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17 posts from May 2005

May 28, 2005

音楽・夢くらぶ 『大貫妙子と一十三十一』

この間のNHK「音楽・夢くらぶ」のゲストは大貫妙子一十三十一だった。大貫妙子といえば73年に山下達郎らとともに結成され、たった3年の活動で解散した伝説のバンド「シュガー・ベイブ」を思いだしてしまう。3年間でリリースされたアルバムはたったの1枚だが、そこに散りばめられているのははどれも素敵な曲ばかり。番組で「いつも通り」を一緒に歌う一十三十一(ひとみとい)の声は、大貫に影響を受けたというだけあって声質や発声が大貫そっくりだ。久しぶりにアルバム「SONGS」を探し出して聴いてみた。それにしてもiPodが欲しい・・・


SONGS
SUGAR BABE
SUGER BABE  SONGS

1.SHOW
2.DOWN TOWN
3.蜃気楼の街
4.風の世界
5.ためいきばかり
6.いつも通り
7.すてきなメロディー
8.今日はなんだか
9.雨は手のひらにいっぱい
10.過ぎ去りし日々“60’s Dream”
11.SUGAR

May 26, 2005

GAPの中吊り広告

gap.jpg電車の車内広告を車両ごと一社の統一した広告とする、いわゆるad trainは、広告の効果としては大きいのかも知れないが、手持ち無沙汰な乗客に取ってはいつもの雑誌やら文庫の新刊などの雑多な情報が読めずちょっとさみしいことがある。
今日の中央線は車内全てがGAPで埋め尽されていた。テーマはナチュラル・デニムということで、中吊りはなんとデニム生地そのものを使っている。生成りのデニムに茶色のロゴがシックで、別に使い途があるわけではないが、外して持ち帰りたくなってくる。

May 22, 2005

MXテレビ / 『音楽のある風景』

東京MXテレビの「音楽のある風景」は「Tokyo Boy」などを視てチャンネルをそのままにしているといつの間にか流れている番組だ。
70年代のヒット曲をその時代の映像と共に淡々と、実に淡々と流すだけの構成なのだが、なにかをしながら聴くともなく聴いていると、どれも懐かしくて鮮烈で、胸が詰まってくる。

ぼくは今、阿佐ヶ谷の駅に立ち/ 電車を待っているところ/ 何もなかったことにしましょうと/ 今日も日が暮れました/ ああ中央線よ空を飛んで/ あの娘の胸に突き刺され/ (友部正人「一本道」より)

嗚呼、友部正人よ。僕も朝のラッシュに耐えきれず、たまに阿佐ヶ谷の駅で降りるとき、中央線が胸に突き刺さっています。いつの間にか茶居花もなくなってしまった。学生の頃、背伸びして文庫片手に通ったバー、ランボオはもうなくなっているだろう。いつも高架から阿佐ヶ谷の街を見下ろすとき、想い出が消えないように途中下車して確かめることはしたくない。

月球儀通信関連記事
- センチメンタルジャーニー in 阿佐ヶ谷

サイトデザインを変更してみたのです

cssをひねくり、サイトのデザインを変更してみました。

なんか・・・く、暗っ!

一見、ちょっと怖いサイトみたいですが(笑)、また飽きたら元に戻します。

別に何かに抗議しているわけではありません(笑)ので、ご容赦お願いいたします。

ココログプラスで上級テンプレートの編集が出来てしまうのです

ココログ「プラス」で「プロ」のみの仕様である「上級テンプレートセットの編集」が出来てしまう!?
公開日時の指定が出来ることで最近ココログプラスへ移行しているが、ふと管理画面を見てみると「上級テンプレートセットの編集」画面が表示されている。試しに進んでみるとHTMLの編集画面にまで行くことが出来てしまった。これで編集、保存したら反映されるのだろうか。やってみたい気はするが、単なる間違いだとしたらまたもとに戻す手間を考えると、気が退けてまだ試していない。編集画面へ行く際のヘルプでははっきりと「プロのみの機能」と謳っているのだが・・・。 
これは今後プラスに追加される機能の先取りか、はたまた一時的に解放して試させ、プロへの移行を促すNiftyの戦略だろうか。一度可能としたなら、またもとへ戻すような野暮なことはしないで下さいね、Nifty様。
ほかのblogでは無料でも可能なところがあることを考えれば、blog市場の競争原理が働いたと考えたいのだが如何?

May 18, 2005

吾妻ひでお / 『失踪日記』

失踪日記高校生の頃、吾妻ひでおが異常に好きなクラスメイトがいて心酔と言っても良い位ののめり込みようだったが、彼の教科書を覗くと吾妻の描くマンガの模写で一杯だった。70年代の終わり頃のことだったから、まだ「おたく」などという言葉のかけらもなくて、ただ「マニアックなヤツ」などと言われていたと思うが、当時の個人的な感想を言えば、吾妻ひでおのマンガはどうもこのマニア性が強いような感じがあって、ファンの方には怒られそうだがどうしてもその面白さの勘所が理解できなかった。
その頃、私はといえば朝日ソノラマから出ていた月刊誌「マンガ少年」を毎月欠かさず読んでいたものの、マガジン、ジャンプなどの週刊少年誌はほとんど読んでいなかった。スポ根、学園モノなどの少年誌にありがちなテーマに全然惹かれなかったからだ。姉の影響で「りぼん」を読んでいたこともあってか、むしろ少年誌はガキっぽいと馬鹿にしていたのであった。今思うとヤなガキだったが、ヤなガキがいま、ヤなジジイになったというワケ。
そのころのマンガ少年では、ますむらひろしの「アタゴオル物語」や高橋葉介「ヨウスケの奇妙な世界」、石坂啓「下北なあなあイズム」、竹宮恵子「地球(テラ)へ」などがお気に入りだったが、かの手塚治虫「火の鳥」が連載されており、毎月発売日を心待ちにしていた。
さて、話が随分飛んでしまったが、この「失踪日記」は神田三省堂1Fレファレンスコーナーの脇にうずたかく積まれていてその勢いで購入し一読没頭。失踪の事実すら知らなかったが、いわゆるホームレスになっていたなんて。大泉実成「消えた漫画家」の一人に遅れて参加ということか。よく言われるが殊にマンガ家は徹底的、無理矢理に才能を絞り尽くされ使い捨てられて仕舞いには精神に変調を来すという事例が多いらしい。しかし実際には笑えない内容を、ここまで自分を客観化しエンタテインメントとして昇華する力量には恐れ入った。さすがにプロの仕事だ。警察に保護され、そこで吾妻のファンである刑事から色紙にサインを求められるなどは涙なくして読めない。
アル中病棟やガス工事会社での人間模様、人物造形はさらりと描いているようでいてやはり非凡だ。これを描かせているのは作家の業なのだろう。自身の内臓をさらけ出すようないわばコンサバティブな私小説の方法論を吾妻調の丸っこい画で見せたらこうなるということだろうか。久しく出会えなかった面白さだ。

■月球儀通信関連エントリ
- 吾妻ひでお / 『うつうつひでお日記』

May 16, 2005

堕落と再生 / 岡崎京子 『へルタースケルター』

ヘルタースケルターこのところコミックばかり続けて読んでいる。この岡崎京子「へルタースケルター」、吾妻ひでお「失踪日記」、やまじえびね「フリー・ソウル」、魚喃キリコ「Strawberry shortcakes」、安部慎一「美代子阿佐ヶ谷気分」などなど再読も含め新旧取り混ぜてコミック漬けの日々。プチ幸せ。振り返るとなぜかフィールヤング系が多いのは気づかない振りをしてもらえると助かります。で、この「へルタースケルター」、主人公「りりこ」は全身のほとんどを整形して得た美貌でモデルから女優としても成功してゆく。しかしそれは本人の人格とはなんの関係もなく消費される単なる偶像に過ぎず、その栄光とは裏腹に孤独の影が次第に濃くなってゆく。その裏返しとも言える放埒でインモラルな気晴らしで周囲を翻弄しながら、ピグマリオンとしての自分と一人の女の子としての乖離に精神が次第に崩壊して行く。人気の凋落がそれに追い打ちをかけて、その堕落は加速してゆき・・・実はこれは虚構と実存のギャップに精神を病む現代の心のありようそのものだ。何者かでありたいと痛切に願うが、何になりたいのかが分からない。現実のありようを受け入れられないが、その解決の糸口が見つからない。しかし「りりこ」はどうあれ最終的に自分で決着をつけるのだ。この結末に至るまでの描写はドラマとして少なからず消化不良だとは思うが、結局どこかで何らかの決着、自分を受け入れるすべを人は見つけざるを得ないという主題が浮かんでくる。この作品の発表直後に作者は今に至るまで再びペンを取れない程の重篤な交通被害事故に遭い現在もリハビリ中だという。この作品で張られた伏線や非合法な医院などの社会問題への視点、それを暴く検事などの人物描写にまだまだ練り足らない部分があるものの、その後の洗練を予感させるだけに早く恢復されて是非続編をものしてもらいたいと思う。

May 10, 2005

石立鉄男と名古屋章 / サンプリングCD

CDショップのフリペコーナーなどで配布されているKAERUCAFEのフライヤーで前々から気になっていた音源、石立鉄男と名古屋章のVOICE CDは眺めるたびに一度は聞いてみたい気持ちがつのってくる。KAERUCAFEは音源素材を専門に扱うメーカとのことだが、カタログを見ると効果音や民族楽器などの音源に並んで、この石立&名古屋の声のサンプリングCDがボーッと発光しているのだ。石立鉄男と名古屋章、確かにこの人選は「音源」というジャンルで際立っているなぁ。ナイスセンスだ。
サイトをみると、セリフのリストが並んでいるのだが、例えば石立の「おい。ちょっと待て/おまえが出て行け/俺は出て行かん/帰れ帰れ/金、金うるさーい」とか、名古屋章の「馬鹿モン」「電話だ早くとらんか 」など、もう聞く前から二人の声が耳に反響するほどだ。
ほかにも梨本勝とか小倉一郎(!)、小川真由美、田中星児など音源としても濃すぎるラインナップで、素材として実際にどのように使われているのか素人には想像がつかないが、留守電メッセージや着声として使ったら楽しそうだ。メール着信で名古屋章に「馬鹿モン!」とか言われてみたい。会議中に石立の声で「金、金うるさーい」とか・・・冷や汗かきそうだ。

May 09, 2005

Loretta Lux / 不思議の国の子供たち

Loretta Luxドイツのアーティスト、Loretta Luxの子供をモチーフとしたポートレート作品は一種独特な存在感があってなぜかここしばらく惹かれている。どうも写真をペインティングと合わせてデジタル処理をしているような感じだ。書き割りのような背景に佇む少年少女たち。その表情のディテールと人工的な背景のアンバランスが非現実なリアリティを醸し出している。
Pierre Et Gilles (Postcardbooks)これを見ているうちに、写真にレタッチを加える手法のポートレイトという意味では"Pierre et Gilles"を思い出した。80年代にPARCO出版の写真集を買って今も手元にあるのだが、ある種宗教的でありながら俗っぽくキッチュな雰囲気が独特だ。このポートレートからは何故か個人的にはインドのテイストを感じてしまう。ちょっと違うかもしれないが、インドの宗教的な図像、あるいはキリスト教のイコンに繋がるものがあるような気がする。
ここから、昔の(今もかも知れないが)小学館の学習雑誌「小学○年生」にも連想が広がってしまう。この表紙も写真の上にべったりと肌色のペインティングを施したポートレイトとすればかなり近いものがあると思うのだが。

「いらっしゃいませ、こんにちは」という奇妙な言葉

「いらっしゃいませ、こんにちはぁ」、コンビニなどでこんな挨拶を聞いて不快に思ったことはないだろうか。
このblogで先日書いたエントリ「書店の行方~書籍流通の未来」でコメントを下さった方から指摘を頂いて、確かにこれを聞くと不快でアドレナリンが異常上昇するため日頃これを連発する店を避けてわざわざ別の店を選んだりしていた私は我が意を得たりと思わず膝をたたいたのだった。

いつ頃からこんな言い方が広まったのだろう。そしてなぜこれほどに不快なのか。

マニュアル化された文句を機械的に反復するという、コミュニケーションのようでいて実はディスコミュニケーションの極北のような言葉だなと軽く考えていたが、例えば「いらっしゃいませ」を機械的に言われてもそれほどの不快はない。そう考えると、もっと奥深いものがありそうな気がしてくる。

そこでサイトを検索してみると「庄内拓明の知のヴァーリトゥード」というサイトの「いらしゃいませこんにちはぁ」 の怪、というコラムに出会った。このサイトは他の記事もなかなか面白いのだが、やはり同じように不快を感じるひとがそれぞれのサイトで自説を展開したものを総括したものだ。

そのなかで、名古屋薫さんという方のコラムを引いて、前半の「いらっしゃいませ」が相手にへりくだる(謙譲)言葉に対して、次に続く「こんにちは」が対等、いわゆる「タメぐち」であることがこの不愉快の原因であるとし、この感覚に気づかず言われたとおりに発声するだけの店員に生まれる怒りなのだというなんとも鋭い分析を紹介している。
また、これを広めたのはなんとコンサルタントだという。詳しくは上記サイトをご覧いただくとして、彼らの主張に対する庄内氏のツッコミに胸がすく思いだ。

もうこんな挨拶は日本国民全員で止めにすべきだろう。まだまだ今もこの言葉はハビコっている。一日に何度聞かねばならないのだろうと思う位だ。これが不快で店を出る人もいるのだからなんの得も無く、むしろ逆効果ではないか。

コンビニはいままでこれに限らず異常な言葉を数多く生み出してきた前歴がある。指令を出しているであろう店の本部は早くこの異常な言葉とともに不遜にも勝手に言葉を創出する体質から訣別してもらいたいものだ。
(ちなみに自分でもこのblogで「私的には~」などと使っていたりする。他人のこと言えない・・・)

May 08, 2005

『探偵ナイトスクープ』と『銭形金太郎』

京都支局から神保町に戻って数年、何かが欠落していると感じていたが、それは東京では「探偵ナイトスクープ」を放映していないことだった・・・。いや、たしか一時期テレビ朝日で日曜昼に、はたまた深夜、それも午前2時頃に時間枠をジプシーの如く移動しながら細々とやっていたが、何故か定着せずにどこかへ消えてしまった。最近東京に転勤してきた友人の奥さん(共に大阪育ち)がやはり「探偵ナイトスクープ」を見られないことがストレスとなり、夫婦喧嘩のタネになっているらしい。これはノロケ話と受け取るべきだろうか?!。しかし奥さんには激しく同感だ。視聴率も深夜枠にもかかわらず異常な高さらしい。それはそうだろう。だって面白いんだもの。あぁ、久しぶりに桂小枝の声が聞きたくなってきた。

例えばこのような視聴者参加番組を関東で捜すと、いやおそらくゴールデン枠へ進出してからは全国ネットになった「銭形金太郎」がそれに当たるかも知れない。だが、これを見ていて東京と関西では明らかに異なることが浮かび上がってきた。

「探偵ナイトスクープ」は視聴者の依頼を受けてタレントが探偵となり調査するというスタイルだ。その依頼内容のセンスからして毎回面白いのだが、この申し込みがWikipediaによると毎週200~300通もあるという。番組のネタを視聴者から募るというこのスタイルは視聴者参加番組としては当たり前だが、これも当然ながら依頼がないと成り立たない。しかし、おそらく「銭形金太郎」では番組の主役であるビンボーさん自体が探せていないのではないかと思う。というのも最近、そのビンボーさんがほとんど芸能関係で占められているからだ。役者、漫才師、マジシャンのタマゴたちがほとんどで、つまり単なる楽屋落ちなのだ。これは一般視聴者からのネタがないことを図らずも示してしまっている。おそらく見つからないために身近なところで済ませているのだろう。これでは面白みも半減だ。

先の東京と大阪の違いとは、つまり視聴者のノリの違いだ。「探偵~」で記憶に残る「大阪だけの常識やん」(2002年2月放送)での小ネタ「指をピストル形にして撃つマネをすると、相手は死んでくれる。」では梅田の駅前で通行人を捕まえて試すと、ほとんどの人が死んだフリをする(笑)というこの関西ノリがないとこの手の番組は成り立たない。試しに大阪で「銭金」を制作してみれば分かる。死ぬほどネタが出て来るだろう(キッパリ)。

調べてみるとなんと関東でも今年4月からテレビ神奈川で放映していることが分かった(毎週木曜夜8時より)。奥さんにも報せてあげようっと。

朝日放送 「探偵ナイトスクープ」
Wikipedia 「探偵ナイトスクープ」
関連本「探偵!ナイトスクープ アホの遺伝子」(amazon.co.jp)

May 07, 2005

『季刊 d/SIGN No,10』 森山大道インタビュー

太田出版の雑誌「季刊 d/SIGN」は「知覚の地層を探索する-グラフィックデザイン・ブックデザイン・タイポグラフィ批評誌」と謳うだけあって編集は戸田ツトム、鈴木一誌と豪華だ。いつも書店で気にしていたが、今号No,10は「絶対平面都市」という表題であの森山大道のインタビューと作品をメインとした特集となっており、迷わず買ってしまった。
余談だが太田出版といえば「Quick Japan」や太田プロなどを連想してこのような硬派な雑誌も扱っているのかと少々意表をつかれるのだが、タイポや装丁に興味のある人ならば気になる雑誌なのではないだろうか。
森山大道はここ何年か再評価の機運が高まっており、旧著の復刊や先日出版された荒木経惟とのコラボレーション「荒木・新宿・森山」など新刊も相次いでいる。
このインタビューのなかで森山は、作品を写真の流れとして見せることを敢えて避け、むしろそれら相互の関連性を極力押さえることを意図していると語っており、森山の言葉ではこれを「引き算」と表現している。写真集とは連続した個々の写真をみせることで物語性、主題、そしてイデオロギーまでをも表現するものとすれば、1枚毎に完全に独立した写真群、というあり方は、森山の独特な写真の秘密の一端を語っているもののようにも思う。

月球儀通信 関連記事 『遠野物語』 / 森山大道
moriyama daido official site
「季刊 d/SIGN No,10」(amazon.co.jp)

May 06, 2005

是枝裕和 『誰も知らない』

是枝裕和の監督第4作。「ワンダフル・ライフ」でもその静かなヒューマニズムともいうべき視点に心動かされていたが、この作品でもそのスタンスは変わらない。「西巣鴨子供置き去り事件」という実際に起きた信じられないような事件をベースにしているにもかかわらず、淡々としたドキュメンタリーの手法を意識しつつ暖かい視線で描くバランス感覚が秀逸だ。このセンスはまさしく是枝監督の持ち味なのだろう。作品解説によると撮影に1年をかけたらしい。実際にも映画のなかでも成長してゆく子供たちの演技は素晴らしく自然だ。この演技を引き出すのは容易なことではない。それぞれの性格設定もしっかり描写されていて、自分たちを見捨てた母親でさえも心の中では頼らざるを得ない心情が痛々しい。この子供たちは異父兄弟でありながら助け合い寄り添って生きてゆく。児童相談所の保護も離ればなれになるのを厭うがため拒絶するほどだ。子供を捨てて男のもとに行く母親、決して離れまいとする家族=コミュニティとしての子供たち。この対比が次第に立ち上って来る。これは現代の都市生活のディスコミュニケーションに対する痛烈な暗喩ではなかろうか。

なぜこういう事情になったのか。この理由を映画ではあまり語っていない。「西巣鴨子供置き去り事件」とは88年に起こった実際の事件だ。この詳細は別の資料に譲るとして、その背景には母親の無知と社会の無関心とがある。つまりこの子供も、そして実は当の母親も同時にこの無関心という「都市の魔」に魅入られてしまったということだ。実際の事件は信じがたいほどに凄惨なものだ。

柳楽君のカンヌ受賞で話題となったが、私としては女子中学生役の韓英恵に注目したい。久々に心奪われる作品に出会ったと思える佳作だ。

誰も知らない 公式サイト
+Monsters+ 「西巣鴨子供置き去り事件」に詳しい MURDER IN THE FAMILYの項参照
DVD 誰も知らない(amazon.co.jp)

May 04, 2005

小倉優子と安田美沙子の区別がつかない

ついこのあいだまで、小倉優子と安田美沙子の区別がつかなかった。というより友人に指摘されて初めて安田美沙子という別の人格を持った人物(というか単に別人)がいることを知った。ということはあのアイフルのコマーシャルで書道をする女優は小倉優子ではなかったというのか?! たまに見るテレビのバラエティー番組でも、あぁ、小倉優子がでているな、と思っていたが、そのなかの何回かは安田美沙子だったということ?! それにしてもこの二人、なんでこんなに似ているのだろう?どこかで血が繋がっているのではないだろうか。それともこの認識の有無でおじさん度を測ろうという誰かの魂胆なのか。つまりオヤジの踏み絵だ。まぁ特に違いが分かったところでどうということもないのだが、告白すると最近人の名前がなかなか出てこないので、たぶん5分もすると安田美沙子という名前すら思い出せなくなるだろう。踏み絵どころじゃない。しょうもないエントリ。

May 03, 2005

福原愛 卓球界の世界八大美女に

上海で開催中の世界卓球選手権で福原愛が初戦を勝ち抜いたとの報道に、Yahoo中国サイトで「卓球界の世界八大美女」の一人として紹介されているとの記事(Yahooニュース5月2日、配信は日刊スポーツ)を発見して、卓球はおろか日本の球団名もロクに言えない程スポーツ全般に暗い私ではあるものの、その記事だけはなぜか無性に見たくなった。いま何かと話題の中国上海で、しかも日本人が、しかも「八大美女」などという中国古典めいた記事とは・・・これは見ねばなるまい・・・

早速Yahoo Japanから各国のYahooのリンクを辿り、Yahoo中国へ行ってみた。当然のことながら同じ漢字でも日本の漢字コードとはエンコードが違うのでフォントをインストールしなければ文字化けしまくりだ。これでも探せると思ったがやはり無理だった。仕方なく簡体字のフォントを選びインストール、しようとしたがセキュリティの設定で何度か失敗しやっとの思いで完了(しかし何でこんな苦労をしているのか>私)。ついでに台湾のサイトも後々見るために繁体字もインストールしておく。

Yahoo香港もくまなく探したあげく、ようやくYahoo中国の新聞ページに写真を見つけた。それはスライドショーだった。

雅虎幻灯 卓球界八大美女
http://cn.sports.yahoo.com/050414/262/26pa0.html
直リンクはしませんがブラウザのアドレス欄に貼り付けてエンターキーで飛んで行けます。

かくしてやっとの思いで記事にたどり着けたこの達成感(虚しさもあり・・・)。日本人はもう一人柏木有希選手も入っていたのだが、日刊スポーツの記事では触れられていなかった。彼女にも触れてあげなきゃあ可哀想だ。しかし中国も反日気運の高まりの割には美女枠の8分の2を日本人に譲るなんて。

サイトタイトルの「まさとらげんとう」とは・・・雅虎ってYahooのことなのですね。スライドショーが幻灯とは、なるほどね。

書店の行方~書籍流通の未来

TBS系のニュース23で今日、書籍流通の特集を放送していた。昔から土地に根付いていた街の小さな本屋には新刊が行き渡らないというのである。放送は途中からみたのでこれに繋がる話が分からないが、おそらく活字離れの傾向から出版社はリスクヘッジとして部数を最小限に限定しているうえに大型書店化の波で街の本屋には行き渡らないという筋書きなのだろう。もともと書店は薄利であり多売も難しいという業界で、今日の番組でも平均の経常利益は0.2%とのコメントだった。これは凄い数字だ。このために在庫の引き取りを行わせるいわゆる委託販売制度や、書店間の競合が過度に行われないよう保護する再販制度に頼ってきたし、客はこの制度のおかげでいわゆる売れ筋のみの在庫に偏ることなくヴァリエーションに富んだ棚から本を選ぶことが出来た。この是非は何度か公取委などでも議論されたが、結果その有用性が認識され現在も存続している。
しかし今日の番組ではamazonや三省堂がポイント制を導入した「実質値引き」を行うという機運が出てきたことを報じている。これは大資本の大型書店ならばともかく、街の書店では先の経常率ではとてもではないが無理な話だ。かくして書籍も一般の消費財と同様に市場原理・競争原理をもってその淘汰が加速するということになる。消費者にとってこれは良いことなのかどうか難しいところだ。しかし、酷な言い方かも知れないがやはり時代の趨勢には逆らえない部分がどうしてもあることは否めない。街の本屋さんはどういう工夫をしてこれを乗り切るのか、ここが考えどころだと思う。
以前、このblogでも書いたのだが、小書店は品揃えに特色を出す、それも生半可な特色ではなくとことんこだわった選本やイベントなどの企画など独自性、希少性で生き残るという、制度に頼らない方向で行くしかないのではと思う。確かに簡単なことではない。しかし言い方は悪いがそれが出来なければ淘汰されるという時代の流れなのだ。これまで街の文化を担ってきた書店には、今が逆にチャンスなのだとも言いたい。だから頑張って!
ここ神保町でも開店したばかりの新刊書店があっという間にたこ焼きチェーン店に取って代わったりしている。書籍購入ポテンシャルの高い神保町でも、いや、であるが故に特色がなければ客は寄らない。これは実はどの業界でも同じことなのだ。
たしかに最近ほとんど街の本屋を見かけなくなってきた。さて、みなさん、本はどこで買いますか?

月球儀通信 関連エントリ
新宿東口/書店戦争勃発?
書店の棚 / 青山ブックセンター営業再開

May 01, 2005

『時には母のない子のように』をカヴァー / 寺山生誕70年

今年は寺山修司の生誕70年に当たるという。しかし寺山も生きていれば70歳というこの当たり前のことがどうしても想像できない。三島由紀夫も今年80歳になるはずだが、老人となったこの二人を想像するのは難しい。寺山の作詞、田中未知の作曲になる69年のヒット曲「時には母のない子のように」はカルメン・マキのあの情感を敢えて排したような、なにか余程のショックを受けて茫然自失しているかのような無表情な声が小学校に上がる前の私の記憶に残っている。この歌を聴くと、何故か寒々しい校庭のイメージが浮かんでくるのだが、それが何故なのかはわからない。おそらく何らかの必然性があったのだろうが、アングラな雰囲気が当時子供の私にも印象的だった。
この生誕70年を記念して寺山の著作が復刊として相次いで上梓されている。その流れで36年振りにこの歌もカヴァーされるらしい。歌手はこれがデビュー曲となる新人の「なつこ」というひとだ。Yahooニュースによると、「透明感のある曲に仕上がった」ということらしい。どうしてこの曲想から透明感が出てくるのかは分からないが、とりあえずはどんな風にカヴァーされたのかを楽しみにしておこう。リリースされるCDには同時にやはり寺山の詞になる「野に咲く花の名前は知らない。だけども野に咲く花が好き。」と始まる名曲「戦争は知らない」もカヴァーされるということだが、60年代のメンタリティーに今の時代がどう反応するのかが気になるところだ。

DREAM PRICE 1000 カルメン・マキ 時には母のない子のように
DREAM PRICE 1000 カルメン・マキ 時には母のない子のように

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

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    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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