれど、その犬に何故かじゃれ付かれ、ハグして欲しいのか前足を小生の脚に掛けて甘えてくるので、「それで国道を左に?」などと説明も良くわからなくなり、その間、小生の手はペロペロと舐め回され、「で、百メートル程で右に曲がるんですか。」「こら、やめなさい、左へ曲がるんですよ。」「また左ですね。」「これ、止めなさい。そうです。」などとなんだか頭に全然入らないのだった。買ったばかりのダウンジャケットと鞄が汚されたのではないかと気になったが、「有難うございました。じゃぁな、ペロ。」と勝手に名前を付けてやったら怪訝な顔をされた。いや、犬にではなくて。

しばらくネット環境のない場所に蟄居していますので、間歇的なモバイルからの投稿になりますが宜しくお願いいたします。
(題名は古井戸の曲、"叙情詩"から。)

January 02, 2010

また今年も

年末から具合が悪くなり発熱して38.5度にもなった。これは間違いなくインフルエンザ、しかも新型なのではないかと悶々としているうちに明け方になり、腹痛と吐き気までして指定の休日診療へ行った。病院ではインフルエンザの検査をしたが、結果新型も季節性も共に陰性だった。検査は鼻の奥に棒を差し込んで粘膜をサンプリングしほんの十分程で結果が出るのだが、若い看護士さんに嬉しそうに検査され(わけない)、棒を抜かれてお約束のようにくしゃみをしてしまい失笑を買ったものの、てっきり新型と思っていたのに拍子抜けした。季節性はワクチン接種をしていたので発熱すれば新型しかないと思っていたのだ。まだ二十代と思しき医師によれば胃腸に来る風邪らしい。インフルエンザの兆候も症状も当てはまらないという。特に炎症も見あたらないので抗生物質も出ず、総合感冒薬だけを処方してもらって帰宅した。しかし大晦日とはいえ発熱患者の多いこと。インフルエンザ検査もさんざん待ったので、その間に罹ってしまったかもとまたまた心配。ええい面倒くさい、もう早く罹って欲しいとねじれた感情に。

そんな流れで何ですが、本年も宜しくお願いいたします。

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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