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12 posts from April 2005

April 25, 2005

Flickr / プロアカウントを頂く

この間始めたばかりのFlickrだが、システムからメールが届いた。Flickrはblogのようなもので、いわば写真を核にしたソーシャルネットワークだから、感性が合う気に入った世界中のメンバーとコンタクトを持つことが出来たりする。誰かから自分にお誘いがあるとその度にシステムからメールが来る仕組みで、感触からするとかなり活発だ。
今回もその知らせと思ったが、読んでみるとあるアメリカのメンバーから私宛てにプロアカウントが贈られたというのである。プロアカウントはフリーと異なり有料でフリーでの制約が大幅に緩和される。もしかして人違いではと訝り本人に確認すると、どうも私の写真を気に入って頂いたようで間違いはないという。驚いたが、丁重にお礼を申し上げて有り難く頂くこととした。これで向こう1年はプロアカウントとなったわけだ。
訊いてみると、Flickrはプロアカウントホルダーにそれぞれ誰に贈るのも自由なギフト権を2つづつ与えているようだ。
これはまさしく後々の有料メンバーを増やそうというFlickrの戦略なのだろう。プロからフリーへのグレードダウンは容易ではないからだ。それをしようとすれば写真を削除しなければならない。1年後はどうするかはゆっくり考えることにして暫くは楽しんでみたい。

April 24, 2005

そうだ、落語、行こう。

「『笑点』をみて笑っているような東京モンの話は信用でけへんな。」以前、当通信社京都支局に勤めていた頃、大阪育ちの同僚と話していると、決まって最後にこう締めくくるのがお約束だった。ここに入れば別世界その言い方が可笑しくていまでも思い出すと笑ってしまうのだが、昨日、ふと思いついて落語が聴きたくなり新宿末廣亭に行ってみた。
神保町から都営新宿線で新宿三丁目下車。いつも前を素通りする見慣れた風景も入ってみると別世界だ。末廣亭は中央が椅子席で、その左右に畳敷きの桟敷席がある。お茶と煎餅を買って桟敷に座り、場内を見渡すとレトロな雰囲気が心地よい。
今月の下席は落語協会の出演だったが落語芸術協会とは10日毎に交互の興業となっている。金曜日ということもあって八割方の入りだった。驚いたのは独りで聴きに来ている20代の若い人が予想外に多かったことだ。しかも番組表に演目を書き込んでいたりして皆かなりの落語通のようだ。30年前の小学生の頃、親に連れていってもらった上野の鈴本演芸場でも出演していた扇橋がでていたのも感慨深い。円丈も久しぶりにみた。こんな身近に伝統話芸の深さを生で堪能できる場所があろうとは今まで何故気づかなかったのだろう。お笑いのライブに行くことはあっても落語を見落としていた。なんという不覚。脱力と癒しの場として本当におすすめだ。末廣亭は中に入るだけで価値がある。また深みにはまってしまいそうだ。

April 20, 2005

pinholeとtoy

メイク落としのCMでマスカラを落としてみせる中山エミリの瞼が、落ちたマスカラで黒く腫れたように見えて、これトレヴァー・ブラウンじゃんと思ったのは私だけだろうか?!
さて、全然関係ないが、今日発売のPOPでガーリーな写真雑誌「PHaT PHOTO」の特集はトイカメラ&ピンホールカメラだった。何も考えず脊髄反射の素早さですかさず購入した。付録にピンホールカメラがついていたからだ。私もハジッコで参加しているFlickrでもピンホールとトイカメラは世界中にファンがいてHOLGAやLOMOなどはやはり特に若い女性に根強い人気があるようだ。不完全な写りが魅力なのだろう。何気ない風景も誰でもアートっぽく写すことができる。このアート「っぽく」というところがポイントで、その「ぽく」がみなステレオタイプな写真になってしまうのがちょっと難点とはいえる。しかし、デジカメと違うのは、現像が上がるまでどんな風に写っているかが分からないところだ。この時間差を愛でるのがこれを楽しむ作法というべきだろう。程良い失敗を期待する、というのがなかなかに奥ゆかしい。

April 18, 2005

また買ってしまった『水中』

また性懲りもなく「水中、それは苦しい」の、今度はDVD、「罪深き天使たちの終わりなき部活動」を買ってしまった。昨年の渋谷O-crestでのライブ収録映像だ。
そのなかの一曲、「スノーマン」の前フリ、

 「これはタカシが3歳の時に作った歌です。
 タカシは僕の弟です。
 タカシのことについて話すと長くなるのでやめておきます。」

これ、個人的にはツボにはまった。もう正中線の秘孔に一撃。
水中は曲と言うより詞に賭けてるね。
だから、ある意味ポエトリー・リーディングとしても聴ける(かもしれない)。
これを観て前メンバー時代のアルバムも欲しくなってしまった。

April 16, 2005

フォークシンガー高田渡逝く

60-70年代の代表的フォーク歌手、高田渡がライブ先の釧路で今日亡くなったとの報せを夕刊で知った。今月4月3日に行われたライブのあとに倒れ、その旅先の病院で亡くなったとのことだ。享年56歳。亡くなるには早すぎる歳だ。風貌からするとまだ60前だったのかと驚くのだが、虚心に考えると確かに団塊の世代だった筈だ。また一つ時代が終わってしまったのか。本当に残念だ。新聞から目を離してしばらく溜め息ばかりがでた。
代表作「生活の柄」「自衛隊に入ろう」「値上げ」など日本のフォークシーンを牽引したあらゆる意味で正真正銘のフォークシンガーだったと思う。演奏中に寝てしまうなどは有名すぎるほど有名だが、もう歌わなくてもその存在自体が既にフォークという人は他にいない。私にとっては吉祥寺の人というイメージもあって、まさしく中央線文化人を代表する貴重な存在だった。ご冥福をお祈りします。

月球儀通信 関連記事
ETV特集 『フォークであること』 / 映画『タカダワタル的』

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2005.4.16

April 14, 2005

『水中、それは苦しい』と『福島泰樹 / 短歌絶叫』

京都富小路仏光寺のライブハウス「磔磔」で以前、歌人福島泰樹の「短歌絶叫ライブ」に行ったことがあった。もう随分前だ。頭脳警察の伴奏で行われる福島自身の短歌、夭折の歌人岸上大作の遺書などの抒情、激情極まる朗読には少なからず感ずるところがあって、その後、京大西部講堂などへたびたびポエトリー・リーディングに出かけたりしていた。

さて最近、ふと手にした「水中、それは苦しい」のライブ盤「復活ののろし」で何故か福島の短歌絶叫を思い出してしまった。ヴォーカルのジョニー大蔵大臣の繰り出す絶叫は、おそらく一面において同質の抒情を孕んでいる。つまり彼らの絶叫は共に泣いているのだ。ナンセンスな歌詞、意味の繋がらないかけことば=掛詞を渾身の絶叫で歌うことが何故聴く者にある種のカタルシスをもたらすのか。懸命になればなるほど笑いが立ち上がるということがある。しかし彼らには既にその可笑しさが部分的に昇華されつつある気配があって、確かに荒削りでウケ狙いもあるだろうが、おそらく演奏している水中自身が考えている以上の深さが図らずもにじみ出てしまっているのが興味深い。そんなことを考えずとも、素直に馬鹿馬鹿しくてcoolだし、そのどこかで聞いたことのあるようでいて独特なメロディーも非凡。大体、ジョニー大蔵大臣という人を喰ったネーミングも否応がない。バンド名からしてアヴァンギャルドだ。参った。水中、超カッコいいし。しばらく目が離せない。デストロイ!
このアルバムでのヴァイオリンとギターという二人構成からドラムスを加えて現在は三人構成になっているようだ。

水中、それは苦しい
http://suichu.chu.jp/

福島泰樹(blog)
http://fukushima.jugem.cc/

April 10, 2005

楳図かずおと鳥肌実

楳図かずおと鳥肌実、この繋がりそうもない二人の共通点は何かといえば、単に私がよく中央線沿線で見掛けるということなのだが、お二人とも普段モードな割にはちょっとというかかなり目立っていて、以前、楳図先生などはさすがにグワシハンドこそ持っておられなかったもののいつもの赤の横縞シャツにピンバッチ(ワッペンだったかな)を隙間なく付けたスニーカーといういでたちで極く普通に乗客となっているさまはもうなにかすがすがしい感じさえあり、ただただ敬服するばかりだった。「漂流教室」や「イアラ」が私の少年期の人格形成(いま破綻気味)に少なからず影響しているとすれば、ご本人を眼の前にしてはもうひれ伏すしかない。私のATOKは一発で「楳図」と変換するぐらいの尊敬度だ。「梅酢」と出た方は尊敬度が足らない証拠ですから反省してください。で、siteに行ってみた。先生自ら吹き込まれた着声までダウンロード出来て大変お得。おまけにリンクフリーだ。まことちゃんも一世を風靡したが、背景や顔の書き込み密度が高くて面白い筈がかなり怖い画だった。もう画が怖いと刷り込まれているからなかなか頭が切り替えられなかったのは全部私の責任だとローレンツ先生も言っていた。特に驚いて口を開けるシーンの、口の中の闇、が怖すぎる・・・

一方、ホップステップ玉砕の廃人鳥肌実も何度かお見かけした。一度などは私が中央線の車両ドア際に立っていたところ「ちょっとごめんなさいヨ」などと言いながら乗り込んで来たが、その物言いがまるでお江戸の遊び人のようで悔しいことにちょっとキュートだった。しばらく異常なオーラを車内に放っていたが、たぶんほとんどのひとは芸人鳥肌実を知らないのだろう。一時の気の迷いと思いたいが、以前お茶の水Disk Unionインディーズ館でビデオ「玉と砕けよ!」を買った恥ずかしい過去を持つ私は、気が付いたと気取られないように何だコイツは?とでも言いたげな風情を装って新宿までご一緒した。
その日、通信社に出勤してから席のPCで彼のサイトをみたが、アクセスするや、ガガーンというイキナリの大音量で赤っ恥を掻いてしまった。立ち直れない。で、久しぶりにサイトを覗いてみたが、リニューアルされていた。しかしtopへ行くまでのflashが長い・・・でもなかなか笑わしてくれる。会社で見るときは音量に気を付けてください。今年の夏は鳥肌扇子が欲しい(恥ずかしくて使えないが。)

楳図かずおOfficial Home Page umezz.com

鳥肌実オフィシャルホームページ
http://www.torihada.com/
トリズム

April 06, 2005

開襟シャツと着流し

小泉首相は、省エネルギーの観点から夏の冷房温度を高く設定するに当たり、地球温暖化対策推進本部の会合で閣僚らに上着やネクタイの不着用を呼び掛けた。これを受けて環境省はこのノー上着、ノーネクタイを新ビジネススタイルとしてその呼称を募集している、らしい(毎日新聞4月6日朝刊)。おそらく京都議定書やヒートアイランド現象の深刻化などが背景としてあるのだろう。しかし、暑いから脱ぐ、そんな当たり前のことにいちいち名前を募集とは失笑を禁じ得ない。別の意味でも思わず笑ってしまった。なぜか。昔の省エネルックを思い出したからだ。あれほどまでに官僚的発想がお笑いとして露呈した例はない。いまだに某前首相は着続けているようだが、あれは信念というより単にヤケクソなのだろう。知ってますか、省エネルック。つまり半袖の背広なのだ(笑)。そこまでしないでもそんなに暑けりゃ脱げばいいんじゃないの?と日本中からツッコミを浴びた抜群のお笑いセンスだった。今回の小泉首相の発言は十何年か溜めに溜めて繰りだされた究極のツッコミなのだとも言える。
そもそも背広は日本の気候に合わない代物だ。昔は夏は開襟シャツに扇子が定番だった。特に昭和30年代は。あるいはサラリーマンのこれからは着流しがモッタイナイ運動の精神にも合致して主流になるだろう(わけないか)。
少なくとも真夏のうだるような暑さのなかで背広を脱がないことに変態的に陶酔している自虐リーマンには迷惑防止条例を適用すべきだ。見ていて暑さが倍増するんだよな、特に俺たちビートニクス世代には(嘘)。

April 05, 2005

『宮本常一写真・日記集成』

ひと頃、荷風の断腸亭日乗を読み耽っていたが、死の間際に近づくにつれ綴られる言葉の少なくなるさまが胸に迫った。この希有なニヒリストは世の動きを冷酷に突き放しながら足繁く玉ノ井へ通いつめる。かなり前に岩波が文庫にしてからしばらくはその面白さに没頭したが、いま覚えているのは少々憚られるが玉ノ井の娼妓に言い及んで「無毛美開ナリ」というくだりのみ。しかし、他人の日記を読むということは何故これほど面白いのだろうか。ひと頃、つまらないweb siteの代表格が日記と言われたものだが、blogの普及でいまやwebは日記や独白で埋め尽くされている。しかしどんな日記でも仔細に読むとそれなりに興味深いものだ。そのわけは他人の人生の追体験か、それとも窃視に似たものなのか。

在野の民俗学者、宮本常一は佐野眞一の評伝で読み始めたが、名著「忘れられた日本人」は極私的にも強烈な読書体験だった。その日記と正史から欠落していた常民としての日本人を捉えた厖大な写真群を上下別巻にまとめたのがこの本だ。定価6万円もするのでおいそれとは買えないが、書店で見本を立ち読みしてその場を離れられなくなった。おそらく主にハーフサイズのオリンパスペンで撮られた昭和戦後の日本人は、現代の日本人が決定的に失ったものをまだ色濃く残している。日本人は戦後なにを失って何を獲得したのか。それが民族に取って果たして正しかったのか否か。よく言われるフレーズではあるが、なにか酷くつまらないものと引き替えに豊かなものを失ってしまった気がしてならない。単なるアナクロニズムや回顧趣味のつもりはないが、おそらく歴史ある国では実は皆大事にされているものを日本は断絶させてしまったのだろうか。しかし資料として撮られた写真とはいえ、それぞれがとても美しい。
本当は手元に置いておきたい本だが、それも叶わないとすれば、近所の図書館の人目のつかないところに願わくば私専用としてひっそりと置いてもらいたい。

宮本常一 写真・日記集成 全2巻・別巻1
宮本 常一

April 03, 2005

疑問集

今日は何故か「水中、それは苦しい」の「もげもげ先輩」と「グループ魂」の「竹内力」が頭のなかを交互に飛び交い、仕舞いにはクロスオーバーして「もげもげ力」とか「竹内先輩」などと口ずさむ一日だった(どんな一日だ)。どちらも死ぬほど意味がない割には妙に頭のヒダに食い込んでくる。多分死なないとは思うが。ご存じない方、最初がアーティスト名で次が曲名なんですよ、念のため。

さて、日頃疑問に思っていること。
1.ハリウッド映画などでのヒゲ剃りシーン。泡立ててカミソリで剃る。ここまでは良い。そのあと、ほとんどの場合、タオルで拭き取るだけなのだ。これ、私的には信じられないんですけれど。なんで水で流さないのか??水中、それは苦しいからか?!術中ハック、じゃなくて十中八九は必ずと言って良いほどタオルでそのまま泡を拭くんです。そういう習慣なの?あとで痒くなったりしないのだろうか??余計なお世話か?

2.イギリス人は食器の洗い物をした後で、水で流さずそのまま乾燥させる(と聞いた。)
これも信じられないのだが、中性洗剤で洗ったまま、皿などを立てかけて置くだけ。水で流さないのは何故?体に悪いのではなかろうか?水中、それは苦しいからか?これはイギリスに留学(というか遊学)に行っていた女性に聞いた話。その後彼女もそのようにしているらしい。日本では頼むから水ですすいでくれ!すすがない皿で私に料理を出さないで欲しい、と思ったがそういうことは永劫なさそうだったので少し安心した。

これ、どうなんでしょうか?

April 02, 2005

マーマレードごはん

にわかには信じられないが、コカコーラをご飯にかけて食べる人が実際にいるらしい。いやそういう人が身近にいてまさしくその現場を見たわけではないので真偽の程は分からないが、何があっても不思議ではない昨今、そういう人がいてもおかしくはない。例えば、パイナップル入りの酢豚の場合はその判定は微妙だ。コカコーラご飯が許せない人も、これは美味しいという人は多いだろう。しかしイヤだと感じる人も一方ではいる。例えば、炒め物に(酢豚は炒め物か?)なんでフルーツが入ってるんだよ、これ嫌がらせ?世の中信じられないよ、と言いながらキレイにパイナップルを選り分けて私の皿に勝手に移した私の友人だ。そういうお前が信じられないと思ったが、私はかなり許せるというより美味しいと素直に思う。ただ友人の分が増えてパイナップル比率の高まった酢豚はちょっと酸味が強すぎたが。
例えば、その判定が微妙な食べ方として以下の例はどうだろうか・・・
  ・ご飯に羊羹 
  ・納豆にわさび もしくは七味唐辛子
  ・赤飯にマヨネーズ
  ・ご飯のおかずがお餅
  ・ご飯にきな粉(もちろん砂糖入り)
  ・あんパンにマスタード
あの・・・告白すると実はこれすべて私が好きな食べ方なんですが・・・
ご飯に羊羹は母親の影響だ。我が家では昔からフツウに羊羹の薄切りがオカズとして食卓に並んでいた。砂糖入りきな粉をご飯にかけるのは昔はどこの食卓でもよく見られた当たり前の食べ方だ(と思う)。
赤飯にマヨネーズは必須。餅米とマヨは不可分だ。納豆にわさびは以前、別の友人に驚かれたがオツなもんです。これは和食系同士で全然アリでしょう。なかでも炊き立てのご飯に、茹でて柔らかくなったお餅をのせ、その水分で餅の周りにびっしりとご飯を付着させて食べる"お餅ご飯"は旨すぎる。
そんな私もコカコーラご飯は正直いって許せない気がする。でもマーマレードをご飯に乗せてちょっと醤油を垂らしてみたら割とイケルと感じた私には説得力ないですか?

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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