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10 posts from December 2005

December 31, 2005

今年一年お世話になりました

一年が経つのは早いものです。ついこの間、同じように年末の挨拶を書き込んだばかりのような気がします。と思って調べてみると昨年は挨拶をしていなかったのでした(スミマセン)。とにかく一年は早い。しかも歳を取る毎にその体感速度というか、感覚としては加速しているようにさえ感じます。

そういえば、もう今日は大晦日だというのにまだ年賀状を書いていませんでした。まずは泥縄式にこれからコンビニでハガキを買ってこなくてはなりません。プリンタもこの前動かしたのは昨年の年末だったので、ことによるとインクもなくなっているか固まって使えないかもしれません。そうするとこの年に一度、年賀状を作るためだけに使うプリンタのランニングコストは随分高いものになっているようです。
そもそも年賀状はお年始の挨拶を簡略化したもので、実際に訪問出来ない非礼を詫び挨拶の意を伝えるものと聞いたことがあります。この習慣も少なくとも郵便制度が出来てからでしょうから実はまだそれほどの歴史もないのではないかと思います。ことによると戦後?いや調べてみたわけではないので何ともいえませんが。

しかし今年は個人情報保護法の施行で、会社や学校などでも以前は配られていた名簿が廃止されるケースが多いと聞きます。かくいう小生も仕方がないので昨年の年賀状を頼りに書くしかないのですが、部署の異動や新しく組織に来た人には年賀状が出せないという状況になります。そういう意味で今年は年賀状の全体数はかなり減るのではないでしょうか。おそらくこの個人情報保護法で年賀状がEメールへと一気に取って代わるのではないかと思います。

さて、だんだん年賀状をまだ書いていないことへの言い訳めいて来ましたが、とりあえず浮き世の義理を果すためちょっとコンビニへ行って来ます。

* * *

このサイトに遊びに来て下さった皆様方、今年一年お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

(サイトデザインを変えてみました。)

December 24, 2005

雪の記憶

untitled, Iwate

雪が降ると寒さが耳のなかに
じわじわと入り込んできて
辺りが静かになる
子供の頃にそう思っていました

December 23, 2005

『本屋さんを遊ぶ!』 / 「散歩の達人」2006年1月号

たまーに買う雑誌、「サンタツ」こと「散歩の達人」誌、今月2006年1月号の特集は「本屋さんを遊ぶ!」と題して最近少しづつ増殖中の個性派書店から大型書店やネット古書店の舞台裏などが扱われていて興味深かった。
書籍離れを含めたいわゆる構造的な本屋不況も、実は工夫すれば本はまだまだ売れるということを証明するかのように、オーナーの趣味や生き方、考え方のありようを前面に押し出した店づくりの個性的な書店が増えてゆくのはこのblogでも時折言及しているようにあらためて嬉しいことだ。ネットの普及や子供への教育不足などをあたかも言い訳のように唱え続けている業界には、本当にそれが単に仕方のない世の趨勢と拱手傍観しているだけでよいのかをもう一度再考して貰いたいものだと思うが、余計なことは言わないことにして(既に言っているが)小生も良く寄る店のいくつかを含めてカタログ風にまとまっており、これを片手に一軒一軒を訪れてみたい気分にさせる。
中央線沿線の「おに吉」、つまり荻窪、西荻、吉祥寺界隈での古書店、「谷根千」、即ち谷中、根津、千駄木での魅力的な古書店の数々は、どれも「オーナーの顔が見える」という点で共通している。どこも同じ書籍の排列の店には面白さがないが、例えば同じ書籍でもその置かれる意味のありようで単に出版社別に並んでいるのとはまるで違うものとなる。オーナーの持つ世界観によって途端に輝き出すのが書籍の深いところだろう。
ほか、大型書店やコンビニ、KIOSKまでの幅広い記事がいかにもサンタツの面目躍如といったところ。
こんな特集を参考にしながら例えば自分が店舗を構えるとしたらと、たとえそれが想像であってもアイデアを練ってみるのは楽しい。

December 18, 2005

『サスペクト・ゼロ』 『サイキック・スパイ』 / リモートビューイング

自分はどちらかというと懐疑主義者ではないかと考えているものの超能力とかオーラとかそういうものが大好きで、以前福昌堂から出版されていた「パワースペース」だの学研の「ムー」だののバックナンバーを買っては寝そべりながら読んだりしている。多分そのきっかけは子供の頃に見たユリ・ゲラーの超能力番組だと思う。中野の魔窟、ブロードウェイ4階の「大予言」は精神世界専門の古書店で、暇なときに良く寄っては怪しげなゾッキ本を眺め回すのは楽しい。この精神世界という言葉がそもそもどんな経緯で作られたのかは分からないが、何故か書店で共通した分類として使われているのは面白い。その響きはいかにも胡散臭げで嬉しくなる。

さて、図書館で彷徨ううちに、いかにも退屈を紛らわせてくれそうな私好みの本を見つけ、CIA「超心理」諜報計画 スターゲイト借りて読んだ。デイヴィッド モアハウス著「CIA「超心理」諜報計画 スターゲイト」だ。70年代の東西冷戦時代に、米軍は超能力を用いて居ながらにして敵情を探るプロジェクトを極秘裏に行っていた。著者はその能力者でこの本で内情を暴いたことにより別件で軍事裁判にかけられるという顛末に。米軍はこの過程で「遠隔透視能力」(リモートビューイング=RVという)を養成するためのメソッドを確立し、プロジェクトの終了と共に情報公開され、後にその技術が公開された。モアハウスの語りは当事者ではあるが、後半は被害妄想的で次第にニューエイジ系の夢幻的な文章となり、単に精神疾患の症例のようにも受け取れるがどうだろうか。
そのプロジェクトではモアハウスの先輩に当たるジョー・マクモニーグルは、テレビ番組「FBI超能力捜査官」で日本でも有名となった。失踪者の氏名、誕生日を書いた紙を見るだけで、というよりそれすらも見ず、緻密な地図を書きながらその居所を透視する。このマクモニーグルが書いた半生記「FBI超能力捜査官 ジョー・マクモニーグル」FBI超能力捜査官 ジョー・マクモニーグルも続けて読んだ。この二人の能力には共に何らかの理由がある。モアハウスは戦地で銃弾を頭に受けてから能力が発現したといい、マクモニーグルは子供の頃に母親から受けた虐待が理由ではないかと自己分析している。
この経緯をルポルタージュしたのが、サイキック・スパイ―米軍遠隔透視部隊極秘計画
サイキック・スパイ―米軍遠隔透視部隊極秘計画
だ。この本は残念ながら既に絶版となっているがこの経緯が客観的かつ詳細に述べられている。モアハウスやマクモニーグル(本書ではマックモンイーグルと表記)も登場するが、なかでもかのユリ・ゲラーがこのプロジェクトを攪乱するというエピソードはすこぶる付きの面白さだ。
能力者のなかには透視を酷使、強要されてついには変調を来し精神疾患となってしまったり、辞職してネイティブアメリカン(いわゆるインディアン)のシャーマンになるなどの、能力者のその後も興味深い。

と、ここまで読んできたところで、これをモチーフとした映画「サスペクト・ゼロ」を発見して早速観た。サスペクト・ゼロ
作品としてはそれほどの出来でもないが上記のようなRV関連の書籍を読んだ上でみると、なかなかよく研究しているようだ。RVのメソッドもちゃんと再現しているし、また誘拐犯を追いつめる時に捜査官が紛れ込むインディアン居住地もおそらく上記の本を読んでイメージされたものだろう。ネタバレになるのでこれ以上は作品をご覧下さい。

さて、試しに「リモートビューイング」をGoogleで検索してみると、このメソッドを教授する団体やワークショップなどが相当数見つかる。しかし、これらの本で透視者の末路を読むと実はかなりの危険と隣り合わせなのではないかと思われるが、それが本当かどうかというよりむしろ一つのテーマで読み進めてゆくエンタテインメントとしてはなかなか興味深いものがある。

December 14, 2005

花束

untitled, Tokyo

投げかけた言葉もまだその場に漂っているかのようで

December 11, 2005

冬の曇り

untitled

冬の曇り空を歩くとき、どうかすると時間の感覚が抜け落ちて
今が朝なのか夕方なのか、よく分からなくなることがある。
それはまるで映画を観終えて劇場の暗がりから表に出るときの
ほのかな混乱に似ていなくもない。
橋をくぐり抜けて振り返るとホリゾントのような暗い空だった。

(少々忙しくて更新が滞っておりますが、かろうじて死んでおりません。)

December 06, 2005

『本日の水木サン』

この間、なんとなく会社を休みたくなってたまには良いかと思い、急に熱が出たことにして神保町1丁目1番地、神田三省堂をくまなく逍遙するうちに、考えてみたら熱が出ているのになんでこんな知り合いに会いそうな、というかもはや必ず遭遇すると思われるところをふらふらしているのかに間抜けにも気づいて独り笑いを少々、心の内でいま病院帰りなんだ、とか、あぁ、あれは僕のレプリカントなんですよ、などという愚にもつかない言い訳を準備しながら、少々どきどきしつつの密やかなこの休日も悪くないな、などとひとりごちてふと人文関係の棚を覗くと、「本日の水木サン」が山積み、というほどではないが程々に積んであった。
この本、水木しげるの名言を1年366日に配してまるで日めくりのように毎日、水木サンの滋養に富んだお言葉を頂けるという趣向。編者は大泉実成だ。大泉は太田出版の「消えたマンガ家」(現在新潮OH!文庫)や某宗教の輸血拒否事件をルポルタージュした「説得」で以前楽しませてもらったが、水木原理主義者としても有名なお方だそう。
水木しげるの著作はつい先日「カランコロン漂流記」を中野の魔窟、まんだらけで購入し読んだばかり。
腰巻きの惹句、「ホッとして生きることがラクになる不思議な言葉の玉手箱」は少々凡庸だが一読措く能わずというより枕元に置いて寝しなに読むと良い夢が見られそうな気分だ。
某月某日、「才能と収入は別なんですよ。」など、水木ファンなら何でこんな言葉が出るのかが思い当たるし、軍隊時代の南洋での出来事など、飄々としてかつ爛漫な生き方のスタンスはたしかに癒されるなぁ。結局一年分を一気に読んでしまった。そうこうしているうちに本当に熱っぽくなってきた。やはり言霊の作用だろうか。明日も休もうか(クビ)。


本日の水木サン―思わず心がゆるむ名言366日
本日の水木サン―思わず心がゆるむ名言366日

December 05, 2005

世界選手権まであるとは・・・ / 『拳の文化史』

http://www.worldrps.com/index.html

もの凄く唐突ですが、ジャンケンって英語では rock-paper-scissors というんですね。この順番にもいろいろあるみたい。そのまんまです。
「パー」は「紙」ですが、欧米では手の甲を上に向けて指を広げずにあたかも「セーフ!」とやるみたいに出すんですね。

私の地域では「ジャンケン、エッ!」と言ってました。最後の「エッ!」というのがいまだに良く分からないのですが、単なる気合いなのか・・・。スタンダードは「ジャンケン、ポイ!」だとすれば亜種かも。
言い方は、「じゃ~ん~け~ん~、エッ!」というジャンケン部分をだらしなーく伸ばすというリズム。
「チッ、ケッ、タッ!」とか、「グーパー、グーパー、グーパー、ジャン!」なども聞いたことがあります。
地方毎にいろいろあるみたいで面白い。
ジャンケンに似たお座敷遊びの「藤八拳」なんてのもありますが、これは庄屋、鉄砲、狐の組み合わせ。
三すくみの世界観です。

このジャンケントーナメントをモチーフとした映画まで制作されています。
- Rock Paper Scissors

The Official Rock Paper Scissors Strategy Guide
The Official Rock Paper Scissors Strategy Guide

ジャンケントーナメントのオフィシャルガイドブックです。
たとえジャンケンとはいえ戦略などと真剣です。

拳の文化史
拳の文化史

江戸時代には数拳・虫拳・虎拳・狐拳などのいろいろな拳遊びが流行し
これらを本格的に勉強するために「拳道」まで成立したらしい。
日本人はなんでも道にしてしまうんですね。

この本についての書評をセイゴオ先生が書いていらっしゃいました。
- 松岡正剛の千夜千冊 / 『拳の文化史』 セップ・リンハルト


December 04, 2005

モノクロ印画紙の現在 / デジタル時代のモノクローム

写真が次第に銀塩からデジタルへ移ってゆくにつれモノクロ写真のあり方が変わって来ているように思う。銀塩ではもちろんのこと、まずモノクロを撮るのであればモノクロフィルムをカメラに詰めて撮影に臨むことになる。最初からモノクロを撮る心構えで被写体や画面を考えながら写すということが撮影の流れになってくる。
しかし、デジタルではその事前選択の必要はない。コマ毎にその場でモノクロにするかカラーにするかを自在に考えることが出来るし、撮影後の画像処理の段階で決めることも可能だ。むしろこの方が多いかも知れない。
小生の場合、フィルムスキャナを購入してからは銀塩カメラで撮影する際には後でデジタル化することを想定して、以前は殆ど使っていなかったカラーネガフィルムを多用するようになった。最終的にはモノクロにするつもりでも、結局デジタル化してしまうのであればカラーネガが簡便だ。フィルムの値段は安いし、インフラとしての街のミニラボは減少しているとはいえまだまだある。というわけで、以前は必ず撮影後の宿題、つまりモノクロ現像処理をしなければならなかったのだが、最近は殆ど、というより全くやらなくなった。
学生時代からモノクロはトライXを100ftの長巻きからLPLのデイロールでパトローネに巻き込みISO400で撮影、コダック処方のD-76を1:1に希釈して20℃8分のタンク現像というのを基本にしていた。D-76は現像の都度廃棄する。この方が液の疲労を現像時間で調節する必要がなく、いつも同じ条件で現像が可能というメリットがある。また希釈現像は粒子も鮮鋭でグラデも豊富な仕上がりになって好都合だ。増感は富士のパンドール、またコダックのテクニカルパンを軟調現像して超微粒子現像をやったこともあった。
一方紙焼き、つまり印画紙への引き伸ばしは、三菱の月光2号を基本として現像液はD-72、フェロタイプはかけず自然乾燥というのが定番だった。作品は(無論大したものではないが)バライタ紙にこだわっていた。過去形なのはこれもいまは殆どやっていないからだ。引き伸ばし機もこの間点検すると、コンデンサが曇っていてもう使い物にならないかもしれない。真夏や真冬など、氷やお湯で温度調節しながらの現像は大変だったが、いまはPC上でフォトショップで焼き込み、出力はインクジェットプリンタで済む。簡単でクリーン、廃液もでないので環境にも良いし、完全に明室で処理できるなどとは以前は想像もつかなかった。

しかし、適正にアーカイバル処理された銀塩の印画紙はインクジェットプリンタなど想像もつかない程キレイなものだ。如何に技術が進んでいるとはいえまだまだ全く別物といってもよいのではないだろうか。
モノクロ印画紙は既に昭和40年頃から現像処理時間が短縮可能な、樹脂でサンドイッチした原紙を使ったRC紙が普及してバライタ印画紙でのフェロタイプ乾燥が不要になっていたものの、両者は美しさの違いで歴然としている。小生がバライタにこだわるのもこの美しさ、精緻さが格段に違うからだ。写真集でのグラビアをみてもその違いは分からない。作家の焼いたオリジナルプリントを、できればガラス越しではなく直接見れば、それはもう複製芸術というよりそれ自体がひとつの「工芸品」だということが分かる。バライタの黒は非現実的な程に黒というリアリティが濃厚でこれは写真表現ならではの美だと思う。

「写真工業」誌、2005年10月号特集の「黒白印画紙はどうなる」では、現在販売されているモノクロ印画紙のリストが載っていて興味深かった。AGFA PHOTO社の倒産やILFORD社の王子製紙による買収など銀塩メーカが減少しているなかでコダックが今年でモノクロ印画紙の生産を中止するという話には衝撃を受けた。
そんなファインプリントという一つの芸術を失うのではないかという危機感のなかで、まだバライタ、もしくはRC印画紙の生産を行っているメーカには是非とも文化事業ということででも良いから生産を継続してもらいたいものだ。

この特集では、フランス在住のピンホール写真家として有名な田所美恵子さんが、蚤の市などの骨董市で古い期限切れの印画紙を求めて作品に使用しているという話があって興味深かった。納得の行く印画紙を妥協なく探求する芸術家のこだわりをかいま見て非常に感慨深い話だ。写真はイメージだけではなく、版画や絵画と同じくプリントそのものが作品であり写真表現だということを改めて認識したい。

December 03, 2005

飛ぶ夢をしばらくみない

untitled

飛ぶ夢をしばらくみない、
という映画があったが
子供の頃のように
空中にぽかんと浮かんでいたり
夜の街を飛び回ったり
たしかにそういう夢を見なくなった。

しかしなぜか最近は飛ぶ夢ばかり見る。
もの凄い速さで上昇したり、
眼下の街並みを眺めたり、
目線の高さで浮かんでいたり。

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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