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December 05, 2004

ソフィア・コッポラ / 『ロスト・イン・トランスレーション』

CM撮影のために来日したが時差や馴れない東京での滞在と同時に家庭への倦怠で疲れた中年のハリウッド俳優(ビル・マーレイ)と夫の仕事については来たものの新婚の不安と夫の留守で時間を持て余す若妻(スカーレット・ヨハンソン)のほのかな心の交流を描く佳作。
ビル・マーレイの疲れた中年の演技がなかなか良く、時折まだ20歳の若さが表情にのぞくヨハンセンもいかにもフツウっぽくて魅力的だ。立場は違うが異国で宙ぶらりんになっているもの同士がほのかな恋にも似た感情で滞在の2,3日を擦過する。このホンでソフィア・コッポラはアカデミー賞オリジナル脚本賞を獲得しているが、それが賞に見合ったものかどうかは別にしても、粋な佳作となっていると思う。おそらく衝撃的でセンセーショナルなアクションをハリウッドに期待する向きからは一顧だにされないかもしれないが、この「間」を理解するにはある程度の年齢が必要なのだよ。別れ際のビルの笑顔がこれまたイイ。しかもそのシーンは私が西新宿のいつもショウモナイものを買いに行くあの通りでだ。

東京が舞台となっていることで一時話題になったが、この手の日本を舞台にした映画でよく語られる日本人による映画評は、おおむね外人、ことに西洋人から見た東京がどのように描かれているかに集中しがちだ。これは無理もないとは思うが、そういう視点を抜きにして映画そのもののメッセージを受け取りたいといつも思っている。カリカチュアライズされた日本人像をそのまま受け取る人も無いだろうし、それほど西洋人の目が気になるのは自意識過剰というものだ。しかし、一方で変なオリエンタリズムに辟易する自分もいることは確かだが。
例えば、YahooアメリカでのUser Reviewで人種差別だとの書き込みがあり驚いたのだが、日本のYahooでも似たような書き込みがあってさらに吃驚した。アホなテレビ番組出演シーン(ご存じマシュー南=藤井隆)やLとRの発音の区別が出来ない日本人のコミカルなシーンをそれらは指しているのだろうか。しかしそれは全くズレた見方と言うほかない。同様のシーンは注意深くみればハリウッド映画の至る所に存在している。これは例えばアメリカ人が自国アメリカを描くシーンですら共通する場面はいくらでもある。ニュートラルなものの見方というものは厳密には存在しないのだ。その部分をこそ表現の豊さとして享受したい。その方が楽しいじゃない。

私的には動くHIROMIX(動くというのもなんだが・・・)が見られたことと、はっぴいえんどの「風をあつめて」でさらに1ポイントボーナスだ。2003年、102分。

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Comments

「ロスト・イン・・・」はまだ観てないのですが、賛否両論っていう噂ですね。
コチラでも上映されてたようで、観た日本人によると不愉快だったそうです。
なにかにつけアジア人は差別されてる状況だし、「カルカチュア」と取れる程には
「ソフィスティケイト」な国でもないので、ネタにはされますね。
なにしろ、エルサレム・ポスト紙で
「Body Sushi(女体盛り)は日本の上流階級で楽しまれている」
なんて書かれてるんですから。

私も仕事がら年に2,3度おもに欧州に行きますが、短期の滞在でもアジア人というだけでかなりイヤな目に遭ってますね。この映画も本来のスジ以前に日本人からみて侮辱されたようなシーンが確かにあって、例えば病院の案内で英語が通じないシーン、寿司屋で言葉の通じない板前をからかうシーンなど。ソフィア・コッポラは大の親日家だそうですが、映画のちょっとした味付けに日本人を足で踏みつけるようなことを軽~い気持ちで出来る人なんでしょうね。ただ映画評としては敢えてこの部分の焦点を外すべきと思ったのでこういう書き方をしていますが、ハリウッドの視点はたとえヒューマニズムなものでも疑ってかからないといけないといつも思います。「この感動のさせ方はなんかオカシイ」と思うことありませんか?これ、圧倒的にアメリカ映画に多い気がするんですよね。
しかし女体・・・しかもマスメディアの発言とすればなおさら許せないですね。こういう誤解には根気強く抗議するべきですよね。

すみません。遅すぎしコメントなんですが(笑)
「ロスト・イン・・・」のテーマに着目すれば、それがジャングルの奥地であろうがアフリカの未開の地であろうが、はたまた相手が白痴であろうが同じ現象が起こると思いますよね。そこで東京が選ばれただけの話で。
アメリカのヒューマニズムに関しては、殊に人種的テーマの映画だと、ポリティカル・コレクトネスや似非なノブリス・オブリージュという感覚もあるでしょうね。
あと、かなりズレてるかもしれませんが、「ジュラシック・パーク2」で、女性生物学者(?)が傷ついた子恐竜を持ち帰って治療する場面があるんですが、凄く嫌な気分でした。

二人とも望まない異国での滞在でつまらない思いをしているというプロットからすれば、これを差別だというのは当たらないと思うわけなんですよね。実はこの作品には仔細にみると二人の主観の部分とそうでない部分があって、差別と言う人はこのそうでない部分に過敏に反応しているとも取れるのでなかなか難しいです。言葉狩りも結局は鼬ごっこで根本を見ていない気もするし、施しや善意の行為も実は差別の裏返しという場合もありますから余計に難しいですね。
座頭の市っつあんは「お侍さん、いくら目がみえなくったって施しを受けるわけにはいきません。上下つかまらせて頂いたということにして、1分だけ頂いておきます。」と素浪人に1両小判を突っ返す場面があって・・・座頭市、もうすぐ全作品ゴールです(笑)

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