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June 12, 2008

父は秋葉原を「あきばはら」という

先週の秋葉原の事件が世間を震撼させているが、丁度その日は一日に何度もリセットを繰り返さなければならない程古くなったPCを買い換えるため秋葉原に行こうと思っていたので、もし行っていたらと思うとぞっとした。急な別の用事が出来たために行けなくなったのだが、多分、行っていたとしたら丁度事件の時刻に歩行者天国を歩いていたかも知れないタイミングだった。先頃テレビの番組で日本における近頃の犯罪率は増加しているという感覚があるが実は年々低下しており、そんな感覚を受けるのは以前は報道されなかった事件の数々がメディアの発達によって知らされるようになったためにさも犯罪が増加しているように感じているだけなのだという話をやっていたが、その量はともかくも、質は凶悪になってきているような気がする。発生率ではなく強度率が高まっているという感覚が依然として拭い去れない。怨恨や物盗りという勿論犯罪自体首肯は出来ないがある意味多少なりとも情状が手繰れる事件から、今回のような無差別殺人という容易には理解し難いケースが増えているという感覚だ。

しかも最近その犯罪が異常であればあるほど裁判では被告に有利となるような判例ばかりなのは納得できない。人権派と言われるような弁護士が主張するおきまりの詭弁、犯行時の心神喪失というリアリティが増すからだ。人を一人殺すより十人を、しかも出来るだけ異常な方法で殺せば結果的に罪が軽くなってしまうという矛盾。被害者より加害者が守られるという司法のあり方こそ異常と言わざるを得ない事件が多い。

今回の事件でも一部報道があったが、逮捕拘束する前に一度警官が路地に犯人を追いつめたがそこで身柄の確保が出来ずに犯人は再び路上に飛び出して数人を刺傷したらしい。iza!でのニュースだったと思うが今捜すと見つからない。誤報で削除された可能性もある。しかしそうとすればこの路地に追いつめたとき何故発砲しなかったのだろうか。確かに歩行者天国ではその使用は危険だが路地での発砲は出来た筈だという。行きすぎた人権思想が警官の適正な拳銃使用を過剰に抑制し、結果的に被害者を増やしてしまったということはないのか。こういう見えない部分の検証をこそ是非やって貰いたい。

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