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8 posts from December 2009

December 26, 2009

『prints 21 特集・楳図かずお』

prints (プリンツ) 21 2010年春号 特集・楳図かずお [雑誌]

楳図かずおの漫画家デビュー55周年記念特集。楳図先生といえばNHKでいま4コマ漫画の講師をされておられるが、4コマ漫画はともかく、そこににじみ出る人柄がほのぼのしていて毎回ついチャンネルを合わせてしまう。
小生が京都に住んでいた頃、偶に厭世的な気分になったときに(笑)何度か宿坊に泊まりに行った高野山の、和歌山高野町のお生まれだそう。恐怖漫画の源泉はこんなところにあるのかも。グワシ!

■関連エントリ
- 楳図かずおと兵隊やくざ / 『恐怖への招待』: 月球儀通信
http://azusayumi.tea-nifty.com/fragment/2007/08/post_a4ce.html
- 楳図かずおと鳥肌実: 月球儀通信
http://azusayumi.tea-nifty.com/fragment/2005/04/post_5608.html
- 神保町に「触れ太鼓」 / 楳図先生をお見かけする: 月球儀通信
http://azusayumi.tea-nifty.com/fragment/2007/09/post_2555.html

December 25, 2009

昔の本

年末ということで殊勝にも仕事場の机周りを整理してみたのだけれど、引き出しの奥に宝くじのハズレ券や期限切れのイソジン、劣化してべとついた輪ゴムの束にクリップがめり込んでくっついた物体など得体の知れないものが次から次に出てきて、何これ、現代美術?などと自分自身にツッコミながらごみ箱へ捨てて少々すっきりした。何年も仕事中の足置きに使っていてそもそも何が入っているかをすっかり忘れていた足元の段ボール箱に気付いて開けてみると、出てきたのは昔、仕事の行き掛けに電車で読んだ本だった。

中身は、大沢在昌の単行本三冊、篠田節子の単行本と文庫各一冊、柳美里の文庫一冊、林静一の「赤色エレジー」、徳南晴一郎の気が触れたような漫画本一冊、原寮「愚か者死すべし」、田中長徳「名機礼讚」、新潮の池波「剣客商売」三冊、倉田精二の新潮社フォトミュゼ「ジャパン」、それに何故か岩波の「定家八代抄」上下巻がここ何年か毎日小生の足で踏みにじられていたのだった。

なかでも、林静一と倉田精二を足蹴にしていた罪は重い。それ以外の作家は踏み付けて良いという訳ではないが。

「ジャパン」は以前、家の本棚を探したことすらあったのだが、こんなところにあったとは。

早速出して整理したが、さて来年、足置きはどうしようかと(笑)。

December 22, 2009

犬の記憶

ここ何日かのエントリを見返してみると、何故か犬ばかり出て来て自分でも笑ってしまったが、以前、家では実際に犬を飼っていた。とはいえ、それは自分の産まれる何年も前のことで、新婚間もない両親が人づてに譲り受けた雌のコリーだった。著名な女優の名前を借りてケリーと名付けられたが、何年も生きないうちに道端の毒を食べて死んだ。散歩の折に首輪を外すと、両親の前を先に進んでは、まだ来ないの、とでも言うかのように振り返って首を傾げる仕種が可愛かったと母親に良く聞かされた。ある日、庭の犬小屋で鳴きやまず、脚を良く拭いて台所に上げてやると喜んで、食事中も大人しくテーブルの下でお利口にしていたらしい。

何を食べたか分からないが、それがもとで死んだケリーは人間なら夭折の年齢だったろう。父親は泣きながら彼女をリヤカーに乗せ、近所の多摩川の河川敷に埋めに行った。まだ戦後十年程が経ったばかりのことだ。

その後、直ぐに姉が産まれた。小学生の頃にそのケリーの話を両親に聞いて、何故か直感的に姉はケリーの生まれ変わりと感じた。彼女はこのサイトを知らないので勝手に書いている訳だけれど、実は偶然にも戌年生まれでもあって、いまでは笑ってしまうが小学生の小生にはどういうわけか確信めいたものがあったのだ。ケリーの犬小屋があった庭の片隅にはいま金木犀が植えられていて、花の季節になる度にこのケリーの話を思い出す。

父親が撮ったと思しい若い時分の母親に寄り添うケリーの写真のネガがあるのだけれど、母親の顔を出すのは少々憚られる。それにケリーの肖像権ならぬ肖ワン権もあるし(無いか)。気が向いたらあとで母親をトリミングしここにアップするかも知れない。

近所にいとこがやっていた商売屋があって、そこにはポインターのエスがいた。ポインターはもともと猟犬で、仕留めた獲物の場所に主人を案内する、つまり指し示すのが仕事の俊敏そうな犬だ。だがエスの記憶は余り無い。何故エスという名が付いたのかも知らない。だが小生の夢によく登場するのがこのエスなのは何故なのだろう。

この間、同僚の女性に、azuさん(小生のこと)って犬みたいですねというか犬めいてますよどちらかというと大型犬ですねやっぱり前世は犬だったんですよねどうですか図星でしょう?と言われて面食らった。もしかして前世が犬なのは姉ではなく自分なのかも知れない。

December 21, 2009

背脂と仁

このあいだ食べたカップラーメン、青葉は中野の青葉の監修で、結構本物の特徴をよく掴んでいてなかなか美味しかった。青葉の本店には開店当初はよく行ったが、その頃はまだブレイクする前で待たずに食べられた。それがある日を境に、突然二百人ほどの行列が出来ていて驚いた。美味しいとは思うがそんなに並んでまでは食べる気にならない。そういう時は近くの山頭火へ行って既に出来上がっているラーメン脳を納得させるのが常だった。

とはいえ山頭火もかなり美味しいのだが、どんな美味しいものも食べ続けているうちに飽きてしまう。そもそも最近は歳の所為か(とはいえそれほどの歳でもないので誤解なく)、喜多方ラーメンのようなあっさり味がよくなっていて、昔のようにこってりしたものほど嬉しいという時代はとうに過ぎてしまった。背脂系などは最近は見るのも嫌だ。第一、運動不足で自分の背油が心配な位なのだから。

昨日最終回を迎えたTBS系ドラマ、「JIN -仁-」は酷かった。そんな終わり方はないだろうと思う。それまで散々乗せておいて最後に謎の一片も明らかにならないというのはどうなんだろう。グラフで言えば右上がりに盛り上がりを見せた曲線が最後に急激な下降線になっているような、ま、グラフで言わなくてもよい訳だが、散々目の前にご馳走を並べられておいて、ヨシ、と言われた途端、さぁ散歩に出掛けるぞとご馳走を引っ込められ、いや、散歩は明日にしようと言われた犬のような気分。例えが面倒臭いが。

続編を作るにしても区切りとしてもう少しスッキリさせる脚本は書けないものだろうか。こういうティザー風味の戦略に乗るにはこちとらひねくれ過ぎているもので。

そんなこんなでもう年末。

December 20, 2009

さて、来年の手帳は

来年の手帳をどうするかをここしばらく考えていた。ここ数年使っていたモールスキンにするか、それともまた別のものを試すかでいろいろな手帳を物色していたのだが、そんなところへ写美の「東京都写真美術館 ミュージアムダイアリー2010」を貰ったのでこれに決めた。

今年のテーマは木村伊兵衛だ。各月に12枚の作品が配されている。ハードカバーで薄い写真集といった趣き。書き込むのが少々勿体ない。

↓こんな感じです。
http://www.syabi.com/extra/goods2010.html

December 19, 2009

終わる世界 その2

(承前)電車が遅れると言えば人身事故に限らずいろいろな理由がある。何年か前、混雑の中なんとか確保した座席に座りうとうとし始めたところへ、四谷で止まったままなかなか発車しないのでまた人身事故かと訝しく思っていると、同じ車両の奥でなにやら揉めている気配があった。それは痴漢を訴えられた男性が身の潔白を主張しながらドアに掴まって動こうとしなかったからだった。おそらく乗客の一人と思しき男性に引きずり出されるのを必死にドアに手を掛け「天地神明に誓ってやっていない!」と叫ぶ五十歳位で会社員風の男性は、見たところ人品卑しからぬとても痴漢をしそうな感じではなかったが、引きずり出そうとする若い男性はどういう確信があるのかわからないが、とにかく降りろ、と叫んでいた。訴えられた男性は降りたら最後と思ったのだろう、なかなかドアに掛けた手を離そうとしなかった。この騒ぎで十分程も遅れた。あれから彼はどうなったのだろう。もし冤罪だったらと思うと恐ろしくなる。

そんなことを書いているうちにまた記憶に蘇ってきたことがある。これも中央線での帰宅途中、相変わらずの満員電車に乗客が犇めきあっているなかで、その混雑がある場所からじわじわと強くなっているのに気がついた。良く見るとドア付近でサングラスを掛けた男が女性に向かって話しかけているのだった。始めはその声がよく聞こえなかったのだが、次第に聞き取れるほどの大きさになった。端から見ると二人は知り合いのように見えたが、その話の内容が聞こえて来るにつれ耳を疑った。混雑が強くなってきたと思ったのは、その男から周囲の乗客が離れようとしているからだった。その話とは何だったのか。「俺はいま鞄のなかに包丁を持ってるんだよ。いま出しても良いんだよ。」と聞こえた。女性はおそらく何の関係もない乗客の一人のようだったが、恐怖に固まっていた。こんな話を聞いてしまった周囲の乗客がいかに満員電車で身動きが取れないとはいえ男から離れたくなる気持ちはよく分かる。かくて、立錐の余地もない車両に男を中心にして輪が出来たのだった。しかもこの電車は中央特快だったため中野から先は三鷹まで止まらず、これは周囲の人々に取って耐え難い長い時間に思われた。

ようやく三鷹につくと乗客が降りようとする前にその男が先に降りた。安堵してその行方を見守っていたが、ドアが閉まって発車する際にその男がホームを赤ん坊のように四つん這いになってまるで地面の上のなにか小さなものを捜すかのようにあたふたと這っているのが見えた。これは誰がみても異常な行動だ。風体は少々お洒落ともいえる着こなしの三十前後の男だったが、一体あれは何だったのか。精神の病かもしくは薬物関係か。

いつもながらに話があらぬ方向へ行ってしまったが、須原一秀著「自死という生き方」(双葉社、2008年、双葉社新書、2009年)は、自死の積極的な選択は容認されるべきでそれを受容する社会が必要だと説き、それを自ら証明するかのように2006年に自宅近くの神社で縊死した、これはその遺稿だ。「新葉隠」と題したその一編は、自然死を否定するものではないが、病での自然死は多くの場合悲惨なものであり充分納得した上でのひとつの選択としての自死の自由が保証され、それを受容する社会と生き方があるべきだという論考だ。通常の自殺と異なる意味でここでは自死という語を使い、鬱病の果ての、また借金や失恋などの理由ではない、冷静な自殺というものがあると主張する。解説の浅羽通明が指摘するようにこの著には他者への視点が欠けているというのはその論を読み進めて行く内に小生も感じたことではあるが、一方、充分な思考を経ずに頭から自死はインモラルで非常識であると間違いなく言えるのかとも思う自分もいる。将来のある若い人にいたずらに死なれても困るが、老いてどうしようもなくなるのが分かったとき、変な話ではあるが元気な内に自ら清々と生を整理してしまうことを少なくとも完全に否定できない自分もいる。いわゆる安楽死論は欧米でも何度も議論されてきたが、その根底にはキリスト教的背景があって日本人の心性になじまない気もする。果たしてこれは危険な書なのか、それとも生き方のバリエーションとして認知されうるものなのか。忌避することなく議論を深めるべきなのではないかと思った次第。

自死という生き方 (双葉新書)

December 13, 2009

終わる世界

東京の路線では最近毎日のように人身事故が発生している。この間などは御徒町で人身事故、ほぼ同時に五反田で人身事故、そこへ中央線の架線事故が重なって出勤が大幅に遅れてしまった。ひと頃、中央線は人身事故、有り体に言えば鉄道自殺のメッカと言われ、その人身事故に線路内立ち入りというよく分からない事故のジャンルを加えれば統計的にはさらに増加するのではないかと思う。年末、年度末の12月、3月は殊更多い。ほぼ毎日、線路に人が立ち入ったなどと繰り返していて、ダイヤの乱れと言えばまた中央線で自殺かと思ってしまうのだが、それが最近は他の路線でも増えているように感じる。考えてみればそれほど日常的な事象として人の生き死にが身近にあるのも驚くべきことなのかも知れないが、余りにも数が多いと何も感じなくなってしまうのかも知れない。こんなエントリは以前も書いたかも知れないがちょっと続けてみる。

何故、中央線で自殺が多いのかという話がまことしやかに語られるが、例えば軌道が直線でスピードが出ており容易に止まれないからとか、そもそも中央線は皇族が東京駅から多摩御陵に参拝するために敷設したものでいわばお墓参り用の路線だったからなどの都市伝説めいた話は小生が中学校の頃からあった。小生の中学校は某所の中央線沿いにあって毎朝踏切を渡って通学していたのだが、当時は線路間際まで家が建ち並んでいて、巾1mに満たない踏切が多くあった。勿論そんな小さな踏切には遮断機などある筈もない。家々の生け垣などで視界が悪く、自殺志願者でなくとも耳の遠いお年寄りなどが偶に事故に遭っていた。級友の家もそんな線路沿いに多くあって、今朝の事故でその遺体の一部が庭に転がっていたなどの噂話もよく聞いた。現実に見たわけではないし具体的にそんな目に遭った級友の家が存在したのかも知らないが、かなり説得力のある話ではあった。路線の軌道が直線という理由で自殺をする人がいるとも思えない。しかしひと頃これも名所として飛び降りが多発した高島平団地とも共通するのは、誰かの実例がある場所というものはそれに続く者の人間心理としてなにか安心するものが生まれるのだろうと思う。

嫌な話だとは思うがもう少し続けてみる。中学生の頃放課後に遊んだ線路際の公園で野球をしながら、一学年上の先輩が当時夕方放送されていた「ぎんざNOW」という番組(これは関根勤が当時ラビット関根として、また桜金造やハンダースが素人コメディアン道場というコーナーでデビューしたおそらく東京ローカルの中高生向け番組)に出るという話をこの公園で聞いて、そのコーナーとは片思いの人に告白するコーナーなのか、それとも下らないゲームなのかを野球を中断して話していたところへ、近所のおばさんが線路を指さしながら半狂乱で誰か助けてと公園に駆け込んで来て全員が戦慄した。線路に子供が立ち入ったのかと思ったからだ。おそらくまもなく電車が来るだろうことは誰しも容易に想像できた。しかし良く見ると線路の間にうずくまっているのは子供ではなく犬なのだった。

公園と線路は接しており、高いフェンスで仕切られているだけだ。だがそれをよじ登って、自らの危険を冒してまで犬を助ける者はいなかった。果たして電車がやってきたが線路の狭間に助けられて死なずに済んだ。その後すぐに誰か大人が犬を抱えて連れ戻した。変な話だが、こちらの騒ぎを見ながら飼い主のもとに戻ろうとせず線路にうずくまっていた犬、あれは自殺をしようととしていたのではないかといま思う。動物がそんなことを考えるのかは分からないが。

90年代には当時マスコミも賑わせた自殺サイト、「終わる世界」があって今でもそれを保存したミラーサイトが存在するが、これは自殺の日を決めて毎日の日記でカウントダウンしてゆくという衝撃的なもので、それが真実なのか単なる創作なのかが議論になったようだ。今ならそんなサイトを作ればすぐに通報され削除されてしまうだろう。当時はまだネットは混沌としていたしそれ以前のパソコン通信時代にもそんな書き込みはあっただろうと想像する。
http://web.archive.org/*/http://zedoc.itgo.com/
(Internet archiveでの保存ページ)

そんな話を思い出したのは、須原一秀著「自死という生き方」(双葉社新書、2008年)をこの間読んだからだ。

(つづく)

December 06, 2009

犬の自覚とソトゴトと仁、もしくはお茶の水渓谷などなど

よく若い頃には休日の朝にいくらでも眠れたが最近歳のせいか早朝に目が覚めてしまい眠れなくなった、眠るにも体力が必要だからなどという人がいるが、小生の場合決して若くはないのだが何故かいくらでも眠れてしまい、土曜の朝など気がつくと十時を回っていたりする。ひょっとすると睡眠障害なのかも知れない。もしかして嗜眠症?それとも金曜の夜にタモリ倶楽部を見つつ読書などして夜更かしをするからかも。NHK版タモリ倶楽部とも言うべき、いやこれはタモリ倶楽部のパクリではないかとも思える番組、ブラタモリは最近のお気に入りで毎週観ている。先週は文京区の本郷台地を特集していたが、そのなかで御茶の水の渓谷は治水の為に江戸初期に人の手で掘られたものだったという話には驚いた。あれは自然ではなく人工の、しかも手堀りで作られたものだというのは驚愕の事実。これは久々の驚き、まるでいままで母親だと思っていた人が実は女装した男だったというに等しい驚きだ。気味の悪い例えではあるが。

で、休日の遅い朝に近所を散歩していると、前に二匹の犬を連れた若い女性が歩いていたが、それを見るともなく見ながら、あの二匹の犬たちはそれぞれ自分を犬と認識しているのだろうかとふと思った。自分の横を歩く主人ともう一匹の犬を見ながら、自分はそのどちらの仲間なのかを明確に分かっているのだろうかと。もしかして自分は人間でもう一人の人間と一匹の犬と散歩をしていると思っているかも知れない。それにしては何故首輪を嵌められているのかを疑問に思っていたりして。それとも自分は犬に属している、というか犬族としての自覚が明確にあって、主人は別の種の生き物なのだと分かっているのか。どっちなんだと犬に直接聞いてみたい衝動に駆られたが、そんなことをすると通報されそうなのでやめておいた。そういうお前は実はネコじゃないか、などと言われるのも怖いし。にゃん。

最近のお気に入りの番組といえば、先のブラタモリと同じくNHKの土曜ドラマ「外事警察 ソトゴト」、それにTBS日曜の「JIN -仁-」だ。この二つのドラマは久々に素晴らしい。前者は麻生幾の原作になる公安警察を題材にした重厚な大人のテイスト、後者は現代の外科医が幕末にタイムスリップするという医療系SFとも言うべきヒューマンドラマで毎回感動。両方ともDVDが発売されたら借りて通しで観たい気にさせる作品だ。共に年内に最終回を迎えるが、毎週末が待ち遠しい。

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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