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March 14, 2004

映画 『座頭市』 / 北野武

北野の映画は毎作作品レベルの振幅が激しい。それは観る側の過剰な期待による錯覚かも知れないが。
前作DOLLのスベリ具合(あくまで私的に)からすると、サインカーブがまたプラス側に振れてきた、ということだろうか。

子母沢寛の原作になる座頭市は勝新=市、というイメージが完全に定着しているなかで敢えてこれをモチーフとして制作した底に北野の意気込みが感じられる。ただ、この意気込みがともすると欧米の眼を過剰に意識してしまうことにつながるようで、特にHANA-BI以降その傾向が顕著だった。作家がなにを撮ろうがかまわないが、北野の領分はおそらくdollや菊次郎にはない。彼の本質はコメディアンなのだ。コメディアンとは観客を如何に楽しませるかという存在であり、映画にあっては作家のもつ無理のない資質で本領発揮されるのだろう。それは彼の場合、諧謔のうえに存在する暴力、なのだと思う。

今回は娯楽に徹した制作スタンスが結果的に成功だったと思う。
ガダルカナル・タカの小ギャグ(コギャルではない)も、外人に理解させようと無理していないところがよい。日本人のメンタリティに受ければ良いのだ。返ってこの方が理解されると言うものだ。

ただし、敢えて注文を言わせてもらえば、ピカレスクとしての座頭市を前面に出して欲しかったと思う。
本来座頭市は正義の味方ではない。独善的で心の底は闇なのだ。結果的に悪と対峙はするが、それはあくまで結果であって、市は決して正義を貫こうとしているわけではない。だから主人公たる市に観客は心のすべてを預けられない。そこにこのモチーフの妙味がある。それとも私は勝新のイメージが払拭しきれないのだろうか。

最後のタップは賛否両論だろうが、私は賛成。カタルシスまでをも感じた。
これは川島雄三の「幕末太陽伝」で、最後にフランキー堺が時代劇のセットのなかに飛び出してゆく開放感に通じるものがある。

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