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June 06, 2004

映画 『パッション』 / メル・ギブソン

先日、新宿高島屋のテアトルタイムズスクエアにてメル・ギブソン監督「パッション」を観た。
キリストが磔刑に処せられ、復活するまでの最後の12時間をこれ以上ないほど克明な描写で描いた作品だ。先行してバチカンを始めとしてこの是非についての論争が巻き起こったということだが、キリスト教文化圏の人々、もしくは日本人でも信仰を持つひとにしてみればこのゴルゴダの丘までのシーンはなじみ深いものなのだろう。

なじみ深いが故に、おそらくそのシーンはソフスティケイトされ観念あるいは宗教的理念として一般に受け取られることになるのだろうが、それに対してキリストの贖罪を映像として妥協なくリアルに描いてみせることが信仰の原点とこの映画は主張するかのように見える。

とにかく過酷なまでに残酷でリアルな描写だ。途中、正視出来ずに目を逸らした場面が何度かあった。リアル過ぎて見ていられないのである。

というのも、私にはキリスト教の信仰はないし、たとえ信者でなくとも一般教養としてのキリスト教にも暗いので、ユダの裏切り、最後の晩餐、罪人バラバ、提督ピラトの「この人を見よ」、マグダラの娼婦マリアなどの断片的な話は知っていたものの余りにも不勉強だったために、山の上で説教しているから、これは山上の垂訓のシーンかな、などと頭のなかを探し回るのに精一杯だった。この映画を観ようとするのならば、福音書に関する本などで予習をしておくべきと後悔した。

かなり前だが、新宿コマ前で映画「テレーズ」を観に行き、その興味でテレーズの著作を図書館で借りたことがあったが、修道女の修行として、このシーンを克明にリアルに観想する場面が出てきたような記憶がある。
信仰に厚い修道女が、この磔刑を自分自身の体験として感ずるまでに、余りにも深くリアルに思い描くために手のひらや足に出血する現象=スティグマが起こることもあるらしい。

その意味で、このリアルさは興味本位やケレンで映像化された訳ではなく、もともとキリスト教の持つ修行や瞑想手法の延長上にあるものと考えてもよいのかも知れない。

あらゆる宗教はその原点においてはラジカルで破壊的で、そのうえ血腥いものなのだろう。2004年、127分。

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