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16 posts from November 2004

November 29, 2004

untitled 29 Nov,2004


Shinjuku-Gyoen, Tokyo

November 28, 2004

崔洋一 / 『血と骨』

新宿コマ前の小屋に行くのは普段あえて避けているので久しぶりだった。関係ないが今は無き噴水の前を通るたびに「俺たちの旅」のグズロクを思い出してしまう。さて、本題。これは梁石日原作になる同名小説の映画化だが、これほどビートたけしの役者としての本質に合う役柄はない。おそらく、映画の企画は彼を主役に据えることが無ければ成り立たなかっただろう。物語は梁石日の父親がモチーフになっており、大正の末、少年時代の金俊平が済州島から日本に渡航し、戦中戦後を経て北へ引き上げるまでの過激すぎる半生を家族の愛憎を絡めて描いたものである。
その過激の程度は確かに常軌を逸しており、充分映画的に魅力的なものを持っているが、モチーフとしては特別に数奇という訳ではない。むしろ特に昭和という時代においては描かれがちな家父長としての強権的な父親像なのだ。ただそれが度を超しているというに過ぎないのである。在日としての不遇と辛苦が背景に強烈に存在してはいるが、実はこれはありきたりな昭和の物語なのだと思う。
一代でたたき上げた蒲鉾工場の成功と高利貸しへの転身、徹底的な吝嗇と憎悪、それに翻弄される家族と滑稽なまでの暴力。原作を読んでいないのでなんとも言えないが、この金俊平という男の来し方が映画では描かれていないので、それが不明なまま観客は暴力をひたすら見せられることになる。この肉付けをもう少し、と思うのは私だけだろうか。
しかし、つまらなかったといいたい訳ではない。むしろ逆に出色の出来映えであると思う。これは後に残る映画だろう。
脇役の面々に個人的に好きな俳優が揃ったことも気に入った理由だ。特に北村一輝は三池崇史の「日本黒社会」(99年)以来のファンでもある。黒沢清「地獄の警備員」(92年)でデビューした松重豊はここに来て実力のある脇役としてますます存在感を増してきており今後の活躍が楽しみだ。ほか、河瀬直美「火垂」(2001年)の中村優子を見いだしたのはこの映画の存在意義の一つだととりあえず言ってしまおう。
またセットや小道具のディテールをおろそかにしていないのも好感が持てる。これは時代を描く映画では必須であり、物語以上に顧みられてよいことなのだが、特に邦画において軽んじられているのは何故か。予算の問題かも知れないが。
個人的には大好きな大杉連と田口トモロヲが出てなかったのがこの映画の良さの一つだといったら、怒られるかな。
崔洋一も今までの作品とは異なる思い入れがあったのではないかと想像するに足る重厚な作品だ。(2004年、144分)

November 25, 2004

『愚か者死すべし』にオロカモノ走る

原リョウの新作『愚か者死すべし』発売日の今日、すずらん通りの東京堂書店まで買いに走った。すぐに読まず、楽しみを週末まで取っておこう。

(待ち侘びた読者の念で写真にエクトプラズムがっっ!)

November 23, 2004

西院駅ホームの画家

ご当地の踏み絵」というサイトが面白くて、しばらく住んでいた京都の項目を笑いながら読んでいたが、「関東は基本的に東夷(あずまえびす)の住む田舎であると思っている。」などというのには思わずほくそ笑んでしまった。同じ関西でも京都と大阪は別世界と言われるが、大阪をみてみるとさすがの濃さ、いやあまりの個性に項目の量が他にくらべて多いだけで笑える。「いつでも会えそうなタージンだが、まだ街で見たことがない。」などというのはまさに関西人以外はなんのことか分からないだろう。ずっと前、テレビで全国大学落語研究会トーナメントというような番組があった。まだ学生時代のタージンがピン大=桃山学院大学代表で出ていて、他を抜きんでて面白かったのを覚えている。その後、関西ローカルのレポーターになっているが、実は前に京都四条大橋ですれ違ったことがある(全然自慢にならない・・・)。その落研トーナメントでは、後に本当に噺家になった春風亭昇太も出ていたが、やはり周囲を圧倒していた。

さて、こんなことを考えているうちに、阪急京都線の西院駅ホームで毎日のように見かけた画家を思いだした。この人、ホームの壁にある消火栓ボックスの上にクロッキー帳をおき、ただひたすら絵を描いているのである。その絵も近づいて覗いてみると地下鉄の情景などではなく、全く別の風景画のようなものだった。全く謎だ。阪急で西院を通るときはそのひとがいるかどうかを確認しないではいられなかった。
そう思い出してサイトを調べてみると、「マン・レイになってしまった人」というサイトの日録(2003年11月6日)に記述があるのを発見した。その日記には河原町方面に向かう阪急電車の中から撮った写真まで載せておられる。写真にまで巡り会えるとは、物事は調べてみるものだ。美術家のやなぎみわさんが京都新聞にこの画家に関するコラムを載せていることにも触られていて、この記事を今さらながら読みたくなってきた。
私が最後にみたのはもう10年も前の話なのだが、少なくとも昨年まではまだ描いていたことが伺える。しかしいまどうされているのだろう。どなたか情報をお持ちの方に伺ってみたい気がする。

November 21, 2004

水木しげる『ふるさとの妖怪考』 / 『大(Oh!)水木しげる展』

このあいだ、ボクシングミニマム級世界タイトルマッチを観に国技館へ行ったとき、ふとみると両国駅の改札に「大(Oh!)水木しげる展」のポスターを発見して、ゼッタイ行かなくちゃ、と思っていたが、忙しさにかまけてすっかり忘れていた。もしや既に会期を終えてしまったのではないかと江戸東京博物館のサイトを確認すると、1月10日まで開催されているということで安心した。安心するとまた忘れそう。

水木しげるといえば、生まれて初めて「書店で本を取り寄せるという大イベント」を敢行したのが「ふるさとの妖怪考」(74年、じゃこめてい出版)だった。朝刊の下段、新刊案内にみつけてどうにも欲しくなり、本屋で親父に書名を告げたが、妖怪考の「考」は「考える」と説明したつもりが出来の悪い小学生のこと、「ふるさとの妖怪を考える」と伝わってもどかしい思いをした。この記憶がいまだに鮮明なのは多分かなりドキドキしてたのだろう。嗚呼、感傷。

それにしても会場で買えるグッズ、「目玉の親父Tシャツ」と「マグカップ」が欲しい。欲しすぎる。
考えてみれば、小学生の当時からなにも成長していないのだった。

November 20, 2004

ヴァーチャル書庫『ブクログ』

人にはいろいろな欲求があるものだが、他人に自分のプライベートな本棚を見せたいという欲求にはなにか倒錯めいた感じがしないでもない。本棚はその人の趣味嗜好、思想傾向をそのまま表すものだから、それを覗かれるというのは自分が値踏みされるのと同じで気恥ずかしい。先日、古本屋を呼んで階段まであふれ返る本を整理したのだが、店主はまず本棚を一瞥してくすりと笑った、ような気がしたが気のせいか。でも高く買ってくれたので文句は言えない。
そんな私が矛盾するようだが、「Web 本棚サービス ブクログ」に書庫を作ってみた。思いつくままに本をリストアップしてゆく作業はなかなかに楽しいものだったが、なぜかサイトが異常に重く何度もタイムアウトを繰り返して思うように作業を進められなかった。同じ資本のJugem系blogもいつも重いのだが、これは要改善だ。本ごとにコメントやトラックバックが付けられるというアイデアが非常に良いだけに残念だ。とくに、本棚の編集画面で、一括して更新出来ないという仕様はなんとかならないものだろうか。登録を続けて、あとで分類やコメントをしようとしたが、1冊づつ更新をしなければならず、しかも重いために事実上作業が続けられないのだ。かくして、昨日は考えていた構成のすべてを入力出来ず、途中で作業を断念した(つまり眠くなって寝た・・・)。このために現時点ではかなり偏ったものとなってしまった。しかし書籍を主体にしたネットワークとは、試みとしては非常に面白いものだ。閲覧者がamazonに誘導される仕組みを作ることで、ユーザにはブログツールとして無償提供が可能になる。アフェリエイトでユーザへの還元も可能だ(私はamazonアフェリエイトをやっていないが)。このようなweb書店とのコラボレーションはビジネスモデルとしても興味深く、今後の成り行きを注視したい。

November 18, 2004

『ムックリ』/ 呼びかける響き

ムックリ
唇に当てるたびに少しづつ鳴ってくれるようになった。
その響きはまるでからだのなかの本当の自分に呼び掛けているかのようだ。

November 16, 2004

松任谷由実/『VIVA!6x7』で6x7を想う

ユーミンの新譜「VIVA!6x7」が発売されて、一体この題名は何だろうと思ったのだが、一瞬、また田中長徳がカメラマニア向けに本を出したのかと勘違いした。6x7とは写真のフォーマットでいわゆる中判サイズのひとつだ。フィルムサイズが大きくなればそれだけ精細な仕上がりが得られる。またエディトリアルな目的では雑誌のタテヨコ比率に近く、トリミングが少なくて済む効率的なサイズでもある。
むかし、プラウベルマキナ670というロクナナを使っていた。撮影時にレンズを引き出す機構なのだが、まるでパンタグラフのようなタスキ掛けの仕掛けがアウ゛ァンギャルドだった。ピントは巻上げレバーにありレンズと同軸にない。内部でワイヤを使ったカラクリがギリギリと動いているのである。
マキナ遣いの写真家としては、高梨豊や荒木経惟が思い浮かぶ。
その後、遣い倒した挙句に売ってしまった。

ユーミンのロクナナは、実は本当にこの写真のロクナナのことらしい。既にノスタルジーの道具に使われているとは驚きだ。

VIVA! 6X7

November 13, 2004

衝撃のネーミング / 『肉単』 

「医道の日本」という雑誌を毎号ではないが興味のある特集が組まれると良く買っている。鍼灸の治療家向けの専門誌だ。私は鍼灸師でもなく、仕事も全く異なる分野なのだが、ここ何年か代替医療や東洋医学などへの個人的なほのかな興味、特にラジエステシアやラジオニクスといったマージナルな(つまり少しばかり危なげな)分野に興味があって、Oリングテストや握薬などの微細な筋肉反射を利用した診断法についての周辺を気がついた時に集めている。(またまた酔狂な、という声あり。でも専門誌って面白いんだよ!)
で、神保町三省堂で医学書の棚を眺めていたら目に飛び込んできたのがこれだ。「肉単」、このダイレクトなネーミング。中華料理屋のメニューにあってもおかしくない音感。(そりゃ菜単だろ。)昔、受験生の詰め襟のポケットには必ず入っていた「赤尾の豆単」とは全然関係ないが、これは医学・医療系学生向けの解剖学英単語集なのだった。
表紙文字のポイントが不必要に大きいので、一度みると度肝を抜かれて簡単な病気ならこれで治るかも。
ま、それだけの話なんですけれど・・・、ちょっとビックリしただけです、はい。
原島 広至文・イラスト: 肉単(語源から覚える解剖学英単語集 筋肉編)
原島 広至文・イラスト: 肉単(語源から覚える解剖学英単語集 筋肉編)

November 10, 2004

ちょっと気になる検索フレーズ

ココログのアクセス解析には、そのblogにどのような検索語でたどり着いたかをリストアップする機能がある。そのなかでこんなフレーズを発見。

こ、これは・・・。こんな検索語でヒットするblogって・・・(笑)。
言われてみればその通りで妙に納得。

November 09, 2004

Untitled 9 Nov. 2004


Roppongi, Tokyo

November 08, 2004

『trumpi / トルンピ アントン・ブリューヒンの口琴新世界』

trumpi.jpg口琴映画、というジャンルがあるのかどうか分からないが、これはスイスの口琴演奏家ブリューヒンが、手に隠れるほどの小さくてプリミティブな楽器=口琴を手に地元のスイスからロシアのサハ共和国、そして東京を旅するドキュメンタリ・ロード・ムービーだ。まず最初のシーンでいきなりに理解不能なマシンが現れる。ペットボトルのオモリ(?)で回るまるで点滴のスタンドのような機械。後のシーンで出てくる口琴の響きを増幅・共鳴させる紙管、連続して口琴のリードを振動させる電気機械。これはまるでスイスの明和電機?それにしてはその思索的な風貌が音の求道者を思わせる。口琴は民族楽器というイメージだったが、そのアプローチのあり方はまさしくノイズミュージックの流れに繋がっているようだ。ヘンな機械を黙々と扱うブリューヒンは音のアルケミストか。ただ、演奏中に複数の口琴を切り替えつつ同時演奏するために2,3個の口琴を木片とネジでつなぐ方法は直ぐに使えそうなナイスアイデアだ。
しかし、サハの風光は魅力的だ。ホムスを作る鍛冶のシーン、伝統音楽のレッスンを受ける少女などのシーンは映像として興味深い。シベリアの夏、素朴な人々の口にはいつも口琴が鳴っている。
この映画は旅人ブリューヒンを中心に、一切の説明、字幕を排してただひたすらに淡々と旅のシーンをまるでスナップショットのように映し続ける。観ている私がまるでその旅に同行しているような心地よい錯覚にとらわれる不思議な映像詩だ。ほか巻上公一、直川礼緒。1999年/スイス/70分。(DVD)

November 07, 2004

『座頭市』に肩まで浸かってみる

以前、北野武の「座頭市」についてエントリを書いたが、言うまでもなくオリジナルは大映の勝新太郎主演になるシリーズだ。原作は子母沢寛の「座頭市物語」という小編で、「飯岡の助五郎」という作品にも登場する。共に短編だが、映画の脚本はこれをオリジナルとして膨らませ、映画として当たるとその後多くの脚本が書かれた。
映画「座頭市物語」の前身となる1960年の「不知火檢校」から、「続座頭市物語」、「新座頭市物語」と続編が作られるなかで63年、64年には各々年に4作づつも制作発表されるなど大映のドル箱となった。この頻度には驚かされる。平均して3ヶ月に1編づつ新作が発表されたことになる訳だ。それから13年後の73年までに25作が発表された。
「不知火檢校」でのピカレスクぶりには圧倒されるが、その後、ヒーローとなり人口に膾炙されるにつれ、市の行動には観客に感情移入されやすい「義」が与えられてゆく。何を考えているか分からなかった不気味さも、後の作品では恋もすれば、幼子の情愛に涙するようにもなってくる。この変容がこれから見どころとなりうるかも知れない。
ということで、まだ観始めたばかりなのだが、全26作に「不知火檢校」の1作を加えた27作(北野版は加えず。)を観終えるたびに右サイドバーのリストにチェックしてゆくという酔狂を始めた。

November 04, 2004

遠藤哲夫/『汁かけめし快食學』(ちくま文庫)

告白すると、おでん(関西では関東煮=かんとだき)の余りつゆをたっぷり目にアツアツご飯にかけて食べるのが好きだ。残りがちな昆布やコンニャクがあればのせる。全部食べたと思ったチクワブを鍋の隅にヒトカケ見つけたら、狂喜しつつそれものせる。だが、本当は何も要らない。ただ、ひと晩たって味の馴れたつゆとご飯があればいい。ちょっとカラシを溶き入れてね。この本を読んで思わずカミングアウトしてしまった。プチ後悔。

汁かけめし、いにしえの芳飯からカレーライスまでのウンチクを執拗に語るこの本を読むと、言うまでもないが日本人が如何に飯好きかということをあらためて認識させられる。なにせどうやったら美味しくご飯が食べられるかを民族の課題として、何世代も追究してきたのだから。
著者のサイト「ザ大衆食」にも啓発されまくりだ。曰く、「気取るな、力強くめしをくえ。」
この力み加減に少しばかりの笑いと日本人の業を感じる。イラストの東洋片岡がイヤになるほどマッチング。神保町書肆アクセスにて購入。

汁かけめし快食學
遠藤 哲夫
4480039783

November 03, 2004

新宿東口/書店戦争勃発?

10月30日に新宿東口三越7・8階に淳久堂書店がオープンした。向かいには紀伊国屋書店本店というはなはだ挑戦的なロケーションだ。1100坪の総床面積に常時90万冊の在庫ということで、紀伊国屋も手をこまねいていられないのではないだろうか。淳久堂はもともとは関西系の書店で神戸に創業した。小生も当通信社の京都支局で冷や飯を食わされていたころに四条烏丸店にはずいぶんとお世話になった。檸檬で有名な河原町の丸善と今はなき駸々堂、そしてこのジュンク堂をハシゴして、イノダコーヒでページをめくる、さみしいっちゃさみしい隠者生活を8年も続けてしまった。駸々堂は経営破綻し、また理工学書のオーム社や、京都書院の店舗も河原町から消えてなくなった。記憶に新しいところでは青山ブックセンターの例あり。歴史ある書店も栄枯盛衰の理りを逃れられないのだ。かねてから個人的には新刊書店であっても品揃えだけではない特色のある書店を求めているのだが、時代の流れは「大型化、在庫数」なのだろうか。紀伊国屋新宿南口店しかり、淳久堂大阪アバンザ店しかり。また、最近の傾向として、書店のサロン化も特徴的だ。丸の内に先日移転オープンした丸善もこの点を特徴としている。書架の脇に椅子を設けてユックリ本を選ばせるというスタイル。私には、ユックリ本を立ち読み(座り読み?)して帰らせる、というように聞こえてはなはだ喜ばしいのだが、新宿ジュンク堂も同様のしつらえだ。
しかしいままで新宿東口で本を買う際には、紀伊国屋に寄るほかなかった。しかも常に超絶的混雑で息苦しいほどだ。エレベーターもさんざん待って、しかも乗れないことが多い。仕方がなく階段で上がるために、混雑の中で息切れしている「若くない自分」をいつも認識させられるという辛い面があった(笑)。
これが分散してくれれば、客としては非常に喜ばしい。競合が出来たことでお互いにより特色を出してゆこうともするだろう。紀伊国屋は自社ビルを活かした入りやすい集客を、淳久堂は7・8階というデメリットがあるもののフロア面積の広さでの移動しやすさがありそうだ。
しかし私としては大型書店へのカウンターとして、中小規模でもテーマにこだわった専門新刊書店が増えると楽しいのだが。

November 01, 2004

口琴を聴きにゆく / シラギ・アーロン、長根あき

31日、日本口琴協会主催の口琴演奏会「ハンガリアン口琴狂詩曲」を霞ヶ関プラザホールに聴きに行った。今回は、ハンガリーの口琴製作者としてあまりにも有名なシラギ・ゾルタンのご子息で口琴演奏家のシラギ・アーロン氏の来日に合わせ、ムックリの長根あき氏、フィリピンのカリンガ族(ルソン島)出身のユニット「トゥグノ」、また飛び入りでロシア・サハ共和国から来日中のハトラーエフ夫妻の演奏を含めた2時間半の口琴演奏会となった。
口琴の演奏についてはいままでweb上の音源を聴いてはいたものの生で聴くのは初めてだったが、音の表情の豊かさと超絶技巧に圧倒された思いだった。これほどまでに音色のバリエーションが操れるものなのだろうか。口腔、耳管、頭蓋などを共鳴させて生み出す倍音は聴く者の脳を心地よく解きほぐしてゆく。
シラギ氏や長根氏の演奏もさることながら、ハトラーエフ夫妻の演奏は冬にマイナス50度にもなるというサハの酷寒を彷彿とさせる素晴らしい演奏だった。地吹雪や馬、鳥などの動物を模した口琴、発声による演奏は、民族の記憶、時間の堆積を思わせてやまない。ヨーロッパへのフライトでみる機外カメラに映し出されるユーラシアの大地、延々とつづく氷のまだら模様をイメージしながら演奏を聴いていた。この後、11月3日に目黒の「アサンテ・サーナ カフェ」でワークショップが、また11月6日に中野タコシェでレクチャーがあるようだ。(日本口琴協会のサイトに詳細。)自分へのおみやげにムックリ500円を購入。

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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