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13 posts from April 2004

April 30, 2004

アクセス数3000、とはいえ・・・

3月7日にアクセスカウンタを設置して、今日アクセス数3000を超えた。ほぼ2ヶ月弱の期間として多いのか少ないのかはよく分からない。が少なくとも、なにやら一貫しない主義主張の不鮮明な、一神保町散策人の書き散らしがこの数だけの人の眼に触れたということは、おそらくはそれが軽蔑や憐れみであるとしても考えてみれば驚くべきことだ。

このWeblogに用意されたアクセス解析では、サイトを訪れたひとがどのようなキーワードに導かれたのか、どのサイトから流れて来たのか、そしてどの記事を見たのかまでが分かるようになっている。単純にアクセス数を増やすのが目的ならば、これらを参考としてそれに迎合した記事を書けばいい、まさしくそういう目的で作られた機能なのだろう。

これで商売をする、もしくはこの数の増加を何故か至上命題と考えるのであれば、これは看過できない重要な情報として活用すべきだ。会社組織ならばおそらく兵隊たる社員に、例えば朝礼の時間に上長から「ここを攻めろ、平社員!(なんて言わないか・・・)」などと檄が飛ばされるに違いない。

だが、こうやって書くことをある種の癒し(この言葉は胡散臭くて使いたくないが)、もしくはリハビリとして考えている自分としては、アクセスカウントや解析は返って邪魔になる。これに関わり合うと、必要以上に意識して本当に自分が書きたいことが書けなくなるような気がするからだ。これは本末転倒というものだろう。

アクセス数アップのために幇間をやる気はないが、あまり読まれないのは寂しいのだから難しいものだ。

April 25, 2004

『銀と金』 / 福本伸行

いまさらといわれるかも知れないが、福本伸行のマンガ「銀と金」がおもしろい。
コンビニのマンガコーナーで月1回程度の間隔で再刊されているのが待ち遠しくて出ているとすぐに買うのだが、忘れるとすぐに無くなってしまうので気が抜けない。分類すればギャンブルマンガということになるのだろうが、そうとも簡単に言えないところが深い。主人公の若者森田鉄雄が闇世界の大物である平井銀二に見いだされ、場数を踏んで成長するという物語だ。
これがおもしろい。画商との真贋勝負、金持ちのドラ息子が仕掛けるイカサマポーカー、大企業オーナーの後継ぎにからむ格闘などのエピソードは単なるギャンブルやアクションではなく、共通して人間の欲望と駆け引きの根元的な機微をテーマとしているらしい。
一昨日の朝、コンビニで新刊を見つけ購入して待ちきれずに通勤電車で読んだ。私の周囲で日経を読む殿方からは、おそらくいい歳をして朝からマンガを読むとは、こいつ会社でロクな仕事をしてないんだろうな、とでも言いたげな冷たい視線を痛いほど感じた訳だが(自意識過剰?)、実はそれがちょっと快感だったりして。
未読の方は騙されたと思って一度読んでみてください。たしかどこかで呉智英が絶賛していた記憶もあります。

しかし、ロクな仕事をしていない、というのはおっしゃるとおりで面目ありません。

【追記:23,May,2004】 新刊がまたコンビニの棚に並びましたね。早速購入。森田鉄雄は前回の死闘で懲り足を洗うと宣言。今回は大物政治家と平井銀二が300億を賭けて「競馬」で勝負です。・・・この作品は確か未完だったと思うのですが、どこまで話が進むのでしょうか?

April 21, 2004

理想のテキストビューワとは?

例えば電車のなかで手軽にテキストを読みたい、といった場合に使える電子小物は一体、何が良いのだろうか?
私が読みたいテキストとは、WEBで拾ったコラムやニュース、その時々に検索しヒットしたサイトのテキストコンテンツ、そしてなにより「青空文庫」の小説を読みたい!なんせタダやし。

以前はDOSベースのHP200LXというパームサイズPCにテキストの縦書き表示が出来るJupiterというソフトを入れてよく電車の中で読んだものだった。しかし、さすがに世の中が進んでくると倍速クロック改造をしてはいるものの遅さが気になり、画面もバックライトがないので、朝日の射し込む車内では画面が見えないなどの理由で結局、今では使っていない。

ソニーから電子書籍リーダ「リブリエ」が発売されて、これはもしかすると理想のテキストリーダか?と思ったが、どうも専用(もしくは業界規格)の電子書籍形式データでないと扱えない、ような感じである。これは確認した訳ではない、というよりソニーのサイトを見たのだが、素のテキストが読めるかどうかがサイトの説明では分からなかったのでなんともいえない。もし、これが不可能で、読めるコンテンツが有料の規格品だけ、という仕様ならば私は要らない。

やはり、palmやPocketPCなどのPDAにテキストビューワソフトの組み合わせが現時点で最良の選択なのだろうか。
私の場合、スケジュール管理などをPDAではやらないだろうし、諸々の機能は全く不要。単にテキストが長時間サクサク読めればそれで良し。この単機能でお値段9980円!などとジャパネットたかたの訛りが入った連呼を聞いたりしたら即買いします。

是非こういうものを開発して欲しいですね。ソニーさん。

April 18, 2004

DVDプレーヤーが壊れたのです

レンタルで新作「さまぁ~ずライブ4」と「呪怨」をDVDで借りて、帰りにどちらを先に見るべきかにつき悩み、やはり「呪怨」を先に見てさまぁ~ずに怖さを癒してもらうのが吉かな、と決めて帰宅したが、再生してみるとDVDプレーヤの音声が出ない。まずはメディアを疑ったが2枚とも同じ症状だったのでプレーヤがおかしいということになる。

以前ビデオの電源が入らずサポートセンターに電話をして、「コンセントは入っていますか?」と訊かれ、よくよく確認すると掃除のために抜いていた、という恥ずかしい思い出があったので、まずはテレビとプレーヤがケーブルで接続されているかどうかを確認したがこれは問題ない。

よくよく観察すると、フロントパネルに当然出て然るべき時間表示などのインジケータが全く出ていない。
それでいて画像だけはきれいに再生されているのである。これははっきりと故障だ。サポセンのお姉さんにも胸を張って主張できるぞ。こんなことで喜ぶのもなんだが。

しかし、「呪怨」も音声がないと全然怖くない。奥菜恵が単にかわいいだけだ。
さまぁ~ずなどは、たまに三村の「かよっ!」が分かるだけで少しも可笑しくない。当たり前だが。

(音が無くても「かよっ」だけははっきり分かるんです、これは発見だ。)

仕方がないから、借りた2本は見ずに返した。ちょっと勿体なかったな。
明日、メーカに電話してみるか。

AC公共広告機構のコマーシャル

AC=公共広告機構のコマーシャルが何故か気になっている。

自分の子供なのに愛し方がわからない。 まず、子供を抱きしめてあげて下さい。

こんなナレーションが入る児童虐待防止のキャンペーンだ。そのメッセージ性がどうとかそういうことではなく単にその映像に惹かれてしまうのだ。そのからくりを考えてみると、おそらく、母親の顔を髪の毛で見せず子供も後ろ姿で顔をみせない姿で始まる、色調を沈んだ水色のモノトーンで統一、短い主題のフレーズを反復するBGM、などが思いつくがどうだろうか。制作者はおそらくこれ以上のテクニックを使っている筈だ。ちなみに音楽は千住明によるものでこのCMのオリジナルらしい。
純粋に映像として美しくて、放送されるたびに見入ってしまう。

『生活』 / 島尾伸三

この間ここで書いた「写真装置」誌の創刊号「戦後写真の転換」では島尾の「生活1979・1980」が巻頭を飾っている。妻と娘、父親と姉、家族と自身の関係性を淡々としかも営々と記録しつづける行為。これは島尾が単なるメモリアリストということでは勿論なく、いわば私小説のようなもの、というよりこれはまさしく写真の体裁をとった私小説そのものだ。
photojapon.jpg家族の日常写真というものは、たとえば戦場での生き死にを記録したフォトジャーナリストの作品となんら変わることなく写真として等価であって、あるいは時としてそれ以上の深さや厚みをもたらすものだ。照片雑文と副題のついた単行本「生活」(みすず書房、95年・写真右)は、この写真装置誌での掲載がきっかけとなってその後10年以上にわたる作品を詩文とともに纏めたものだ(「生活」跋文)。各々の写真にはそれぞれキャプションがついている。これは写真装置の大島洋が掲載時に提案し、当初無かったものを入稿時に加えたとのことだ。この詩的で内省的な一行のつぶやきが日常への祈りにも似た深さを醸している。
同じく「写真装置」12号特集「写真の現在」でのアンケートに島尾は、

なるべく統辞性をなくし、シンボル化しないサインを使用しようとしています。また、観察命題のようなものも、自分の作業からはずしていきたいと思っています。

と語っている。アプリオリに方向性を敢えて与えないということが日常の営為というこの作品の主題を浮かび上がらせているようだ。しかし、娘の真帆ちゃんのなんと可愛らしいことか。
ちなみに、言わずもがなだが父親は作家の島尾敏雄、夫人は写真集「冷蔵庫」で知られる写真家の潮田登久子、そして「生活」では2才頃から中学生までに成長している真帆ちゃんの今は漫画家しまおまほ。また、「生活」の腰巻きは吉本隆明による。

April 16, 2004

Myblog japanへ登録したが・・・

遅蒔きながらこのblogを始めてから約1カ月の今頃になってMyblog japanへ登録申請してみた。
blog世間では常識なのかも知れないが、最近ようやくRSSアグリゲーターを使い始めてRSSへpingを送信することの意味が分かって来たからでもある。
が、Myblog japanへのpingはココログからは設定できないようだ。Movable Typeでは設定できるのに。 とすると毎回送信はサイトから手動でしなければならないのだろうか。これは面倒くさい。
Myblog japanの新着記事をみてもココログドメインのblogは殆ど見あたらないから、実は自動で送られていた、ということもなさそうだ。本当はどうなっているのだろう。

ちなみにMyblog japanへは無事登録されたようです。

【posted as moblog】

April 11, 2004

『写真装置』誌

80年に創刊された「写真装置」誌(現代書館)は作品「幸運の町」で知られる大島洋の編集による写真評論誌だった。終巻からしばらくは大きい書店なら写真の棚にバックナンバーが揃っていたものだ。
下の写真は第7号だが、創刊号の表紙を飾ったのは荒木経惟の出世作「センチメンタルな旅」だった。

shashinsochi.jpg

執筆は多木浩二、四方田犬彦、伊藤俊治、三浦雅士、西井一夫等、当時写真論の錚々たる論客たちである。
最近、このような切り口の雑誌は見かけなくなった。せいぜいアサヒカメラのコラム程度であって、写真論、写真評論そのものがあまり語られなくなったのは寂しい限りである。採算よりも止むにやまれぬ創刊の意志を持った大島のような人物が出なくなったのは何故だろうか。

話が脇に逸れるが、時代の才能というものは、その時々のトレンドに集まる、ということがあると思う。
今ならゲームやウェブクリエイターなどがそれに当たるのかもしれないが、70~80年代はカメラという耐久消費財が容易に買えるようになり、若い才能表現の受け皿になった時代だろう、と大雑把に言ってみる。ここに才能が集まった時代なのだ。これがいまでは拡散しているのだろうか。おそらく異論はあるだろうが。

ともあれ、骨太な写真評論をもっと読みたい、と思うのは私だけだろうか。先鋭な才能を掘り出すような挑発がないのはさみしい。

ロイヤルティーフリー人物画像

雑事にかまけてMovable Typeへの移行が遅々として進まず、とりあえず6月までを目標としてはいるものの、借りたレンタルサーバは今のところ遊んでいて実に勿体ない話である。しかし初志貫徹、完了すればこのblogは現在のプラスからベーシックに戻してMTと並行する形を取りたいが、テーマを重複させるのはあまり意味のないことでもあり、写真、映画(とはいってもまだまだ書き込みは足りないが)はココログに担当させて、MTの方は多少の関連はあるにせよ別のテーマを設定する方針だ。この方向性、コンテンツの色が明確になったところでstartしたい。しかし、その内容をつらつら考えるのは楽しいものだ。ちょうど幼稚園児がお絵描きの時間に色とりどりのクレヨンを選んでいるようなものだ。おまけに昨日はお昼寝の時間もあったりして。

そこで、漫然とWEBを歩き回りながらMTで使う素材をさがしているのだが、自分の写真を使うのはもちろんとしても肖像権とかほかのややこしい関係があって、使いたい人物スナップは如何に自分の写真とはいえ簡単に使用できない。ややこしいとはつまり自分のものを使うのだから著作権は問題ないが、人物となるとたとえ写された本人の承諾を取ったとしてもアップされた知人の顔との関係性というものがいろいろなことを勝手に語ってしまうものだからである。それでロイヤルティーフリーの画像ということになる。

しかし、おそらく同じ理由からか、私設のフリー素材サイトも人物写真となると圧倒的に少ない。たとえあっても、二次加工ができないなどの制約があるか、最初からフィルタ加工してあって私には使えないものばかりである。私の場合、二次加工どころか原型をとどめないほどまで、とまでは行かないものの加工が前提だからである。モデルが気に入らないということも大きい。

やはりこうなれば有料の素材を使うしかないか、ということで昨日は新宿の量販店で探したが、これもイメージにかなうものは少なかった。ただ、値段は少し高いが1社の製品でなかなかよいものが見つかった。WEBでCD-ROMの内容がすべて確認できるので買って後悔することもなさそうだ。これらはサイトでも1枚から買えるようだ。(ただしバラの1枚単価は割高。)仕事柄、こういった画像はストックフォト会社から年契で買ってはいるが、法人相手では恐ろしく高い。しかも契約期間が過ぎれば使用不可となる時限契約であるから、個人では無理だ。

ただ、使う使わないは別として、素材サイトを経巡るのは意外に楽しいことが分かった。
いくつかのサイトはブックマークしてたまに訪れようと思う。

April 08, 2004

土門拳賞作家 『鬼海弘雄』 補遺

以前、鬼海弘雄の土門拳賞受賞に関する感想ともつかないものをこのblogで書いたが、少々気になり導かれるように本棚を探してみると、果たして福武書店(現ベネッセ)発行の「PHOTO JAPON」誌、1986年8月号に鬼海の作品が特集されていた。

その後、写真集「王たちの肖像」から「PERSONA」に結実する浅草寺境内のポートレートが「日本人の肖像」と題した9葉の写真として掲載されている。ちなみに、同号には橋口譲二「光の模様-シリーズ動物園」の連載第8回、稲越功一「summer's memory」、伊藤俊治や飯沢耕太郎の評論がみえる。

巻頭の作者紹介欄には鬼海の写真とともに、法政大学の哲学科で哲学者の福田定良に師事し、福田から紹介された元カメラ毎日編集長だった山岸章二(ともに物故)から「写真家になりなさい」と勧められたとある。

このなかで鬼海は、このポートレートを撮影するにあたって、

一番気を遣ったのは、良しきにつけ悪しきにつけ、モデルの目をどう表現するかだった。

と語っている。
たしかにそういわれて改めて作品を観ると、被写体の視線がそれぞれの人格=PERSONAをよく表現しているとおもうのだ。普段、人は他人に対峙するとき意識せずに相手の視線を見ることによってその心の内を推し量っているのだとすれば、鑑賞者が鬼海のポートレートに対峙する時もまた、その撮影の場に立ち会うことに他ならない。それが彼の写真に独特の存在感を与えているのではないかと思うのだ。


April 07, 2004

『既視の街』 / 渡辺兼人

6x6のスクエアなフレームに切り取られた風景。視線はこの風景を冷静に突き放しているようだ。耳が痛くなるような静寂を感じる知的で孤独な風景だ。82年に日本橋のツァイト・フォト・サロンで写真展「逆倒都市」を見に行き、帰りに神保町の松村書店だったか、「既視の街」(新潮社、80年)を買った。そのとき私は肩にニコンF/ニッコール35mm、100ftの長尺から巻いたトライXをISO200に減感するというスタイルで、大学の講義へはあまり出ずに写真展ばかり渡り歩いていた。kishinomachi.jpg
こんなディテールばかり鮮明に覚えている割に他のことを忘れがちなのは何故か分からないが、渡辺の写真に影響されて、ミノルタオートコードを今はなき歌舞伎町の中古カメラ屋「ピンホール」で買ったりした。これはまだミノルタが千代田光学と言っていた頃の製品である。

余談だが、カメラが欲しくなるのは機能やデザインではなく、あの写真家が使っている、という一点に私の場合集約されるのである。この「既視の街」はオートコードで撮影されたと分かると、熱病のように同じカメラが欲しくなる。単純にガキなのであるが、その後このミノルタにはコダックのヴェリクロームパンを詰めてやはり痴呆徘徊する日々だった。

渡辺は人形作家・四谷シモンの実弟であるが、当時は全く知らずに両者に惹かれていて、ある日その事実を知った時の衝撃、というほどではないが、全く関係ないと思っていた二人が私の頭の中の線で結ばれたときには何かの冗談だろうと思ったりした。

「既視の街」は本来金井美恵子の小説であり、渡辺の作品はいわば挿画の趣で配されている。しかし、明らかにこれは渡辺の写真が主で、これに金井の小説を配した、というのが本当のところだと思う。そういう意図が明確な編集なのだ。渡辺はこの作品で木村伊兵衛賞を受賞している。

up to dateな写真シーンについても触れたいのだが、過去自分を擦過した作品・作家を極私的に振り返ってからでないと、何故かどうもそこに進めない気がして、申し訳ないけれど古い話ばかりを書いている。

April 04, 2004

Movable Typeへの道 【その3】

重かったココログも先週末ごろから軽くなってブラウジングも快適です。どの辺に原因があったのかわかりませんが、NIFTY様もおそらく徹夜で対応されたのでしょう・・・実際そうかどうかは分かりませんが。必死のメンテに頭の下がる思いですね。

ということもあって、MTへの移行も挫けそうなのですが、とりあえず、レンタルサーバをかりてみました。
MTのアプリ本体、日本語化のセットはすでに用意しているのですが、その前にスタイルシート関連の本をまずは購入して勉強です。

「HTML+CSS HANDBOOK 2nd edition」(ソフトバンク)
「スタイルシートスタイルブック」(翔泳社)

の2冊を購入。並行してNIFTY様お勧めのサイト「すちゃらか CSS 素材集」の過去ログを読みまくってますが、こちらはものすごく参考になりますね。

MTのインストールは明日以降トライしてみるつもりですが、どうなることやら。

April 02, 2004

流行る店・廃れる店

普段、例えば街を歩いていて不思議と何か暗い感じのする店や場所というものがあります。理由ははっきりと分からないのですが、物理的に暗いとか汚いとかではなくて、単に感じがするという、言わば印象のようなものとしてです。

例えばコンビニが2件、並んでいなくとも割と近くにある、というのはよくある光景ですが、一方は入りやすく明るい感じがするのに対して、片方はなにか暗い気がするということがあります。客の入りもその通りに違う。

近所にまさしくそういう店があって前から気になっていたのですが、暗いほうの店では会社で支給される食券が使えるのでたまに利用していました。

意識して照明を見ると決して暗くはないのです。むしろ螢光灯が明るすぎる位なのですが、印象として暗い。これは見事なほど薄暗い感じがする。客も意識してかどうか分かりませんが、もう一方に比較して圧倒的に少ないのです。

程無くしてその店はつぶれましたが、その違いは一体なんだったのだろうと考えることがあります。コンビニですから品揃えは似たり寄ったりで大した差があるとは思えません。

それに気付いてから、普段行くいろいろな店や場所の持つ空気、雰囲気、印象といったものを意識していますが、面白いことに、居心地の悪い店、例えば喫茶店などは客の入りが悪い上に、客はすぐに出てしまうのです。どうも長く居られないような雰囲気があるようです。そういう店は大体、店の隅に盛り塩があったりします。

こういうことを言うと大抵は超自然的な話と言われますが、私の感じではそうではなくて、もっとメカニカルなものを連想するのです。

この話は機会があれば後日もっと掘り下げてみたいと思います。
街頭でのティッシュ配りにも関係する話です。

【posted as moblog】

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  • Gangs of Kabukicho.
    渡辺克巳

    097154803X
    新潮社フォトミュゼの「新宿」が絶版となっているなかで最近刊行された渡辺克巳の最新写真集。洋書。



    先般亡くなった路上の写真家、渡辺克巳の写真集。インサイダーとして夜の新宿を流した彼の生の証はその写された人々と共に永く記憶されるべき。


    ジャパン
    倉田 精二
    4106024330
    渡辺克巳とくれば倉田精二を挙げずにはいられない。日本のウィージーと言われたストリートフォトの神髄。都市の殺伐と虚像をこれほど表現した写真はない。

    にっぽん劇場写真帖
    寺山 修司・森山大道
    4106024187
    寺山と森山のコラボレーションは「あゝ、荒野」以前にもこの作品で既に成就していた。68年刊のこの作品は強烈なコントラストとイメージで時代を色濃く表現している。腰巻きの惹句「奇才ふたりが火花を散らすイメージ地獄巡り」も凄いが、天井桟敷率いる寺山へぶつける森山の渾身の「返歌」が熱い。中平卓馬がカメラを構える有名なショットもあり。これを見ずに森山は語れない。


    奈良原の写真は既に絶版になった朝日新聞社の「昭和写真全仕事」を所有しているが、トラピスト修道院に取材した「沈黙の国」「人間の土地」「消滅した時間」などパースを駆使した知的で静謐な写真は独特の美。「無国籍地」は廃墟をモチーフにした写真集。その圧倒的な画面の構成美を。

    Cui Cui
    川内 倫子
    4902943026
    川内の作品は柔らかい光と深度の浅いクローズアップなどを多用して日常の「合い間」を独特の色調で表現している。小生の勝手な感覚ではあるが彼女の作品にはどこか「彼岸の匂い」のようなものが感じられてならない。明るく静かな日常。ふと視線を外して見上げる窓の外の空。こよないものたちの空間。この作品は家族の何気ない日常をテーマとした写真集。なぜだろう、頁をめくってゆくたびに胸が詰まってくるのは。


    この間東京都写真美術館で行われた回顧展で再び植田の仕事が再評価されている。砂丘シリーズに代表されるこのモダニズムはいつまでも古びない。

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