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December 19, 2009

終わる世界 その2

(承前)電車が遅れると言えば人身事故に限らずいろいろな理由がある。何年か前、混雑の中なんとか確保した座席に座りうとうとし始めたところへ、四谷で止まったままなかなか発車しないのでまた人身事故かと訝しく思っていると、同じ車両の奥でなにやら揉めている気配があった。それは痴漢を訴えられた男性が身の潔白を主張しながらドアに掴まって動こうとしなかったからだった。おそらく乗客の一人と思しき男性に引きずり出されるのを必死にドアに手を掛け「天地神明に誓ってやっていない!」と叫ぶ五十歳位で会社員風の男性は、見たところ人品卑しからぬとても痴漢をしそうな感じではなかったが、引きずり出そうとする若い男性はどういう確信があるのかわからないが、とにかく降りろ、と叫んでいた。訴えられた男性は降りたら最後と思ったのだろう、なかなかドアに掛けた手を離そうとしなかった。この騒ぎで十分程も遅れた。あれから彼はどうなったのだろう。もし冤罪だったらと思うと恐ろしくなる。

そんなことを書いているうちにまた記憶に蘇ってきたことがある。これも中央線での帰宅途中、相変わらずの満員電車に乗客が犇めきあっているなかで、その混雑がある場所からじわじわと強くなっているのに気がついた。良く見るとドア付近でサングラスを掛けた男が女性に向かって話しかけているのだった。始めはその声がよく聞こえなかったのだが、次第に聞き取れるほどの大きさになった。端から見ると二人は知り合いのように見えたが、その話の内容が聞こえて来るにつれ耳を疑った。混雑が強くなってきたと思ったのは、その男から周囲の乗客が離れようとしているからだった。その話とは何だったのか。「俺はいま鞄のなかに包丁を持ってるんだよ。いま出しても良いんだよ。」と聞こえた。女性はおそらく何の関係もない乗客の一人のようだったが、恐怖に固まっていた。こんな話を聞いてしまった周囲の乗客がいかに満員電車で身動きが取れないとはいえ男から離れたくなる気持ちはよく分かる。かくて、立錐の余地もない車両に男を中心にして輪が出来たのだった。しかもこの電車は中央特快だったため中野から先は三鷹まで止まらず、これは周囲の人々に取って耐え難い長い時間に思われた。

ようやく三鷹につくと乗客が降りようとする前にその男が先に降りた。安堵してその行方を見守っていたが、ドアが閉まって発車する際にその男がホームを赤ん坊のように四つん這いになってまるで地面の上のなにか小さなものを捜すかのようにあたふたと這っているのが見えた。これは誰がみても異常な行動だ。風体は少々お洒落ともいえる着こなしの三十前後の男だったが、一体あれは何だったのか。精神の病かもしくは薬物関係か。

いつもながらに話があらぬ方向へ行ってしまったが、須原一秀著「自死という生き方」(双葉社、2008年、双葉社新書、2009年)は、自死の積極的な選択は容認されるべきでそれを受容する社会が必要だと説き、それを自ら証明するかのように2006年に自宅近くの神社で縊死した、これはその遺稿だ。「新葉隠」と題したその一編は、自然死を否定するものではないが、病での自然死は多くの場合悲惨なものであり充分納得した上でのひとつの選択としての自死の自由が保証され、それを受容する社会と生き方があるべきだという論考だ。通常の自殺と異なる意味でここでは自死という語を使い、鬱病の果ての、また借金や失恋などの理由ではない、冷静な自殺というものがあると主張する。解説の浅羽通明が指摘するようにこの著には他者への視点が欠けているというのはその論を読み進めて行く内に小生も感じたことではあるが、一方、充分な思考を経ずに頭から自死はインモラルで非常識であると間違いなく言えるのかとも思う自分もいる。将来のある若い人にいたずらに死なれても困るが、老いてどうしようもなくなるのが分かったとき、変な話ではあるが元気な内に自ら清々と生を整理してしまうことを少なくとも完全に否定できない自分もいる。いわゆる安楽死論は欧米でも何度も議論されてきたが、その根底にはキリスト教的背景があって日本人の心性になじまない気もする。果たしてこれは危険な書なのか、それとも生き方のバリエーションとして認知されうるものなのか。忌避することなく議論を深めるべきなのではないかと思った次第。

自死という生き方 (双葉新書)

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Comments

カート・ヴォネガットの初期のものに人口爆発を防ぐための社会装置としての「自殺パーラー」というのが出てくるのがありましたね(いや、キルゴア・トラウトの作品ということで作中作として出てきたのだったか。)

いずれにしても、その自殺パーラーにおもむいた者は、そこで美しい記憶の映像を見せてもらって、おいしい物も食べて、満足して死んで行くという話だった。

人口爆発には昔観た映画、ソイレント・グリーンの方法もあるかも。
ヴォネガットの作品は未見ですが、この本の解説で浅羽通明は参考になる小説を二作挙げています。
 筒井康隆「銀齢の果て」
 朱川湊人「鉄柱(くろがねのみはしら)」
どちらも未見ですが今後ご紹介の作品とともに読んでみたいと思います。

自殺が増えているという話はメディアではこの不景気とともに語られるのが普通ですが、もっと生物学的な理由もあるのかも知れないと思うこともあります。人が生活できなくなるほどに増えるのを押さえるための自律的な調節作用なのかも知れないとか、あるいはアポトーシスとして人間という種、遺伝子が自己保存のためにある率を以て発生させているのかも、などと。
こうなるとSFになっちゃいますね。

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    渡辺克巳

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    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



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