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12 posts from August 2006

August 28, 2006

蜷川実花 / 『さくらん』

少々話題としては遅いのかも知れないが、来年2007年春に公開予定の映画「さくらん」は、写真家の蜷川実花がメガホンを取った彼女の初監督作品だ。原作は安野モヨコ、脚本にタナダユキ、主演は土屋アンナ。既に先日クランクアップを終えたという。
舞台は江戸時代の吉原で、その話の内容はともかく、蜷川のビビッドな色遣いが映画でどのように発揮されるのかを見てみたい。
既にフライヤーが出来ていて入手したが、いかにも蜷川らしいなカラフルさで嫌が応にも期待が膨らんでしまう。

■関連サイト
- 蜷川実花監督作品「さくらん」公式サイト
http://www.sakuran-themovie.com/

August 27, 2006

清家冨夫 in "gallery bauhaus"

アルカリブログさんの記事に、神田明神近くに新しく写真専門のギャラリー gallery bauhaus がオープンするとのこと。サイトによるとコンセプトは「最上級のオリジナルプリントの展示」ということで、デジタル化する背景でこの方向性は以前にも増して意味を持つものと思う。グラビアやインクジェットプリントなどの複製物とアーカイバル処理された銀塩のオリジナルプリントとはまるで別物だと思うからだ。写真は複製芸術と言われるが、以前にも書いたようにプリントはそれ自体が工芸品だ。それは陶磁器の図版を収録した書籍と陶磁器実物との比較に等しい。
銀塩乳剤に焼かれた無限の黒がダイレクトに眼に触れる機会がまた一つ増えたことは嬉しい。まさに眼の愉悦だ。しかも小生のホームグラウンド、お茶の水ということでさらに楽しみが加わった。

こけら落とし(というのかどうか)は「清家冨夫写真展 SEIKE TOMIO WORKS 1987-2004 モノクロームの時間」で会期は9月12日から10月28日とのこと。

清家の作品に出会ったのは84年に今はなき「PHOTO JAPON」誌に掲載された女性ポートレイト作品「ZOE」だった。PGIのプロフィールによれば、丁度この頃コマーシャルからファインアートフォトへと転身し海外に拠点を置いた活動を開始したとのこと。書棚を捜してみたものの何故かその号が見つからなかったが、焦点深度を浅くすることで背景の闇に次第に溶け込むアウトフォーカスのグラデーションが美しく深い精神性を感じさせるものだった。確かライツのノクティルックスが使われていたと思う(違うかも知れない)。ちなみにこの号にはZOEの全紙大のポスターが付録されていて、吉祥寺ユザワヤでわざわざハレパネを買って表装し、随分長い間部屋に飾っていた。
オリジナルプリントを標榜するギャラリーにふさわしいアーティストだと思う。とはいえ、まだプリント実物は未見なので今から楽しみだ。

■関連サイト
- gallery bauhaus
http://gallery-bauhaus.com/top.html

- アルカリ 同ギャラリーのキュレイター タカザワケンジさんのサイト
http://alkali.gooside.com/

August 26, 2006

牡丹灯籠 in 阿佐ヶ谷


阿佐ヶ谷北口にあるLaputa阿佐ヶ谷で「和製ホラームービーコレクション」を特集していて、今日、山本薩夫監督「牡丹燈籠」を観に行った。いやそもそも65年の仲代達矢、岡田茉莉子主演「四谷怪談」をやっているものばかりと思っていたが、またまた早トチリ。上映スケジュールを見間違えていたようだ(やはりアルツか。)

この「牡丹燈籠」、主演の新三郎に本郷功次郎、零落し吉原の苦界に沈められて自害し幽霊となって新三郎に取り憑く武家の娘、お露に赤座美代子。ほか西村晃、志村喬、小川真由美など。赤座はこの作品が実質デビュー作となった。圓朝の著名な怪談噺を山本薩夫の正統的映画文法で描いた作品。脇を固める西村晃と小川真由美の小悪党夫婦や志村喬がいい味を出している。しかし、幽霊と契るというのは古今東西、類話があるそうだが、生者の魂を吸い取りやがて死に至らしめるという結末も同じらしい。しかし最近はこういう安心して観られる映画の少ないこと。1968年、89分。

Laputaは古い邦画専門の映画館でキャパも50席と小さいが上映前の広い待合い室や小さな池のあるたたずまいに街からの適度な隔絶感があって落ち着いた気分になれる。(写真のポスターはモーニングショー上映中の団令子特集。)

■関連サイト
- Laputa 阿佐ヶ谷
  http://www.laputa-jp.com/

August 25, 2006

森山大道 / 『25時 shinjuku, 1973』

隅田川にかかる清州橋のほとり、清澄の巨大な倉庫の業務用エレベータを上るといくつかのギャラリーを集めたフロアがある。その一つ、タカイシイギャラリーで展示中の映像作品、森山大道の「shinjuku 1973. 25pm」を観に行った。
先日このblogでも書いたようにこれを観ようとここを訪れたのだが、日曜日やお盆の休廊で二度も引き返し、今日三度目の正直で漸く観ることが出来た。

エレベータを降り、ギャラリーに入るや、なんと森山大道その人が目の前におられて心底吃驚した。

吃驚したというより、夢でもみているのかと衝動的に頬をつねりたくなった。高校生の頃に現代カメラ文庫「遠野物語」に出会ってからまさしく森山に影響され続けた、そのご本人を目の前にして一体どうしろというのだろう。たたずむほかないでなはないか。小生がぼーっとしているうちに若いギャラリースタッフとひとしきり談笑されてから、足早に出ていかれた。その颯爽とした振舞いに森山の作品のいくつかが思い浮かんで、一瞬彼のスナップの核心に触れたような気がした。
荒木経惟や田中長徳には新宿や銀座で幾度となく擦過しているが(このお二人、本当によく見かけます。)、森山ご本人を目の前にするのは初めてだ。二度の休廊での引き返しはこのためだったのかと思いもした。神の采配で神に出会ったということだろうか。ちょっと取り乱しています。

作品はまさしく森山の写真が映像作品となったかのような、アレ・ブレ・ボケのコンポラ調そのものだった。深夜の新宿を8mmビデオで手持ち撮影したもので、73年当時の新宿の光芒がアウトフォーカスの画面をのなかで激しく揺れ、終始かぶる映像ノイズとエンジン音やクラクションのシークエンスは、あたかもJAZZのインプロヴィゼーションを聴くような感興を起こさせる。もともと新宿区が区のプロモーション用として森山に撮影を依頼したものの、完成したこの作品が「どこの国かわからない、国籍不明の映像だったため」(ギャラリー解説より)未公開のまま眠っていた、ということだが、プロモーションとしての依頼でさえも映像表現の前で自らの世界観に妥協しない森山はそのまま彼の作家性の濃さ、写真に対するスタンスを物語っていないだろうか。本人の解説にあるようにまさしく「写真よさようなら」の8mmビデオ版だ。1973年、17分、モノクロ。

■関連サイト
- Taka Ishii Gallery
http://www.takaishiigallery.com/exhibition/2006/07_shinjuku-1973-25pm/japanese.html

August 24, 2006

うなぎと内視鏡

一昨日の夕食にうなぎを食べたのだが、ふと油断して小骨をのどに引っ掛けてしまった。なかなか取れずそれほど痛くないものの異物感で不快なまま翌朝を迎えたが、まだどうも小骨が取れずに相変わらず痛いので、昨日仕事を抜け出して耳鼻咽喉科へ行った。
医者はまだ若い女医だったが、意外にこんな小骨を詰まらせた患者はそう珍しくないとみえて、一通り喉を覗くと、「見つかりませんねぇ。もう少し精密に見てみますね。」とやおら細い内視鏡を取りだして、「はい、鼻から通しまーす。」と手慣れた様子。しかし患者の小生からすれば、え?これを鼻から喉へ入れるの?!鼻からって・・・マジっすか、というようなことは言わないまでも驚きと恐怖感のグラフが一気に跳ね上がり、うろたえつつあろうことか「鼻は右ですか、左ですか。」などという質問が意に反して口からほとばしり出て赤面したが、女医さんは、「麻酔しますから痛くありませんよー。」と質問を無視しつつも小生の心の動きを全て分かっているのだった。
鼻から喉へ管を通して嬉しそうに(嬉しいわけない)診察台に乗る小生と若い女医、しかも原因はうなぎの小骨という恥ずかしさ。幽体離脱して天井付近から見下ろしたらまるでアホのような姿なんだろう。

すると女医はそのまま内視鏡の先を口から出して「ほら、吉本芸人のほっしゃんみたいですよー。」などということは当然する筈もなく、黙々と観察していたが。

結局どうも既に抜け落ちたもののその部分が腫れて炎症を起こしているためにあたかもまだ小骨があるかのように感じられるということらしい。抗生物質をもらってデスクに帰った。
そういえば、子供のころにも一度同じことで医者に行ったことを思い出したが、そのときもうなぎだった。どうもうなぎは鬼門らしい。しかし今日もしょうもないエントリで。

August 20, 2006

明けましておめでたくないお盆かな

とうとうお盆が過ぎて世の中が夏休みモードから徐々に元に戻りつつあって、ちょっとカナシイ気分になってくる訳だけれども、blogの更新もお盆モードで久しぶりのエントリ。さて贔屓にしていたあるblogが突然の終了宣言で驚いたが、blogも引き際が肝心なのかも知れないとも感じた。blogを終えるというのは、特別に期間限定のテーマだったりしないごく普通の日記風の場合、どういう状況なんだろう、自分がこのblogを終える時はどういう理由に拠るのだろうかと少々考えた。単に漫然と書いているようなこのblogならば興味を失って恐らく放置するか、あるいは漫然と描き続けているうちにある方向性を見つけて仕切り直す為に一旦終わらせる、というようなシチュエーションならば自分にも考えられるような気がする。

お盆中に観た映画。
・『女囚701号 さそり』(1972年)
・『女囚さそり 第41雑居房』(1972年)
・『女囚さそり けもの部屋』(1973年)
・『女囚さそり 701号怨み節』(1973年)
・『修羅雪姫』(1973年)
・『修羅雪姫 怨み恋歌』(1974年)
・『無宿』(1974年)
・『しなの川』(1973年)

書籍
・『東京の下層社会 』(紀田順一郎、ちくま学芸文庫)
・『日和下駄』(永井荷風、岩波文庫)
・『色街を呑む!』(勝谷誠彦、祥伝社文庫)
・『虹列車・雛列車』(花村萬月、集英社文庫)
・『雷蔵好み』(村松友視、集英社文庫)

しかし、梶芽衣子の「女囚シリーズ」を連続して観ると頭が変になりますな(笑)。レビューは後で纏めて。「修羅雪姫」、「無宿」は梶つながり。この「無宿」は高倉健、勝新太郎、梶芽衣子という嬉しさで涙のキャスティング。「しなの川」は上村一夫つながり。梶作品はあと78年の「曾根崎心中」を観たらしばらく遠ざかろう。テレビコメンテーターというか評論家の勝谷誠彦の「色町~」は思いの外面白し。萬月の作品つながりで。

森山大道の73年の新宿を撮影したフイルム「25時 shinjuku, 1973」が発見されそれがいま清澄白川のタカイシイギャラリーで公開されていて、先々週の日曜日に行ったところ30分以上汗みどろとなって歩きやっと所在を見つけたのになんと休廊で打ちひしがれたが、気を取り直して昨日の土曜日に再び出かけたところ、お盆休みだった・・・
なんでも22日からとのこと。二度も肘鉄を食らった感じ。26日(土)の最終日にチャンスを残すのみ。
このフイルム、新宿区が街のプロモーションフィルムを森山に依頼したものの、「完成した映像は、どこの国かわからない、国籍不明の映像だったため、未公開のまま30年以上も眠ってい」たらしい。どうしても観たい映像なので再々トライか(涙)。しかし、よく調べてから出かけろと自分に説教したい気分。苦笑するしかないですね。

August 14, 2006

雷蔵、さそり、そして修羅の花

この間エントリした市川雷蔵の評伝「雷蔵好み」(集英社文庫)を読み終えたが、田中徳三や池広一夫など大映の監督への聞き書きや、雷蔵自身の手になる「雷蔵、雷蔵を語る」(朝日文庫)などの引用で雷蔵の全体像やその人となりがあぶりだされてくる好著だった。特にカツライスといわれライバルと目された大映のもう一人の看板役者、勝新太郎の登場するくだりは、いかにも勝らしいエピソードもあって興味深い。
そのなかで、「歴史読本臨時増刊 RAIZO『眠狂四郎』の世界」が資料として使われているが、この本、小生が随分長い間ネットや神保町を探し歩いていながらいまだに入手できていない。歴史読本を揃えている店は割と多いのに、どの店の棚をみても決まってこの号だけが欠落している。97年とそんなに古いものではないのだけれど。

梶芽衣子の「女囚701号 さそり」と「修羅雪姫」を借りて、まずは女囚から鑑賞。
篠原とおるの原作になるこのシリーズは梶の人気作品の一つとなった。
もう話の筋はなんといって良いか、荒唐無稽に近い設定なのだが、ほとんどセリフのない梶はまなざしだけで充分クールで魅力的だ。刑務所から脱走し復讐を遂げるときのカメラワークは70年代の反体制を背景にアヴァンギャルドだし、梶のファッションも必見。BGMはご存じ「怨み節」。怨み節ですからね。思わず口ずさんじゃいます。

で、この怨み節と「修羅の花」をカップリングしたCDを買ってしまいました。
修羅の花
リリしすぎる梶さん。惚れてしまいそうです。


ゴールデン☆ベスト
か、かおるさん、まだ居たんですか・・・

August 13, 2006

ハリソンとコント55号

最近の記事を振り返ってみると、ここが一体どんなblogなのか自分でも分からなくなってくる訳だけれど(笑)、そういうことは無責任にもちょっと置いといて、あれだけハリウッド映画を嫌っておきながらまた借りてしまった。ハリソン・フォード主演の「ファイヤーウォール」だ。でいつものことだけれどアメリカ映画って何でこんなにどれも同じなの?というくらいステレオタイプで後で思い出しても全部同じ話のように感じてしまうが如何に。しかしハリソンは随分老けたものだ。
で、どういう組み合わせか自分でもよく分からないが「コント55号とミーコの絶体絶命」(1971)を自宅同時上映。ミーコとは由美かおるのことなんですが・・・何でここ一週間というもの由美かおるばにばっかり縁があるんだろうと不思議だがそれは由美が出ている映画を自分で選んだから(笑)。いやしかし、当時も(勿論子供だった)そんなに由美かおるって好きじゃなかったのに何で?由美の呪い?んなわけないし、だから自分で選んだから!というわけで最近アースのホーロー看板が頭に浮かんでしまう日々(嘘)。
映画はどうってことないいかにもなコメディなのだが、当時の55号がみられて懐かしかった。昔は夕方近所の主婦が立ち話などしていたもので、いまは近隣とも没交渉の風潮だからこういう光景はあまりないかも知れないが、その立ち話の最中に隣の奥さんが旦那に「コント55号の番組が始まるよ」、などと呼び戻されるシーンを覚えていて、その番組は何と言ったか分からないが、夕方7時から始まっていたような記憶。勿論そのとき自分は立ち話をする母親にまとわりつくほんの子供。当時55号は人気絶頂で、欽ちゃんがサディスティックなまでに二郎さんを痛ぶるというパターンのコントだった。
この映画の当時、計算すると萩本30歳、坂上35歳(ぐらい)。二人とも今の自分より若い訳で。このとき茨城ゴールデンゴールズの事件など思いもしなかったんだろうな。当たり前か。今は各駅停車の旅などで良く出る車だん吉が改名前に「たんく・だん吉」と言っていたのをこれをみて思い出した。子供の頃握手してもらったことあり。そんなことまで。単なるアナクロで済みません。もうしばらく。

電車のなかで読もうと思い花村萬月の短編集「虹列車・雛列車」(集英社文庫)を新宿紀伊国屋にて買う。思いの外面白し。もともと花村の作品は以前に集中して読んでそのまま満腹になったつもりでいたのだが、饒舌体というのか沖縄のユタを取材する話、同じく真栄原新町で無垢な娼婦に出会う話がなかなか。

PCがこわれてしまった。正確にはCD-ROMを認識しなくなった。もう買い換え時ということだろうか。

August 09, 2006

思い切りやさぐれたい

この間大雨が降った日の夕方表に出ると既に雨が上がっていたが、ふと皇居の森を見やると夕焼けがもの凄く美しく、雨が上がったばかりの暗い雲を縁取るような赤が非現実的なほどに綺麗でしばらく見とれていた。
翌日、朝起きて鏡を覗くと左目だけがまるで兎のように真っ赤になっていて、まるで前日見つめた夕焼けが眼に焼き付いてしまったのかと一瞬思った。血圧でも上がっているのかと思ったが、どちらかというと普段低血圧なのでこれは当たらないような気がする。多分夜つけていた冷房のせいだろうと勝手に思っていたら案の定かどうか、その日の夕方にはかなり良くなった。

やけっぱちロック~やさぐれ歌謡最前線 ビクター編帰りにお茶の水駅前のCDショップを覗いてみたら、隅にひときわ目を引く盤が。
70年代のお色気歌謡というかその中でも捨て鉢な曲ばかりを集めたコンピレーション「やけっぱちロック~やさぐれ歌謡最前線 ビクター編」だ。「思いっ切りやさぐれてます。」みたいな店のPOPに思わず笑った。この「やさぐれ」という響きがいかにも70年代テイストで思わず買いそうになった。いや時間の問題で買ってしまうかも。


女番長ゲリラ~やさぐれ歌謡最前線これはシンコーミュージック発行の雑誌「HOTWAX」が企画したシリーズで、この他にも「女番長ゲリラ~やさぐれ歌謡最前線」とか男性歌手版もあり。このモンド感というか、痛いところを突かれたという感じ。
このHOTWAX誌は「1970年代の日本映画、ロック、歌謡曲が手軽に読めるカルチャー誌」だそうで、よくぞこういう雑誌をだしてくれたというような泣けてくるような企画だ。現在5号まで発行。
2号の特集は「梶芽衣子」で、なんと誌面のおよそ半分をこの梶芽衣子に割くなんて、こんな雑誌がいま出てくること自体からしてちょっと信じられないものの素直に嬉しくなってしまう。ぐっじょぶ!


狂わせたいのこれを見ながら石橋義正の映画「狂わせたいの」(97年、60分)を連想してしまったが、この映画、かなり小生のツボにはまってしまって、同じく劇場に見に行った友人とも「これ、当たりだよね。」などと話した覚えがある。
で、70年代の梶芽衣子主演の映画を観たくなった。「野良猫ロック」シリーズ辺りから借りてみようかな。


Hotwax 日本の映画とロックと歌謡曲 vol.2
「HOTWAX vol,2 梶芽衣子特集」

August 05, 2006

水中、それは夜ひらく

YOU TUBEで三上寛の「夢は夜ひらく」を久しぶりに聴いた。津軽の吹雪く海を彷彿とさせるような怨嗟と情念のこもる迫力に圧倒されながら、今までそれが宇田多ヒカルのお母さんで、赤塚不二夫のキャラクタ、ハタ坊が「ホッカイローのケイコたーん」と呼んだ藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞を替えてのカバーだと思っていたが、調べてみると元々その藤圭子版は園マリのカバーらしいことが分かってきた。
調べを進めてみると、といってもWikipediaですぐにたどり着いたのだけれど、それによると作曲は曽根幸明だが、もともと原曲があって「練馬少年鑑別所で歌われていた曲を曾根幸明が採譜・補作したもの」という。あの小林旭の「練鑑ブルース」のネリカンがオリジナルだったのか。しかもこの曲がおびただしい歌手によって歌詞を替え歌われているのをみて、既にこれは当時の時代と情念が自然発生的に生み出した特別なメロディーなのではないかと思うようになった。
このリストをみると、66年の園マリ版が最初のようで、藤圭子版が70年、三上寛が71年、その後、根津甚八やちあきなおみ、最近では大槻ケンヂまでが歌っている。
なんと言っても、藤圭子版は強烈なインパクトで記憶に残っているが、藤の「十五、十六、十七と」の十七を「じゅうひち」と発音するハスキーな声と思い詰めたような暗い美少女ぶりが頭から離れない。67年には園マリが主演の映画まで制作されている。

しかし、三上の詞は強烈だ。
このメンタリティは寺山修司の初期短歌のそれを彷彿とさせるいかにも70年代のテイストが濃い。

で、そのなかで、ちあきなおみの「夢は夜ひらく」を無性に聴きたくなってしまってお茶の水を捜したが、結局見つからず、というか中古で安いものがなく、DISK UNIONで何故か「水中、それは苦しい」の復刻アルバム「ひと目見て憎め」を買って帰った。これ昔のメンバー構成で、DVD付き。一応押さえておきました。


GOLDEN☆BEST 藤圭子版「夢は夜ひらく」

ひらく夢などあるじゃなし(紙ジャケット仕様) 三上寛版 「ひらく夢などあるじゃなし」


ひとめ見て憎め(DVD付)
何故か水中の復刻アルバム「ひと目見て憎め」を買って帰りました。


- 夢は夜ひらく (三上寛)
http://www.youtube.com/watch?v=dmUISholB3Q

August 02, 2006

ランダエタ、地元判定に泣く

今日のファン・ランダエタ x 亀田興毅のWBAライトフライ級王座決定戦は残念ながら疑問符がいくつも付くようなものだった。2度のダウンという誰が見ても客観的に間違いようのない試合内容がまるで反映されない判定。ここまであからさまな地元判定もないのではないだろうか。11Rでは足がもつれクリンチに逃げる亀田をみても、解説陣が判定前に負けと言っていたようにそれが大多数の抱く尋常な感覚だろう。

ファン・ランダエタは2005年10月30日に行われたミニマム級世界タイトルマッチで新井田豊との一戦でも2-1の判定で負けを喫した。

小生はこの試合を両国国技館へ見に行った。
テクニックや試合運びはやはりランダエタに分があるように見えたが判定負けとなった。
このときも一部で地元判定と騒がれたし、会場にいてもそういう声が挙がった程だった。
しかし、大事なことは、この試合を振り返った勝者の新井田が「勝った気がしない。」とコメントしたことだ。
この正直で謙虚な姿勢がボクシングをスポーツたらしめているのだろう。
微妙な言い方だが、ボクシングがスポーツなのではなく、ボクサーがボクシングをスポーツにしている。
それ以上はもうなにも言う気がしない。
ただ、亀田にとってここで負けることが今後に向けてある意味「良いこと」だったのだろうと思うが、担ぎ上げるテレビ局は結局彼にとって随分残酷なことをしたのではと思う。

■参考サイト
http://www.tic-box.com/doc-ikeda2/ik-index.html 

August 01, 2006

雷蔵さまの新刊

雷蔵好み小生の敬愛する時代劇俳優の一人、雷蔵さま関連の新刊が出ていたので思わず買ってしまった。村松友視の「雷蔵好み」(集英社文庫)だ。雷蔵さまは37歳の若さで亡くなるまで、勝新と並んで大映の看板スターだった。当然、小生はリアルタイムで観ている筈もなく、何年か前からビデオやDVDで憑かれたように観始め、それ以来雷蔵に「さま」が付くようになった。帝劇の地下楽屋口でジャニーズ系タレントを待ち侘びるファンと何ら変わりない心理。もうほっといて。「陸軍中野学校」や「眠狂四郎」シリーズ、ほか作品を新宿TSUTAYAで借りまくって、眼線からセリフ回し、殺陣の流麗さを堪能した。しかし、新宿TSUTAYAの品揃えはすごい。日本中探しても、これほど揃っているところはないのではと思うくらい。あぁ、こんなこと言うとライバルが増える(笑)。

この村松の作品は雷蔵さまの伝記小説だ。これから楽しみ。

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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