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February 26, 2008

仰げば尊し

子供を持たない小生には分からないが、今も卒業式では「仰げば尊し」を歌うのだろうか。
小生の場合、小学、中学とも卒業式でこの歌を合唱した記憶があるが、幾度となく行われた練習で教師に音程が低いだの発声が悪いだののダメ出しをされながら、何で教師その人自らに「我が師の恩」などと歌わされるのかの理不尽を思ったものだった。教師が自分で「仰げば尊し」と半ば強制的に言わせるというのはちょっとおかしいと毎回歌う度に思っていたが、当時その殆どは某教職組織に属していて、休日に駅前に遊びにゆくと、覚えのある顔の何人もが得体の知れないガリ版刷りのビラを配っていて気味が悪かった。そんなときは通りすがりにも目が合いそうになるのを堪えて無視を貫徹したが、いまから思うとかなり偏向した授業を行っていたものだと思う。

小生の中学生当時は60-70年代の熱狂から醒めたいわゆるシラケ世代で、それでもそれまでの経験から学内ででの反抗を未然に防ぐノウハウの全てを熟知した教師たちがともすると暴れ出しそうになる年頃の背反の芽を全て事前に摘んでしまって、おとなしくて人畜無害な子供を生産するのにいそしんでいた。
そんななか月曜の朝礼での、君たちは大人しすぎてふがいない、もっと自己表現をしなさい、というような訓辞を聞きながら、その芽を一生懸命摘んでいるのは誰なのかと子供ながらに馬鹿馬鹿しくなった思い出がある。

どうも自分は内心ひねくれた子供だったような気もするが、はた目には多分良い子だったと思う。つまりずるがしこい嫌な奴だったかも知れない。尊敬できる教師に恵まれなかった不運をいまだに引きずっているような気もする。

  いまこそ別れめ いざさらば

この「別れめ」、を「分かれ目」と勘違いしているひとがあったりする。確かに比喩的には人生の分かれ目でもあるかも知れないが、「こそ」に掛かり結んで「別れむ」が已然形に活用して「別れめ」となったもので、この手の文語の勘違いは多いかも知れない。

しかし教師が子供に「仰げば尊し」などと歌わせるのはいかがなものか。しつこいですね(笑)

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