August 15, 2013

ブログ終了のお知らせ

既に長らく放置されてはおりますが、この辺で月球儀通信を終了することにしました。
皆様には大変お世話になり有難うございました。

このブログのコメント欄は既に閉じられておりますが、niftyのアカウントが存在する限りはサイトをそのまま残すこととしました。

なお、下記に新たなサイトを作成してみました。

- from the other side of the river
http://azurite.fourtears.com/

テーマも何もなく極く個人的なことをつらつらと書くだけの備忘録的雑記です。

それではまたwebの波間の片隅で。

管理人


June 15, 2013

紫陽花

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庭の紫陽花がようやく花を咲かせた。
この紫陽花は植えたものではなくてどこからか種が飛んできたのだろうか、いつの間にか生えてきたものだ。
おそらく鳥が運んできたものだろう。
これまで花を見せたことがなかったので帰宅して懐中電灯で見た時に花をつけているのを見て嬉しくなった。
何だか嫌なこともこの花で贖われた気さえした。

柿の木もこれまで何年も庭師に刈り込ませていたからか、枝に力が行ってしまい実をつけるまでに至らなかったが、今年は伸ばし放題にさせていたので小さな実をつけている。

時折幾つかの実が青いまま屋根に落ちる音がする。
そのままごろごろと転がって、地面に落ちる小さな音がする。
いままで随分我慢させてしまって申し訳ない気分。今年は思う存分熟した赤い実を付けてくれ。

May 04, 2013

木々に詫びる

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日付をみると自分でも驚くが、何事もなかったかのように。
庭の木々が先月頃にはまだ芽が出始めたなと思っていたら、あれよあれよという間に葉が繁って、季節を見はからいながらここぞとばかりにまるで爆発するかのような生命力を潜めていたかと思うと驚くというより畏怖までをも感じてしまう。まぁ例年のことではあるが。左にちょっとだけ見えるのが栗の木。これは丈が高過ぎて素人の手に負えないので庭師を呼ぶ必要がある。物要りだ。


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木犀の方も若芽が繁って自己流で剪定したが、切った葉が山盛りだ。これでも先週一度切っているので、木犀だけでこの3倍はある。
高枝ハサミを使ったのだが、これが重くて腕の筋肉が悲鳴を上げている。痛い。普段の怠け癖が祟っている。

木を切るというのは例え剪定でもちょっと可哀想なので、木々にお酒をかけて詫びた。ごめんね、主人が怠け者で。今年もちゃんと実をつけて下さいね。

October 20, 2012

お十夜と猫

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最近用事ができてよく行くようになった墨東辺りを散策。神保町としばらく往復するように。
水のある風景は何だか心安らぐ。

そう言えば昨日、両国回向院を抜けて帰ろうと思ったら、かなりの人が出ていた。
ここの猫二匹を少々構ってから何だろうと本堂を覗くと、ご住職による講話をやっている。
神保町に帰り早速調べてみると、お十夜の法要らしかった。

お十夜といえば浄土宗系の寺院で行われるものだが、家の庭にある栗と柿の木は祖父が近所のお寺のお十夜で苗木を買って植えたものだと父親に聞いていたことを思い出した。それらも今では5m程もあって、今年ももうすぐ実を結ぶのだろう。

ちなみに回向院の猫たちはらっこちゃんとおちいちゃんという雌で、黒白の二匹はそっくりなので区別が付かないが、この間偶々居合わせたご婦人に伺ったら、背中が黒がちなのがらっこちゃん、白がちで鼻の下が黒いのがおちいちゃんなのだそうだ。
二匹ともシッポが短くて親子兄弟にしか見えないが、血縁はないという話も聞いた。

また取り止めもなく。

October 06, 2012

生存確認

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取り敢えず生存確認保守エントリ。

ちょっと近所を散歩しただけで続けて二匹、何だかやる気がなく寝そべってるところに遭遇。
小生のやる気のなさを身をもって諌めてくれているのでしょうか。

いやしかし、普通、近づいたら少しは警戒するものではないでしょうか。

警戒どころか弛緩し切ってますね、これは。

しかも道路の真ん中で。

しかし土曜の昼は小生もこんなもんですが・・・。

July 22, 2012

ててごとははごと

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先日、時間が空いたので江戸東京博物館へ行った。なかなか面白くて仔細に眺めていたら一周するのに三時間も掛かってしまった。当時の技術で作られた原寸大の、但し半分だけの日本橋から始まって、細部まで作成されたジオラマの数々に圧倒されながら、当時世界的にも先進的な上水道などを見て、何故こういうことを学校で教えないのかと思った。いや教えているのかも知れないが、むしろ子供達が誇りに思える日本の優れたところをわざと避けているような気がしてならない。

よく日本の明治以降の近代化について驚異をもって語られるが、それはその以前から成熟した社会を既に独力で築き上げていた基盤があるからで、例えば市場経済は石高制を基礎として欧米より百年も前から行われていたし(と学生時代の講義で聴いた)、数学なども非常に進んでおりむしろ当たり前のことだった。こういうことを積極的に教えないと後が続かない。

いや江戸東京博物館だった。写真は日本橋の近く、一石橋にあった、というか今もある「満よひ子能志るへ」のレプリカ。この辺りは当時も繁華街で、迷子が出るとこの石に貼り紙をして探したといういわば迷子用の掲示板、つまり迷子のしるべだ。

これを見て、あぁそうか、子連れ狼の主題歌、「ててご橋」はこのことを言ってるのかと合点がいった。ててごとははごと、ごとごとと、一石橋で待てば良い、迷子になったらどこで待つ、一石橋で待てば良い、というのはそういう背景があったんだな、と感慨深いものがあった。いや漫画なんですけどね。

ところが、このゴトゴトと、という大五郎が乗っている乳母車の進む音は、実は、「ごとと、ごと」と読むべき由来があるらしい。
当時の一石橋が金座を仕切っていた後藤氏と、また別の後藤氏との領地のちょうど境界で、つまり後藤と後藤、ごとと、ごと、これを五斗と五斗にかけ、足して一石橋と名付けられたと。大五郎の乗る乳母車は機関銃仕込みのハイテク兵器である割には何故か車輪は木製だ(笑)。だから拝一刀が押すとゴトゴト鳴る。そんな軽い擬音語に実はこんな背景があったとは。原作の小池一夫は弐十手物語にしても何にしても深いなと。いや漫画なんですけどね。

ちょんまげ天国~TV時代劇音楽集~
※Amazonでさわりだけ試聴できます。ちなみにこの「ちょんまげ天国」、早速買いました(笑。

ほか、新宿二丁目の太宗寺の脱衣婆への信仰とか、江戸のお稲荷さんの番付表とか、ニコライ堂のジオラマなど見るだにいちいち小生のツボを刺激してつい時間を忘れてしまった。ちなみによく前を通る駿河台の太田姫稲荷もちゃんと載っていて、こういうのを矯めつ眇めつ見つけるのは殊の外楽しい。暫くしてからまた行きたい気分。入場料大人六百円(常設展のみ)。

July 16, 2012

マミヤに餌を。

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なんとも暑い。こういう日はカメラ掃除に限るということで随分昔に親戚にお下がりで貰ったMamiya Universal Pressを引っ張り出してブロアで埃を吹き飛ばしつつ、スローシャッターを切ってみたが、低速で明らかにネバリが出ていて四分の一が二分の一ぐらいにはなっている。何度か切っているうちに段々と正常に戻って来たようだ。

しかし、このカメラは如何にもマミヤらしい佇まいで、セットにはレンズ二本、グリップ、6x9と6x7のホルダー、手札判ホルダー、光学ファインダーにスポーツファインダーまで揃っていて、スポーツファインダーなどはレンズの焦点距離に応じてパララックスを補正する機構まで付いている。勿論手動だ。この機械感というか機械工作感溢れる機構は、以前持っていたRB67ProS の、例えば画面の縦横をフィルムバックの回転で切り替える際にフレームに現れる視野を示す棒しかり、如何にもマミヤだ。

120フィルムはまだ入手可能だし、ことによると135より長生きするのではないかとも思えるので、久しぶりに入れてやるかと思った。まるで猫に餌を与えるみたいだけれど。

そろそろデジイチを買っても良い頃ではないかと思うのだけれど、電気がないと動かないというのはカメラではないというような思い込みがまだ根深く心の底にあって、そんなものに何万円もつぎ込むことがどうしてもできない。カメラは金属とガラスが物理的な仕掛けで動くものであって、その中でフィルムが化学変化を起こしてナンボのものなのだ。

いやそんなことを言う奴は今どきいないわけで、もう観念していま何を買おうか研究中だ。ナイコンのE800かオリパのOM-Dか、お財布事情から結局OMになりそうだが、買ったら買ったで夢中になりそうな気配。

しかし暑い。
(写真はスイス鉄道、チューリッヒ駅だったか。)

July 01, 2012

ショートスリーパー再び、そしてディースカウ

from the series, "prayer for the night" 1

随分以前にショートスリーパーについてエントリしたが、そこで平日は短時間睡眠で済ませ、休日に寝溜めるという身近な人について触れたことがある。そんなことが器用に出来るものだろうかと思っていたのだが、最近、自分がそんな風になっていることに気付いた。

とはいっても最近身過ぎ世過ぎで少々忙しく結果的に平日の睡眠が良く取れずに週末になって自堕落に寝てしまうだけで、先のように計画的にコントロールされたものではない。日頃の睡眠不足が週末になって我慢しきれず爆発しているようなものだ。結局、週末が有効に使えず不発感をもってまた月曜日を迎えることになる。

とはいえ最近、身近な人、しかも自分より若い人が続けて何人か亡くなったこともあって、やはりあまり無理をせず、眠い時には寝るというような自然に任せた姿が良いのではと思うようになった。昨日まで普通に話をしていた人が、何か具合が悪いと言って帰宅したまま帰らぬ人になった、というような亡くなり方と聞いた。どこかで疲れが溜まっていたのだろうか。忙しい時には自分の体の声をなかなか聞くことができない、というのもある。疲れていても気が張っていてそれを感じない、ということだろうと思うが、節目節目で上手に休むことができるような工夫が出来たらよいと思う。短時間でも睡眠を取れるように自分を躾けるというか、そんな何らかのテクニックを身に着けることが必要かも知れない。

などと書きながら、今日も昼寝をしてしまった。

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夜、おそらくヨーロッパのどこかを歩いていると、カフェの店先で佇んでいる男がいた。よく見るとそれはフィッシャー・ディースカウだった。あれ、この間亡くなったのではなかったか、と訝しく思い、随分前に日本の大阪であなたの演奏を聴いたことがあるんですよ、と話しかけた。最初はこちらを怪しんでいるのか返事をもらえなかったが、たしか、モーツアルトの「冬の旅」全曲でしたよ、とわざと間違えて反応をみると、破顔一笑して、それを言うならシューベルトだろう、と気を許してくれた。ああ、そうでしたね。何かお困りの様子ですがどうしたんですか、と尋ねると、行き先が分からなくて困っているという。そういうことなら、一緒に行きましょうと話しながら辺りを歩いた。そこで誰かがディースカウを待っている筈だと思ったからだ。しかしその人は見つからなかった。仕方なく元のカフェに戻り、もしどうしても困ったならば、ここに連絡して欲しいと自分の連絡先を書いた紙の切れ端を渡した。

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こんな夢をみた。

June 17, 2012

藤原新也と痕跡本

なみだふるはな
水俣に取材した「苦界浄土」の石牟礼道子と藤原新也の対談本。だがその内容というよりも巻頭の藤原の写真を見て嬉しくなった。83年に刊行された「全東洋街道」の藤原が、このカラー写真に滲み出る諦念のような独特の「彼岸の風味」が健在だったからだ。

藤原の写真は画面のそこかしこが滲んでいる。それは東洋を歩き尽くしてきたカメラのレンズにこびりついた西アジアの砂漠の砂であり、屠られた羊の脂であり、雑然とした東アジアのいわく言い難い場末の飲み屋にもうもうと漂う煙の粒子であったかも知れない。そのレンズに堆積した旅の厚みとしての微妙な汚れが、何気ない植物の葉に照る光を美しく滲ませている。

森山大道の写真は滲む光が反転している。暗室で掛ける紗によって闇が光の領域の方へと浸食しているのだ。これは夢の世界と現実のリアリティとの関係と見ても良いかも知れない。この丁度対極にあるのが藤原の作品なのだと、そんなことをよく考える。

痕跡本のすすめ
古書店の均一台に並ぶ本にはよく線引きや書込みなどがある。そんな本をみるといろいろと前の持ち主を想像して楽しい。そんなことを前から思っていたが、それを「痕跡本」と呼んで楽しもうというのが本書。

それは頁に挟まれたハガキであったり、昔のデパートのレシートだったり、巻末に書き込まれた感想だったりする。そんな実例が豊富な図版で楽しめる。それを見越してわざと書き込んだりする二重にひねくれた人が居たら面白いが(小生ではありません笑)

May 06, 2012

ニコライ堂、ユイスマンスそして読書メモ

Fallen_petals_2

普段近くにいるのに今日久しぶりにニコライ堂の鐘の音を聴いた。しばらくその東方教会の瞑想的な音色を聴きながら、以前短期間ではあるが滞在したドイツのローマンカトリック教会での鐘とは明らかに旋律も音色も異なっているのに気付いた。なにか世の終わりに鳴り響く鐘のような、戦慄と同時に諦念にも似た感情を呼び起させる。全く勝手で独りよがりのイメージではあるが、そんなことを思うと何故か心の片隅に長い間澱のように溜まっていたものが少しばかり溶けてゆくような気さえした。立ち止まって終わりまでを聴いた。

ユイスマンスの「彼方」だったかに鐘楽への執拗ともいえる描写があって、聴きながらこれを思い出していたが、帰ってからYOU TUBEに録音が上がっているのを見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=UvtoxC-r8vg

森達也「オカルト」(角川書店)読了。

 前作「スプーン」(文庫では「職業欄はエスパー」)の続編。
 「下山事件」でもそうだったが、この人の作品はルポルタージュの体を取っているようで実は著者の心象風景を語っているのであって、今回もオカルトに関する人々に取材しながらその周辺を逡巡しつつ終わる。その手法を意図して使うことでオカルト=隠されたものの本質を表現したとのことだが、これはドキュメントなのか、森自身のポエジーなのかがいつも分からず著者の意図とは別のところで隔靴掻痒の感がある。

甲野善紀 内田樹 「身体を通して時代を読む―武術的立場」(文春文庫)
 
 三分の一ほどを読んだが、なかなか面白し。内田は合気道の修行をしているのは知らなかった。甲野の本は何冊かを読んで、以前甲野を追ったドキュメンタリー映画のDVDまで買ったことがあるが、武術家が紡ぐ言葉というものは、そもそも言葉では表現できない内容であるがゆえに、(近くで技を実際に見ても分からないらしいのでなおさら)、その内容を他人に伝えることは難しい。敢えて表現しようとすればそれは臨済の公案のようにならざるを得ない。その難しさを内田が巧みに引き出しているような感を受けた。残りを読むのが楽しみだ。

ほか、中平卓馬関係、倉石信乃など数冊を借りる。

May 05, 2012

森山大道 / 『にっぽん劇場 1965‐1970』

にっぽん劇場 1965‐1970

2009年の刊行でいまさらという感も拭えないが、森山大道の65年-70年の代表作及び当時の写真雑誌の連載等を織り交ぜた写真集。というより資料集と言ったら良いかも知れない。当時カメラ毎日だったかの歌手の北島三郎に取材した作品などもしっかりと森山テイストとなっていて興味深い。60、70年代の資料としても是非入手したい。月曜社刊。

森山氏といえば先日ICPのINFINITY AWARD Lifetime Achievement 2012を受賞されたが、INFINITY AWARDについては下記ICPのサイト参照。
Daido Moriyama | International Center of Photography
http://www.icp.org/support-icp/infinity-awards/daido-moriyama

ちなみにtwitter上では受賞やサイン風景がかなり上がっていて雰囲気が良く分かる。

May 03, 2012

MOLE UNIT

瀬戸正人 Silent Modo モールユニットNo5

雨がひどく外出できずになんとなく始めた本棚の整理だったが、奥から出てきた古い写真雑誌に山内道雄の作品を見つけそれをきっかけにネットを逍遥するうちに、以前四谷にあったMOLEの発行する写真小冊子、モールユニットに行き着いた。これをみると当時90年代の自分を思い出す。MOLEは既にないが、販売は蒼穹舍が引き継いでいるようだ。上は瀬戸正人の「Silent Mode」(1996年)。以下羅列。

柳沢信 写真・イタリア モールユニットNo3

大西みつぐ Wonder land1990-1999 モールユニットNo10

平カズオ 香港 モールユニットNo6 (Mole unit (No6))

吉野英里香 猿人全快―It’s a new day モールユニットNo7 (Mole unit-Photographic magazine- (No7))

山内道雄 野良猫 モールユニットNo8

桑原敏郎 モールユニットNo1

吉村朗 SPIN モールユニットNo9

May 02, 2012

時岡総一郎 / 『flicker―時岡総一郎写真集』

flicker―時岡総一郎写真集

ビジュアルアーツの主宰するビジュアルアーツフォトアワード2011年度大賞受賞作品。
先の東京堂書店での森山大道、瀬戸正人によるトークイベントにて、最近写真を見てドキドキする人はいるかとの瀬戸氏の質問に、久しぶりに写真でゾッとしたと言われたのは多分この作品のことだろうと思う。モノクロの森の中に重層的に立ち現われるおぼつかないイメージの連鎖。2011年、Visual Arts刊。

May 01, 2012

鬼海弘雄 / 『東京ポートレイト』

東京ポートレイト

「王たちの肖像」(1987)、「や・ちまた-王たちの回廊」(1996)、「PERSONA」(2003)などからポートレート作品を中心に編んだ写真集。写美の展覧会に合わせ刊行。2011年、クレヴィス刊。

April 29, 2012

森山大道x瀬戸正人 / トークイベント@東京堂書店

先般エントリした神保町すずらん通り、東京堂書店本店にて行われた森山大道氏のトークイベントを聞きに行って来た。会場は同書店6Fのイベントホール。聞き手は写真家の瀬戸正人氏。(月球技通信エントリ「瀬戸正人 / 『picnic』」「瀬戸正人 / 『bin ran』」参照、)。

午前中に仕事を済ませそのまま神保町をうろつき時間を潰す。森達也「オカルト」(角川書店)を購入。キッチン南海の開店を待ってカツカレーを。やはりいつも通り全ては食べきれず残す(どうでも良いが)。その後東京堂へ向かうが、その途次、Tシャツに黒のジャケット、ジーンズ姿の森山先生をお見かけしてしまう。軽く会釈し会場へ。満員だったが、殆どは20-30代の若い人々でこれは場所柄もあるかも知れない。小生は最前列に陣取る。当日、この直前に銀座で森山氏の師匠である細江英公氏との対談を終えて来られたとのこと。なお、聞き手の瀬戸正人氏は森山氏に師事しておられた訳で、当日は師弟関係の対談を2つ行ったことになる。

お話のなかで、写真に限らず欲望と過剰さを持っていることが表現者の資質であるという話は感慨深かった。都市は圧倒的に、すさまじく面白く刺激的で飽きないとも。瀬戸氏のCAMP時代の話も含め、興味深い話が聞け得るものの多いイベントだったと思う。帰宅22時。

«練炭、テレーズ、あるいは押入れの奥

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