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June 29, 2009

人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり

誰の詠んだ歌だったのかはすっかり忘れていたが、ふと口を衝いて出た。随分理屈めいていながら少々の未練も感じさせる、見方によっては駄々っ子のような青臭い歌だなどと個人的には思うが、調べてみると西田幾多郎の歌だった。京都の哲学の道に碑が立っているらしい。京都には通算十年近くも住んでいたが、普段、独りでは行かないこの場所も、京都に住んでいるというだけで宿代が浮いたと単純に思うことの出来る人達が時折り訪ねてくるときには、意地悪くも殊更京都らしい場所に案内して歩く、そういう場所の一つだった。南禅寺の大門を見せて湯豆腐を食べ、この哲学の道を歩かせるだけで喜んでいたが、そもそもこんなに人出の多過ぎる道を歩いて何が嬉しいのか、では新宿に行けばもっと嬉しいだろうと思うのだが、なかにはありきたりの京都では面白くないから、もっと観光ずれしていないところへ連れて行けという人向けに、全然面白くないかも知れないが、自分の気に入っている場所ならあるのでと文句は言わないことを約束させて連れて行く場所があった。それは寂れた喫茶店だったり、河原町の何の変哲もない一角だったりしたが、それを分かってくれるひとには喜ばれた。

京都は何年住んでも永遠に部外者は部外者のままであり、そのエトランジェ気分を少々辟易するほどに楽しめる人が住むには良い場所だ。まさしく都会の、いや都の孤独を味わい感傷に耽るのには打ってつけの街なのだ。干渉しなさ過ぎることの自由を一度知ってしまったら、永遠の傍観者として独り住いするのにこれほど良い街はない。そんなことを何故か思い出してしまった。

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邦画によく出てくる古いアパートに住みたいと思うことがよくある。例えば、刑務所帰りの男が当座に転がり込むような、田舎から東京に駆け落ちした男女が訳知りの不動産屋に紹介してもらうような、そんな黴の饐えたような古さに、余計な家具を置かずがらんどうのような部屋でひっそりと息を殺して暮らしてみたい。

最近何作かの邦画を観たが、そのなかにもいくつか、どうやってこんな良い具合に古びたアパートを捜してくるのだろうとほれぼれするような物件があった。一度「邦画不動産」というシリーズでコレクションをしてみようかと考えているのだが果たして。

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