January 18, 2012
January 09, 2012
にっぽん劇場写真帖、日輪の遺産そして寺山
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
と、松が取れてからいうのもどうかとも思うけれど、年末年始はこれまで入手したかった本をネットで探し、全国の古書店に在庫確認のメールを出すなどして少々すっきりした。ちらほらと返信を頂いているのであとはそれらを入手するのみ。最近は映画もほとんど見なくなってしまった。近所のレンタルDVD店の近くが不潔なので近寄りたくないというのもあるが、観たい映画はあらかた見尽くしてしまったというのもある。新作もそれほど気を引く作品がないし、古い映画はまだ見たいものもあるが、そもそもそういうものはなかなか棚に置いていない。以前、京都にいた頃には、何と言ったか忘れてしまったが、古い映画がそろっている公共施設があって(京都文化博物館だったかな)、邦画がかなり揃っており、地下のブースで映画を視聴できたのでよく行った。そこで寺山の「書を捨てよ、街へでよう」(71年)、「田園に死す」(74年)などを受付で出して貰っては観た。もう何年前の話だろう。
京都と言えば京大西部講堂での映画上映や今はないが四条大宮のスペースベンゲット、東寺のみなみ会館などに通い詰めた。懐かしいがもうあの頃は戻ってこない。
新宿のTSUTAYAも古い邦画が充実しているが、最近は途中下車するのも億劫だ。ここは監督別の排列なのが好感が持てる。借りる人もこだわって探しに来る人が多いのだろうと思う。
最近劇場に行ったのは昨年の夏の終わりに浅田次郎原作の「日輪の遺産」(2011年)を見に行ったきりだ。
![日輪の遺産 特別版 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51amwLrOpZL._SL160_.jpg)
そういえば、森山のにっぽん劇場写真帖が復刊されていたのを思い出した。
小生が持っているのは新潮のフォトミュゼシリーズだが、今回は講談社のペーパーバックのシリーズだ。

このペーパーバックというのは写真集という意味では少々理解を超えていて、少なくとも判型の縦横比率が写真集には決定的に向いていないのにどういう訳だろうと思うのだが、「遠野物語」が朝日ソノラマの現代カメラ新書だったこともあって森山作品には縁のある判型なのかもと無理矢理思っても何か一抹納得いかないものがある。
そんなこんなで今年もよろしくお願いいたします。
December 25, 2011
デジタル時代のネガフィルム
Googleのニュースクリップに、デジタル写真出力メディアを扱うピクトリコからネガフィルムが発売されたというニュースが引っかかり、今どきネガフィルムかと驚いた。早速サイトを見てみると、デジタルデータをインクジェットでフィルム上にネガ出力して、それを銀塩のポジにするための製品らしい。ややこしくて良く分からず、デジタルをそのままインクジェット出力すれば良いのではないかと素朴に思った。しかし、よく調べてみると、デジタルデータから古典技法のプラチナプリントなどを制作しようとする際にはこの方法でないと成立しない。製品のサイズを見るとレターサイズとA3+サイズで、つまり作品と同じサイズを密着プリントするということらしい。ネガフィルムという言葉から120や135のカメラ用フィルムを想像してしまったがそれは誤りだった。
ネットを調べるとデジタルネガという分野でいくつかのサイトが見つかった。プラチナプリントのような特殊技法では不可欠だが、モノクロのバライタ印画紙でも、デジタルのインクジェットや昇華出力にはない銀塩の豊富な諧調、ハイライトやシャドウの表現が得られるということらしい。そのために撮影から銀塩で行わなくても、デジタルのソースから銀塩プリントを得たいときには、このデジタルネガフィルムが必要になるという、プロプリンター向けの製品なのだった。
いわゆる銀塩ネガからの引き伸ばしでの印画とインクジェット出力との違い、例えば銀塩粒子の有無が作品にどのような違いをもたらすのか。また先の諧調表現の差とはどのようなものなのか、一度その差を現物で見てみたいと思う。サイトに上がっている写真を見ても、今一つその違いが分からない。最近のインクジェット出力は銀塩写真を超えているという話も良く聞く。またインクも顔料になってアーカイバル性も向上しているとも聞く。しかし銀塩プリントの保存性については既に確立しており、作品の価値を保障するものでもある。結局、デジタルからアナログプリントを作ろうと思えば、この工程を踏まざるを得ない。もしくは135ネガなどにデュープしてから引き伸ばすことも考えられるが、それでは諧調が出ないだろう。そこでインクジェット出力し密着印画するということになる。
なかなか面白いと思う。プラチナプリントまでやるには少々気力も資力も足りないが、まずはその作品を目の当たりにしてみたい。
■記事関連サイト
- デジタルネガティブス Digital Negatives.jp
http://digital-negative.sub.jp/index.html
- Digital Gelatin Silver Monochrome Print(DGSM Print)デジタル・ゼラチンシルバーモノクロプリント
http://www.kn-photo.com/dgsm_print/
December 23, 2011
携帯をなくす。
携帯電話をなくしてしまった。夜に枕元に置いておく習慣から寝際にカバンや上着のポケットなどありそうなところをくまなく探したが見つからなかった。枕元に置くのはアラーム機能を目覚ましに使っているからだ。
結局、おそらく電車内で落としたのだろうと思い、翌日を待ってJRの遺失物係へ問い合わせた。しかしそれらしいものの届け出はないという。これから届けられる可能性もあるので、しばらくしてからまた問い合わせることにして、前日の行動を振り返った。
日中には確かにあった。何度かメールチェックをした覚えもある。そうだ、その後帰りの電車のなかで一旦席に座り、時間を見ようと半腰になってズボンのポケットをまさぐったな。そのとき隣のおばさんが迷惑そうな顔をした。ということは帰り際まではあった訳だ。いやしかしそれは昨日のことだったのか、それ以前の記憶なのか。
その後、家電量販店に寄って、中華チェーン店で食事をした。いや、それは昨日だったか、昨日はサブウェイでサンドイッチじゃなかったのか、いやそれは一昨日だ、などと考えているうちに、しかしその前に自分の名前は何だっけ、そもそも自分って何者?などと、いやさすがにそこまでの境地にはまだ到達していないが、結局記憶をたどってその中華チェーン店で見つかった。やれやれと。これは今のケータイをiPhoneに機種変しろというジョブズからのスピリチュアルメッセージかも知れない、と思うこともなかったが、そういえば二年契約の更新ももうすぐだし、考えてみても良いかもと思った次第。しかし携帯を失くすというのは恐ろしい。お財布機能とかSuicaなどの決済を行っているのならなおさらだ。自分の場合はスマホをやめてから音声通話専門機になっているので、webもやっていないし、悪用されたところでたかが知れている。それでも長距離通話などされたらたまらないので、ネットから通話停止をしておいたが。
しかし年末。また年が改まる。もう飽きたなと。
December 21, 2011
December 17, 2011
読書メモ
最近読んだ本のメモ。
吉村昭「羆嵐」(新潮文庫)
加門七海「猫怪々」(集英社)
正木晃「現代の修験道」(中央公論新社)
井上ウィマラ「呼吸による気づきの教え―パーリ原典「アーナーパーナサティ・スッタ」詳解」(佼成出版社)
まるの日圭「モンロー研体験記」(ハート出版)
伊藤三巳華「視えるんです」「視えるんです2」(メディアファクトリー)
道尾秀介「鬼の跫音」(角川文庫)
沼田まほかる「九月が永遠に続けば 」(新潮文庫)
吉村昭の「羆嵐」は大正初めに北海道で起こった日本獣害史上最悪の三毛別熊害事件をモチーフとした作品。事件の凄惨さとじりじりとした恐怖はその辺に転がっているホラー小説より余程怖い。警察や軍まで出動するが使い物にならず、結局熊撃ち専門の一人のマタギによって仕留められる。このマタギ、作中「銀オヤジ」の独特な性格描写が作品に奥行を与えている。仕留められた熊は被害者の供養のために遺族や住民によって食べられると。作中ではアイヌの風習のような記載もあるが、それ以前に他で起こった事件でもやはり同様に食べられている。人を餌として食べた熊の肉を食べるということへの抵抗は作品中にも出てくるが、この供養のために食べるということへの民俗学的な説明が知りたいところだ。
加門七海「猫怪々」はいわゆる「視える」著者の猫への溺愛ぶりが微笑ましい作品。しかしその内容は上質な怪談だ。怪談にもいろいろとあって、ことさら怪異を弄ぶ感じの作品は嫌いだが、加門の作品はいつも肌身に近いところで語られるのが小職の嗜好に合う。伊藤三巳華の漫画もこれに近い。しかしこの猫怪々、実はネットで全部読めることが後で分かって少々残念な気分に。
他、ヴィパッサナ瞑想関連等、また他の機会にでも。
良く行く本屋ではカバーをお願いすると、よくある紙の上下を折り返す方法ではなく、事前に鋏を入れた紙カバーを複雑な工程で素早くしかも手際よく作ってくれるのだが、昨日もすでに流麗と言って良いほどの手さばきでその名人芸を見せてもらった。電車に乗ってから本を開くと、中表紙に折り目がくっきりと付いていた。あまりにも素早い手わざで一緒に折ってしまったのだろうなと(泣)。
December 14, 2011
深夜食堂と食事指導
半年ほど前に受けた健康診断の結果、血中の中性脂肪が高く再検査を受けよとのお達しに、嫌々ながら再度血液検査を受けた。その結果、先の健診のさらに上を行く数値が出てしまった。医者の指示で、まずは管理栄養士の指導を受けることになった。面談の前にはあらかじめ数日分の食事内容を送っておき問題点を改善する仕組みだ。
面談の当日、それを見ながら若い女性栄養士の眉間の皺が心なしか寄った様な気がした。「あの、この日の間食に書いてある、アイスクリーム、チーズ、バナナ、煎餅一袋というのは何時に食べたんですか。」「そうですね、夜の十時ごろだったと思いますが・・・。」「これだけで700Kcalはありますよ・・・。先ずは間食を減らすように努力してみてください。それから、多少負荷のかかる運動をしてください。」と小生の唯一のストレス解消の間食を禁止され、さらに運動までも。
念のため言っておきますが、特にお腹も出ていないし勿論メタボでもない。痩せてはいないが、肥ってもいない体型なのに、何故この数値だけが悪いのか。どうも、そういう状況は逆に内臓脂肪の心配があるらしい。先の気の狂いかけたような凶暴な夜食はさすがに毎日ではないにせよ、このまま脂肪、いや死亡しても面白くないので、一丁やってみようかとそれからきっぱり間食をやめた。
栄養士曰く、あまり禁止するとかえって続かないので、適度に気にするぐらいのことで長く続けた方が効果があるんですよ、とのことだったが、却って厳しく言ってもらった方が嬉しい、いやこれでは変態みたいだが、あまり強制力を感じないのでは多分続かないとも思う。
で、昼食はご飯を半分残し、夜はSUBWAYで400Kcal以下の夕食を続けている。夜の間食も綺麗さっぱりやめた。しかしカカオ系の甘い食べ物、というか回りくどいがつまりチョコレートを食べられないのはちょっとしんどい感もある。えーと、抹茶ソフトってどんな味だったっけ、フレンチクルーラーって何?、フランスの俳優?などと自問自答する日々。しかし、SUBWAYと牛丼チェーン店の客層って全然違うなと。客層の違いというよりBMI指数の違いと言ったら良いか(笑。
* * *
TBS系、火曜深夜に放送中の「深夜食堂」が2集目となって、毎週この時間に起きている訳には行かないので録画をしているのだけれど、昨日の「肉じゃが」の回は間違えて録りそびれてしまった。残念無念。しかし店主の小林薫がいい味をだしている。1集目はすでにDVDになっていて思わず買いそうに。いや買うかも。
深夜に豚汁定食を思いっきり食べたいなと。デザートは小倉アイスでね。
December 10, 2011
月蝕の夜に

所用あって帰路の途中、今日は皆既月蝕だったと思い出し、家に帰ってから手持ちのデジカメを空に向けてみた。
もとよりこんなカメラで撮れるはずもないと思いつつ、ズームをテレ側一杯にし、手振れ補正を強にして手持ちで撮ったのがこれ。なんとなく撮れてますね。しかし久しぶりに見たオリオンが綺麗な夜だった。
December 07, 2011
Daido Moriyama in Daily Motion
Daidō Moriyama 森山大道 投稿者 zwischenzug
これは「≒(ニア・イコール) 森山大道」(2001)かな。そういえば、神保町の小宮山書店に森山のポスターが随分前から出ていて気になっていたが、Histeric Glamourのものは45,000円もするのでとてもワーキングプアの小生には手が出ない。昼休みに店頭で拝むだけ。結構出てますね↓。
http://www.book-komiyama.co.jp/booklist.php?cat=1&category=68
December 05, 2011
『R-イリナ・イオネスコ写真集』
イリナ・イオネスコの写真集。娘のエヴァを被写体としたバロック、ゴシック調のポートレートで著名だが、作品のなかで三脚にカメラを構えるイリナ自身が鏡に映っている一枚があって、随分昔にそのカメラが何であるか、矯めつ眇めつしたが、ニコンFと判明して、途端にシルバーのFが欲しくなり、中古を買ったことがある。ブラックではなく、シルバーのエレガントさにたちまち影響されてしまったわけ。そんな話ばかり。
■月球技通信関連エントリ
Fのおもいで: 月球儀通信
http://azusayumi.tea-nifty.com/fragment/2006/07/post_2c12.html
December 04, 2011
そして船は行く

この間、朝の通勤電車で珍しく座っていたのだが、長い同じ座席の端に座っていた男性に、何やら若い女性が話しかけている。聞くともなく聞いていると、気分が悪いので席を替って貰えますか、と言っているのだった。男性は最初その意が呑み込めないようだったが、漸く理解して一瞬逡巡する素振りをみせたが席を譲った。
この一瞬の逡巡について考えたが、多分こういうことだろうと思う。つまり、気分が悪いのだから譲るのは当然としても、しかしもし自分ならば次の駅で降り、ホームのベンチで休むことを選択するだろうと。次の駅まで座らせてください、というのか、それとも替ったままなのか、そう本当に思ったのかどうかは分からないが、この辺りはかなり難しい。気分が悪いがどうしても遅れることができないこともあるだろうし、他人を退かしてまで時間に間に合わせるのならば次の駅で礼を言って降りるのが正解なのかも知れない。いや、降りるまでもないような具合だったらこれで良いのか、なかなかに難しい問題なのだった。思うに、譲ってもらう方も、譲る方もそれぞれ思いやりがあればそれで良いということだろうと思う。そう思いながら当事者でない自分は呑気に寝てしまったのでその後の結末は分からないが。それともいや、自分が替りますと手を挙げれば良かったのか。
* * *
ロモグラフィーから出ているLomoKinoが面白そう。35㎜、手回しの超アナログ動画撮影カメラだ。
http://japan.shop.lomography.com/lomokino
35mmのポジフィルムを手回しで撮影する仕組み。最も原始的な映画撮影の仕組みそのものだ。
ネガから紙焼きしてパラパラマンガのように見ても動くだろう。YOU TUBEやVIMEOに動画が上がっているのだが、ロモロモしてて(笑)結構いい感じだ。
しかしどうせなら8㎜の手回しでやってほしかった。35㎜フィルムの方が入手しやすいということもあるが、Lomoが8㎜カメラを出せばフィルムはあとからついてくるとも思うのだけれど。そんな簡単じゃないか。
以前学研から8mm映写機が出たが、その際にカメラも出すかどうかを検討中ということだった。それを心待ちにしているのだけれど、FUJICHROME R25Nは平成24年3月で販売終了、富士の調布での現像も平成25年9月終了とシングル8もあと少しの命で、もう企画が通らないだろう。KODAKはとうの昔に終了しているし。
それならそれなら、16㎜ではどうなのか。ロシア製のクラスノゴルスクで予算100万円ほどを酔狂して映画を撮ってみたい。iPhoneのカメラで8㎜エフェクトとかで妥協しそうではあるが。しかししかし、フィルムで何とかお願いしますよ(誰に??)。
フェリーニ「そして船は行く」(85年)の沈みゆく船のなかで、オペラ歌手の映像を手回しで映写するシーン、あれが小生の8㎜への憧憬の原点なのだが、如何せん目覚めたのが遅かった。そしてその憧憬のまま手つかずにずるずると、脳内エア8㎜を。刻々とハードルが高くなる。
* * *
上原隆の作品だったかで、ある若者が寺に修行にゆき、その師に自分の所為ではないことで罵倒され葛藤する話があった。その後、師の言うには、これから世の中に出れば理不尽なことはいくらでも起きる。そのための修行なのだと。
大雑把にはそんな話だったと思うが、確かに世の中は混沌として理不尽極まりない。それに押しつぶされることもあるだろう。しかしこの世はアプリオリにそういうものであると。しかし、しかし。その理不尽にただのた打ち回ることしか出来ないこともある。その苦しさをどう止揚するのか。ただ思うのは、ここから見えてくることもあるのだろうと。
(写真は皇居の木々)
December 01, 2011
樹液したたる
先日、余りにも繁った木々がご近所迷惑でもあるので、狭い庭ではあるが庭師を呼んで剪定してもらった。かなり前から依頼をしていたのだけれど、なかなか日程が合わず時期的には遅くなってしまった。庭の栗や柿のような落葉樹は当然のことながら葉が落ちる。それはそれで風情があるのだが、掃除も結構骨が折れる。
二人がかりの一日でようやくスッキリして、あたかも伸ばし放題だったボサボサの髪を五分刈りにしたような感じに。
その隣には、どこからか種が飛んできたのか、あるいは鳥のフンなどで運ばれてきたのか、植えた覚えのないヤツデの木がもう2mほどにも成長しているのだが、これも剪定してもらった。
ヤツデはあの大きな葉がそっくりそのまま落ちるので、まるで道に大きな手袋が落ちているようにも見えてぎょっとする。
翌朝、庭をみると不思議な粘液のようなものが大量に落ちていた。一体何だろうと首を捻ったが、それは透明なジュレのようなもので、一瞬、季節でもないのに蛙の卵かと思って周囲をみると、なんとそれはヤツデの茎から出ているのだった。写真はその切り口。
見た目なにか美味しそうな感じもするが、ネットで調べてみると、ヤツデは自らの傷を保護するために樹液を出すらしい。思わず写真を撮ったのだが、その量が半端でない。切り口の下にはおびただしい樹液がこぼれていた。
横から見るとこんな感じ。凄いでしょう。今は樹脂分がかなり堅くなっている。

庭ではないが、自分も神保町の美容室へ散髪に。さすがに五分刈りにはしなかったが(笑)。
November 06, 2011
十一月はうらがなし

十一月はうらがなし 世界を濡らし雨が降る
十一月に降る雨は あかつき来れどなほ止まず
初冬の皮膚に降る雨の 真実つめたい悲しさよ
されど木の葉の堪へもせで つぐみ、うづらも身ぶるひす
---堀口大學「月光とピエロ」より「十一月にふる雨」
十一月に雨が降ると、ついこの歌を口ずさんでしまう。多田武彦作曲の組曲「雨」の一曲。その後、これに続く歌詞に現代においては問題となる語があって別の歌に差し替えられたようだ。しかし自分が高校生の時にはまだこの堀口大學が使われていて、演奏会で歌ったのもこの曲だった。
YOU TUBEで会津混声合唱団による男声合唱の演奏を見つけた。こんな曲です。
http://youtu.be/GGoPsn96vlI
合唱は勿論音楽であるから聴くものではあるが、大学のグリークラブのように舞台に50人以上も上がるような大合唱も、先のような少人数でのアンサンブルでも、見ているだけで胸が詰まってしまう。人間が声を合わせて歌っている姿というものには何か敬虔な、ひたむきさというべきものを感じてしまうのだ。見ているとそれぞれの人生までをも想って、何も知らない他人ではあるのに、何故か胸が一杯になって涙がこぼれてしまう。高校の時の合唱は人数が少なく、先のようなアンサンブル形式にならざるを得なかったが、それでも新宿や表参道の教会などを借りて行った演奏会では、終了したあと舞台の袖で皆感極まって泣いたものだった。
そんな話を以前知人の家に遊びに行った際に食事をふるまわれつつしたところ、彼の奥さんにちょっと歌ってみてよと言われて固辞したが、結局奥さんの伴奏でオンブラマイフを歌う羽目になった。その奥さんは音楽大学で声楽を教えていたプロの演奏家なのだった。内心、もっと声が出るかと思ったのに案の定、散々な結果になった。「ほら、ね、だから才能がないと悟って大学ではグリーに入らなかったんですよ。」と言い訳しつつ飛んだ恥を掻いてしまったことを思い出した。発声どころか最近は普段でも声がかすれることすらあるのに。そんなことが芋づる式に浮かんで来たりと。
* * *
写真は皇居の馬場先堀に浮かぶ白鳥。気持ちよさそうに。
October 30, 2011
Daido Moriyama / 「The World through My Eyes 」
1950年代から70年代の仕事200葉をまとめた写真集。編集はイタリアのキュレーターFillipo Maggia。
彼による森山のインタビューをvimeoで見つけた。
DAIDO MORIYAMA interview from ANDREA COSSU on Vimeo.
October 29, 2011
千鳥ヶ淵に浮かぶ蓮の葉
China関連のニュースで二歳の子供が車に何度も轢かれ、何人もの通行人が見て見ぬふりをするという衝撃的な映像がNHKのニュース9で先週放送されたが、その後、アナウンサーが「しかし、都会というのは時々寒々しい素顔を見せるものです。何も中国の事だけではないようです。」と締めくくったのに唖然としてしまった。
子供が交通事故に遭い、それも何度も続けて轢かれている状況を見て見ぬ振りをすることなど日本ではありえない。むしろそんな国は殆ど無い筈だ。それは社会構造や拠って立つ主義以前に人間の本能だろう。何故こういうことがこの国家では起こるのか、その異常性、特殊性をこそ報道するのがマスコミの仕事ではないのか。
こんな異常な事態をいかにも世界的普遍的な出来事のように「時々見せる都会の素顔」というNHK。気が狂っているとしか言いようのないコメントだ。これは既に暴言でさえある。
「何も中国の事だけではないようです。」とわざわざ言わせる力、このコメントに働く気味の悪い圧力とは一体何なのか。この不自然かつあからさまな誘導はNHKに限らないが、テレビを注意深く見ているとこれに類する妙な力学が随所にみられる。しかもこの気分は現政権の持つそれと似ている。日韓通貨スワップも新規の300億ドルはIMFが関与しないらしい。既にくれてやっているのと同じだ。これにどういう事前の議論がなされたというのか。これがあと二年もあるのかと思うと気が遠くなる。
* * *
星野之宣「宗像教授伝奇考」全6巻+特別版をある方から借りて現在通読中。頗る面白し。
(写真は千鳥ヶ淵。)




















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